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書評委員の「夏に読みたい3点」①隠岐さや香さん、小澤英実さん、酒井正さん、椹木野衣さん、野矢茂樹さん

隠岐さや香さん(東京大学教授)

①パイドロス(プラトン著、藤沢令夫訳、岩波文庫・935円)
②植物と帝国(ロンダ・シービンガー著、小川眞里子、弓削尚子訳、工作舎・4180円)
③危機の中の学問の自由(羽田貴史、広渡清吾、水島朝穂、宮田由紀夫、栗島智明著、岩波ブックレット・682円)

 夏空の下で鳴く蟬(せみ)は、①によると寝食を忘れて歌い続けた人の生まれ変わりだそうだ。哲学の古典である本書は読みやすくはないが、随所に不朽の煌(きら)めきがある。特にソクラテスが「神々から与えられる狂気」として恋を語る場面は美しい。
 ②はフェミニズムの視点からの科学史書。近代科学の発展する18世紀の欧州では、カリブ海から伝えられた中絶薬の普及がむしろ妨げられ、女性の身体に関する無知が作られたという。知識は差別的な思想により抹殺されることもある。
 自由な知を保障する「学問の自由」が実は人権の問題でもあることは意外と知られていない。③は国際的動向を踏まえてわかりやすく説明した書物。日本学術会議や大学のあるべき姿も論じている。

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小澤英実さん(東京学芸大学准教授)

①いろいろな幽霊(ケヴィン・ブロックマイヤー著、市田泉訳、東京創元社・2640円)
②初夏ものがたり(山尾悠子著、酒井駒子絵、ちくま文庫・1100円)
③ドクロ(ジョン・クラッセン著、柴田元幸訳、スイッチ・パブリッシング・2970円)

 怖い話が苦手な人にもお薦めの、風変わりな「怪談」を。①2ページほどの掌編を100話収めた短編集。コンパクトながら、人はもちろん、動物や物、自然や時間や言葉の霊まで、あらゆる取りそろえはさながら幽霊の百科事典。霊に迫る多彩なアプローチは幽霊の認識論としても読める。少しずつじっくり読みたい濃密さだ。②不思議な日本人ビジネスマン・タキ氏の仕事は、会いたい生者と過ごすひとときの時間を死者に与えること。酒井駒子のカラー挿絵がベストマッチ。③逃亡するオティラは、森の奥の屋敷に住むしゃべるドクロと出会う。書かれていることの何倍も、書かれていない謎が満ち、大人と子どもが想像でどこまでも話を書き継げる。うちの7歳の娘の大のお気に入りです。

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酒井正さん(法政大学教授)

①JFK:「アメリカの世紀」の新星 上・下(フレドリック・ロゲヴァル著、高月園子訳、白水社・上6600円、下6930円)
②キリスト教とローマ帝国(ロドニー・スターク著、穐田信子訳、新教出版社・3520円)
③見ることの塩 上・下(四方田犬彦著、河出文庫・各1320円)

 宥和(ゆうわ)主義者の父と国際感覚に優れた次男。①を読むと、ケネディ家が当時の国際情勢といかに密接に関わっていたかがわかる。米国東部の「ガラスの天井」を打ち破ろうとする父子の物語としても感動する。②は、ユダヤ教の改革運動に過ぎなかったキリスト教が抜きんでるようになった理由を、現代の新興宗教を参考にして分析。キリスト教は必ずしも持たざる者の宗教だったわけではなく、教育水準の高い人々の間に広まったという。マーケティング書のようでもある。③は、著者が今から20年前にイスラエル/パレスチナと旧ユーゴに滞在した記録。前者は、目に塩を擦りつけられるがごとくにいまだ凝視することが苦しい。だが、まずは紀行文として浸ってみてはどうだろうか。

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椹木野衣さん(美術批評家)

①あの素晴しい日々(加藤和彦、前田祥丈著、牧村憲一監修、百年舎・3300円)
②毎日あほうだんす 横浜寿町の日雇い哲学者 西川紀光の世界 完全版(トム・ギル著、キョートット出版・1980円)
③14歳 1(楳図かずお著、小学館・3680円)

 ①は5月に出たばかり。再出版ゆえ書評では取り上げなかった。が、同月から加藤和彦をめぐるドキュメント映画も公開された。加藤に関心を持つ者にとっては夏の読書にうってつけだ。かくいうわたしも加藤の「ヨーロッパ三部作」に浸りきり。②は横浜・寿町での長い「日雇い」暮らしの果てに膨大な読書を経て類のない「思想」を獲得した西川紀光をめぐる聞き取りの完全版。「ヨコハマトリエンナーレ2020」芸術監督のラクス・メディア・コレクティヴは「西川の黙想はストリートを宇宙につなぐ」と彼を評価する。宇宙といえば中国発のSF『三体』の超絶的な想像力が話題だが、③はあらゆる面でこれを凌駕(りょうが)し、さらなる未来を予見させる。1990年に連載開始とは驚く。

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野矢茂樹さん(立正大学教授)

①カラマーゾフの兄弟 全5巻(ドストエフスキー著、亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫・692円~1132円)
②第一阿房列車(内田百閒著、新潮文庫・693円)
③Ambarvalia・旅人かへらず(西脇順三郎著、講談社文芸文庫・1925円)

 夏休み。大長編。そこで、カラマーゾフの兄弟。なに、最初の100ページほどがまんすればかなり面白くなってきます。読み終えれば名だたる名峰を征服したような達成感が得られることまちがいなし。
 次は内田百閒の阿房(あほう)列車。ただ鉄道に乗るだけの随筆。まったく無目的なので、着いたらそのまま帰ってくる。天邪鬼(あまのじゃく)なので観光地などには寄らない。部屋にいながら、阿房列車の旅に出てください。第二、第三と旅は続きます。
 夏休みに一人旅という人。いいですね。西脇順三郎の詩集を忍ばせて行きましょう。例えば「やぶがらし」と一言書いてあるだけなのに、乾いた感傷が立ちのぼってくる。景色が変わります。

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>朝日新聞書評委員の「夏に読みたい3点」②はこちら

>朝日新聞書評委員の「夏に読みたい3点」③はこちら

>朝日新聞書評委員の「夏に読みたい3点」④はこちら