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しんめいPさん「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」インタビュー 東大卒→無職→「空っぽ」になれて、たどり着いた境地

しんめいPさん=吉村智樹撮影

「劇薬」東洋哲学を軽い筆致で

――300ページ以上もあるのに、一気に読みきってしまう爽快感。抱えていた悩みなど、どうでもよくなる読後感。ご自身が悟りを開いていく感じが見て取れるのも痛快です。読者からの反応は。

 X(旧Twitter)の方にめちゃめちゃご感想をあげていただいて。東洋哲学について「わかりやすく書く」って、一歩間違えるとリスペクトを欠如することになってしまう。ところが「行者さん」、現代でも真剣に修験道とか仏教のところでやっておられる方に「素人だからこそ、ここまで書けるんだね」みたいなことを言ってくださったのが、すごく嬉しかったです。

ここでブッダが力つきていたら、仏教はうまれなかった。
しかし、ブッダは「持っていた」のだ。奇跡的に、人類の歴史の転換点をつくる人物があらわれる。

「あのイケメン死にそうじゃね?」
と心配した近所のギャルが、おかゆをもってきてくれたのだ。

(中略)

ズズズッ(食べる音)
あぁ…うまい…(感想)
うまいよね…(ギャルの感想)

ギャルの慈悲がつまったおかゆは、沁みた。
ブッダの体力と気力がモリモリ回復した。過去最高のコンディションである。
そのままの勢いで、食後、おっきい木の下で瞑想したら、

悟りを開いてしまった。

そんなことある?
(本書より)

――ここまで軽い筆致で進めていくと、思いもよらないところで怒りを買うかも知れない。

 僕はそればっかり気にしちゃって。一応、僕的にも「東洋哲学って結構きわどい分野だな」って思っていて。昔、80年代に東洋哲学ブームがあったと思うんですよね。それがオウム真理教の事件で下火になった。「安易に勧めていいものでもない」という認識は僕の中でありました。自分の本が入り口になって、極端な方向に行ってしまう人がいたりしたらイヤだ、という思いもずっとありました。

――「東洋哲学は劇薬だ」と、本でも書いていますよね。

 たとえば、この本の第2章に登場するインド仏教の僧・龍樹が「家族もフィクション」「会社も国も、モノさえもフィクション」「現実世界は全部フィクション!」なんて言ったのを紹介するときに、読み手が「じゃあ、現実はすべて間違っているんだ」って極端な否定、あるいは極端な肯定に走ってほしくないんです。ブッダも「中道」(両極端な考え方や行動はやめよ)ってことを言っています。「中道」が大事だということは、行間から伝わればと思っています。

「インドの論破王・龍樹」との出会い

――ところで、そもそも東洋哲学について意識し始めたのは、無職になった時が最初ではなかったそうですね。

 そうですね。大学時代に「動画を作ろう」みたいな学生向けのキャンプがあって、それに参加し、4、5人のグループで渋谷の「のんべい横丁」という昭和の香りが残る横丁のお店を取材して、(店の)お母さんに話を聞いたんです。「最近の若者は個人主義でねえ」みたいな話でした。

  その動画の編集作業を、ものすごく真剣にやったんですよ。2日間、徹夜で作業した次の日、「現実が欠落する」みたいな、「ありのまま、モノを見る」みたいな感じになってきたんです。もうなんか、すべてがめっちゃキラキラして見える。「変性意識状態」(実際に起こっていないことを、あたかも自分が経験しているように実感してしまう)みたいな状態の、結構激しい感じのやつが、丸2日間ぐらい続いて、そのあとも1週間ぐらい余韻が残る、みたいな体験をしたんです。そのときは何かちょっと「悟ったのかな」とか思ったんですけど、全然そんなことはなくて。でもこの本を書く上で、きっかけになった体験の一つではあります。

