1. HOME
  2. インタビュー
  3. 「松浦寿輝全詩集」全240編、半世紀の信号の記録 「暗さや悲しみも、生きている充実感」

「松浦寿輝全詩集」全240編、半世紀の信号の記録 「暗さや悲しみも、生きている充実感」

 詩人・作家の松浦寿輝さんが、詩作の集大成となる「松浦寿輝全詩集」(中央公論新社)を出した。既刊詩集7冊に加え、未刊行詩集も2冊収録する。20代の頃から47年にわたって書いてきた全240編が入った、1千ページの大著だ。

 「もう詩は書かないだろうと思っています」

 全詩集としてまとめたのは、詩でできることはやりつくしたから。「新しい詩的イメージが、いまの自分の中にはないなと感じています。これまでしてきたことを反復しても仕方がない」。書き続けてきたからこそ、惰性を拒む。「気の利いた言葉を組み立てれば詩のようなものはいくらでもできる。けれど、テクニックで書ける詩はむなしい」

 《ぼくはいやだな ことばを捏ねるのも曲げるのも

 ぼくのやりかたはこうだ ただ削って

 削って削って 削られるだけ削って

 のこったものをさらに削る

 それでもなお何かのこるものがあり

 結局何ものこらないこともある

 その「何か」 その「何も」

 ぼくの詩はそれだ と》

 (「friends」から)

 単語が並ぶ短い詩、びっしりと文字の詰まった散文詩、自身の長編小説の登場人物が語り出す詩。

 詩集によって試みは違うが、詩には一貫して、文字のつらなりが作り出す美しさがある。絵画を見ているような感覚にもなる。それは、松浦さんにとって最初から、詩は自己表現ではなかったことと関係がある。

 「19世紀のフランスの詩人マラルメが、『詩はイデー(思想)で作るものではなく、言葉で作るものだ』と言っていた。僕は、自分の思考や感情を言葉で表現したいというよりも、言葉の構造体が彫刻作品のように立体的に立ち上がってくるようにしたい。20代の頃からそう思ってきました」

 未刊行詩集「espacements」に収録される詩は、ところどころに、1字~数行分の空白がある。「偏愛するドイツの画家、ヴォルスの抽象絵画をイメージしました。絵のなかの余白が重要な意味を持つ。そういう美術作品のようなことを、言葉でしてみたかったんです」 

 「僕の詩は寂しさ、悲哀のトーンが強い詩だと思う」。けれどそれは、生の否定ではない。むしろ、生きることと密接に結びついている。「人はこの世で生を受けてはかない時間を生きて死んでいく。暗さや悲しみも含めて、生きているという感情の充実感につながっていくんだと思う」

 《すべてが闇に溶けこんでしまはうとする直前、口のなかにどつと溢れ出してくる血の味を嚙みしめながら、あゝこれでいゝ、あたしはもう寒くないと狐は思ふ》

 (「丘の橋」から)

 詩から始まり、評論、小説といった散文での表現も続けてきた。散文は「読者に楽しんで読んでもらいたい」。受け手を意識しながらミットに向かって投げる球のようなイメージだ。対して、松浦さんにとっての詩は、こうだろう。

 《その音のない振動で、ぼくのものではない街の風景に向かって信号をおくりつづけていたいとおもう。》

 (「逢引」から)

 届くかどうかすらわからないけれど、言葉によって空気を震わせる。全詩集は、半世紀近くにわたって送り続けてきた信号の記録だ。(田中瞳子)=朝日新聞2024年7月3日掲載