――大学生の時から東洋哲学に安らぎを見出していたのでしょうか。

 どっちかっていうと、知的好奇心が先走っていたと思います。最初は、「哲学やっていたらカッコいいかな」と思って、西洋哲学をいっぱい読もうと思って頑張るんですけど、それこそカントとか、ヘーゲルとか。『精神現象学』という本があるんですけど、本当にめちゃくちゃ意味わかんなくて。「1ページも読めない」みたいな感じで。

 でも、わかんないなりに挑戦しているうち、内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』など、わかりやすくフランス現代思想を書いている本に出合って。「現代思想ならわかるかも」って思って関連書を読んでいたら、その中の一つに「仏教の哲学は、実は現代思想に近い」と書いている評論があったんです。「そうなんだ。じゃあ、龍樹のことをちゃんと知ろう」って思って、中村元さんの『龍樹』って本を買って読んだら、意味はわからないけど直感として「何かめちゃくちゃ面白いこと書いている」と思ったんです。仏教が現代思想と通じている。知的興奮を覚えました。

龍樹、あのひとに似すぎ問題
実は、ぼくは、龍樹をみるたびいつも「ある人物」を思い出す。
――「論破」というキーワード。
――「すごいけど、あんま友達にはなりたくない」雰囲気。
――色白の肌と、ぽてっとしたくちびる。
…おわかりだろうか。
そう、ネット掲示板「2ちゃんねる」の創設者、ひろゆきである。
(中略)
ということで、この章では、龍樹を「インドの論破王」として、紹介していく。
この本、仏教関係者のひとよんでたら、ほんまごめんなさい!! これ以上よまないでください!!
(本書より)

大手企業→地方移住→芸人→無職

――「インドの論破王・龍樹」との出会いが、東洋哲学に触れた最初だったのですね。そして東大法学部を卒業後、大手IT企業「DeNA」に入社。

 ゲームのプロデューサーになったのは意外でした。まさか自分が作り手になるとは。

――しんめいPさんは小5のとき体験入部したバスケチームで、「敵にわざとパスし続けるという奇行に走り、初日で追放された」と書いていますね。失礼ですが、そんな人がゲームのプロデュースというのは難しそう。「仕事ができないのがバレて退職」とあります。どれぐらい勤めたのですか。

 正社員として働いたのは3年間です。

――コミカルに書かれていますが、じつは精神的に追い詰められていたのでは。

 そうですね。自分で勝手に追い詰めた、みたいな。精神的にグッタリして、マッサージとか週2回行っていたんですよ。その時間だけ解放される感じ。「ちょっとカネの使い方間違っているな」と思って、深夜に近くのジムに行ってとにかく全力疾走する。もう心臓が爆発するほど走って、「ああ、疲れた」って思ったら、精神的な疲れが飛んでいました。今思うと結構やばかった。

――走り切ることで、それこそ「無我の境地」に。

 現実をぶっ飛ばす。とにかく息をめっちゃする。体がやばくなることで、その現実を1回飛ばしていたんだと思います。

――退職してすぐ、鹿児島に移住。それにしても、なぜ鹿児島に?

 高校の先輩が総務省の官僚をやっていたんですけど、鹿児島県のある自治体の副町長として赴任していて、「会いに行ってみよう」みたいな感じで行ったら、「来たらいいやん!」ってなって、それで移住したんです。鹿児島では地域の教育プログラムに従事しました。全国の通信制高校とコラボし、農家や水産業のひとたちの家に生徒を呼んでホームステイしてもらい、そのホームステイ先の事業のサイトを作ろう、みたいな。

――面白そうですね。でも、そこでは人間関係に悩んでしまった、と。

 そうっすね。役所の考えもあるし、漁師さん、農家さん、弁当屋さん、バスを手配したときのバス会社の人……「この人はどこどこの地域の人で、この人とこの人の仲が悪いんじゃないか?」って、ややこしい感じだった。僕も田舎育ちだから、「誰かに何か言われている気がする」というのが、すごく気になっちゃって、わりと病みました。

――それで東京に戻って、こんどはお笑い芸人に。また唐突ですね。

 最初、鹿児島で1カ月間だけ、芸人をやっていたんですが、「いや、これ、劇場でやんないと駄目じゃん」とか思って、東京に行きました。「事務所に属するのは絶対無理」と思って、フリーのピン芸人になりました。先輩芸人の師匠は芝山大輔さん。昔、フワちゃんとコンビを組んでいて、解散後に作家になった方です。その方に見ていただいて、中野の地下の劇場でやっていました。

――2019年には「R-1グランプリ」に出場。どんなネタを?

 うわっ、ちょっと恥ずかしすぎて他人に言ってないんですけど、「炊飯器と喋るネタ」みたいな、ちょっとよくわかんない着地になりましたね。そのときは結婚して2年とかだったのかな。そのネタがつまらなすぎたのが原因で離婚しました。「自分の中でちょっとでも光が見えるなら」と思っていたんですけど、本当に漆黒の闇で、まったく何の光も見えなかったんです。

「包み込まれている安心感」

――それで引退して離婚して無職になって、大阪府岬町の「実家の布団に一生入ってる」生活に。

 はい。

――まず、自己啓発書を読もうとしたけれども、生理的に受けつけなかった。西洋哲学の本を手にしたけれど、「生き方」に興味がない人ばかりで断念。それでたどり着いたのが「東洋哲学」。

 はい。感覚としては「安心感」「安堵感」がきた感がします。「べつに大丈夫」「それでもいい」というか。東京のIT企業で頑張っている状態よりも、何もない、むしろそういう「幻」から距離があり、ある意味「目が覚めている状態」の方が、東洋哲学的に言うと望ましい状態である、みたいな考え方。読んだとき、包み込まれている感じがあったんです。当時、鈴木大拙の本を読んでいたんですけど、「意味は全然わかんないけど、なんか読んでいて心地いい」というか。めちゃくちゃ印象的で不思議な感覚でした。

――そうして得た知見を、「note」にまとめたのが、編集者の目に留まり、今回の刊行へ。ブッダ、龍樹など7人の人たちを紹介するなかで、特に愛してやまない人っていますか。

 みんな平等に好きなんですけど、「禅」は、自分が「東洋哲学っていいな」って思うきっかけになりました。達磨大師に強い思い入れがあるわけじゃないんですけど。強い思い入れがあるのは最後の章に入れた空海さん。何となく「さん」付けで呼びたくなる。今、わりと修行に連れてってもらったりしているんですけど、その人たち、空海さんの信仰の中の人たちで、思い入れは深い。僕も和歌山の近くの出身なので、(高野山の)そういう文化圏で育ったというのもあります。

――空海さんってすごく「陽キャ」なんですって。

 はい。そうっすね、「陽キャ」。本当に気持ちいい人だったんだろうなと思って。明るくて。あと「強い」。覇気がある人だったんだって感じがします。政治のドロドロしたところにもパンって入っていって。でもそれでも、仏教者としての清廉潔白さが失われないところがすごいと思っています。

――拝読していて、空海さんはビジネス書として採用できる人ですが、それ以外は、ちょっと「無職が読む本」みたいな感じになる気が……。

 いや、そうだと思います。結構、世の中の「東洋哲学をビジネスに生かそう」みたいな本って、どっちかといえば論語とか儒教とかになる。僕は性格的に儒教が合わなかったので、老荘思想を選んだんですけど。老荘思想も、ビジネス書にしちゃうと歪んじゃうと思うんですよね。「ビジネスで頑張ろう」みたいなことを全然言っていない人たちなのに、無理やり紐づけると本来の特徴を失っちゃう。最後、空海さんで締めないと、ビジネスマンが読む本にならないだろうっていう感覚はありました。

ブッダ
王子時代なら、教室のはしで窓の外をながめているタイプ。

龍樹
クラスメートはおろか先生まで論破する、超面倒なタイプ。

老子
そもそも教室にいない。校庭で草と同化している。

荘子
一度たりとも学校にきたことがない。

達磨大師
無言。教室の後ろの壁にむかってずっと座っている。

親鸞
テストでわざと0点をとりつづけて退学になった。
(本書より)

――だって老子は「草」だし、荘子は「学校に一度も来ない」し。

 そうですね。老子ってわりと政治的なことも語っているんで、取り入れられないわけではないとは思うんですけど、でも、特に荘子は、ビジネスには一番反対側の人なのかなっていう感じはします。

一人ひとりの心の平安がつくれるなら

――執筆が3年半にも及んだとのことです。巻末に記された膨大な参考文献の数を見ると、「そりゃあ時間かかるよな」。書いていて大変だったこと、意外な発見、執筆中に心が動いたことは。

 今とかも結構、葛藤・矛盾があるんです。今、売れ行きが積み上がっていって(7月20日現在、7万5000部)、「もっと売れたら嬉しいな」とか思って、1日中エゴサーチして感想を読もうと思っているんですけど、書いてるときは悩んでいました。自分が東洋哲学のことを、「これ、いいでしょ」みたいな感じで書くという行為自体、他人には「そういう承認欲求から自由になればいいじゃん」って書いておきながら、自分がなっていない矛盾。

 そこで最後の章を空海さんで締めるっていうのは、そこのヒントにもなる。書きながら、矛盾が解きほぐれていった感じはあります。今の「数字を追う」ことに関すると、空海さんは別に否定しないんですよ。より影響力を持ちたい、みたいな、ただの執着になっちゃうんですけど、より多くの人に東洋哲学の考え方が届くことによって、いろいろ間を飛ばすと、世界平和に繋がるというのが空海さんの考え方です。

――もっと俯瞰した視点なのですね。

 二元論的なものの考え方って、どうしても「悪役」を作っちゃいがち。一人ひとりの心の持ちようで、何が悪者って決められないと思っていて。現実は全部フィクションであるからして、本質的に悪だっていうものは存在しない。自分自身、一人ひとりの心がちゃんと収まっている、平安な状態であることが、積み重なっていけばいい。僕も、きな臭い時代だな、イヤだなと思っているんですけど、ちょっとでも自分ができることだったら、この本を多くの人に届けたい。たとえばアメリカや中国など多くの国の人にも読んでもらいたい。それで一人ひとりの心の平安がつくれるなら、そこに一石を投じたいという思いはあります。

――心の平安がつくれれば、争いは起こらないですね。

 だから「3万部売れました」「10万部売れました!」みたいなことは、空海さん的には「それ全然いいじゃん」みたいな考え方なんですよね。「大欲」っていう考え方。一つ折り合いがつき、自分の中でしっくりくるようになりました。

――しんめいPさん曰く「会社員で死んで、地方移住で死んで、無職で死んで、離婚で死んだ」からこそ、「空っぽ」になれたからこそたどり着いた境地であるし、説得力があります。それがとても平易な表現でテンポよく読めて、もっと東洋哲学の深淵を知りたい気持ちになります。

 最初はもう苦しくて、「この1冊で終わりにしよう」みたいな感じだったのですが、今回書いたのは、ピラミッドで言うところの上の部分だけ世に出せた感じ。書きたかった下の部分がまとめきれていないんです。具体的に言うと、ブッダが示した「苦しみが生まれる構造」を、現代の言葉でわかりやすく、バシッと原因究明した上で、後の章で出てくる人たちが、どうアプローチしたのかまでつなげて書きたい。

――今回の本で興味を持った読者が、2冊目として深度を増していく本になるのがいいですね。

 はい。そうなれば嬉しいです。でもそれが何年かかるか怖すぎて、具体的に「やりましょう」とは全然言えないんです(笑)。

インタビューを音声でも!

 好書好日編集部がお送りするポッドキャスト「本好きの昼休み」で、しんめいPさんのインタビューを音声でお聴きいただけます。