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行成薫さんの読んできた本たち 「名も無き世界のエンドロール」の原動力になった伊坂幸太郎作品(後編)

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>【前編】行成薫さんの読んできた本たち 「グイン・サーガ」と「ぼくら」シリーズが埋め尽くした自室の本棚

「ブログと作家デビュー」

――大学卒業後は、ミュージシャンとして活動を続けられていたわけですか。

行成:大学時代に入っていた事務所を退所して、卒業単位を取り終えてすぐロンドンへ行き、大学卒業した後の夏にロンドンから帰ってきて、東京に出ました。最初の事務所の講師が移籍した音楽事務所に誘われて、インディーズでライブ出たりCD作ったりなどの活動をしていました。

 その間、平日は派遣社員として働いておりました。そこでITの知識をつけて、29の時にSEとして正社員になりました。

 僕の中で29って区切りの歳だったんです。28までは若者で、29からは大人というイメージがありました。なので28までに芽が出なかったから諦めようということで、就職をしました。その会社が、結構、出張が多くて忙しいところで。

 そこで転機になったのが小説を書き始めたことでした。僕は20代の中盤からブログを始めていたんですが、就職後出張が多くなって、その移動時間を埋めるために長編小説を書きはじめたんです。 ブログを始めた時、コンテンツのひとつとして短編小説も載せていたら、ブログの読者でリアルでも友達になった人に本をプレゼントされて。それが町田康さんの『屈辱ポンチ』で、「文章が似てるね」って言われて渡されました。僕はああいう文体で書いていたわけではないんですけれど。

 町田さんも音楽をやってらっしゃるので、リズムとかテンポが文章から伝わってくる。で、悪い意味ではなくて、一見ふざけているような感じじゃないですか。小説ってこんなに自由でいいんだと思いました。もともと自分が小中学校時代に読んできたのは格調高い歴史小説とか明治大正昭和の文豪が書いたものだったので、小説って難しいものだというイメージがあったんです。でも町田さんの小説を読むと、話し言葉のように書いてあったので、ぶっ飛びました(笑)。

――ご自身がブログに短篇小説を書き始めたのは、もともと物語を作るのが好きだったからですか。

行成:なんというか、小説を書いたりすることに気構えみたいなものがなかったんですよ。中学校の時に夏休みの宿題で創作文を書くこともあったし、お話を作るということに関してはなにも抵抗がなかったんです。

 で、町田さんを読み、自分ももっとやってみようと思って書いていくなかで、また「文体が似てますね」と言われたのが伊坂幸太郎さん。それで読んでみたのが『アヒルと鴨のコインロッカー』で、大はまりしました。

――それまで地元仙台の大人気作家、伊坂さんを知らなったのですか? 

行成:たぶん、伊坂さんが『ゴールデンスランバー』で本屋大賞を受賞されたりして注目されていた時期だったんじゃないかなと思うんですけれど、まったく知らなかったんです。文体が似ていると言われてはじめて、「あ、仙台の人じゃん」っていう感じで(笑)。

 それで『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだら、地元の動物園とかが出てくるんです。その後映画化もされていましたけれど、ロケ地の大学キャンパスが僕の母校なんですよ。

 ということで、栗本薫以来の作家読みをはじめ、それで、自分もこういうものを書いてみたいと思ったんです。

――で、書いてみたわけですか。

行成:そうですね。短篇を何本か書きつつ、長篇も何回かチャレンジしたんですけれど、全然お話にならなくて。

 その頃、インターネット上だけでやりとりしている小説好きの友達が、よくお題を出してくれたんです。その人に向けて長篇を書くことにして、一章書いたら送って読んでもらって、また一章書いたら送って...という流れで書きあげたのが、『名も無き世界のエンドロール』でした。

――2012年に小説すばる新人賞を受賞したデビュー作ですね。

行成:『アヒルと鴨のコインロッカー』のような、テンポがよくて、最後に怒涛の伏線回収がある小説を書いてみたくて、自分なりに「アヒルと鴨」をベースに、オリジナルの話と組み合わせてリミックスするようなイメージで書いたものです 。あの構造を使いつつ、プロットも何もないまま一章書いてはその人に送っていました。映画の「レオン」と組み合わせたラストのワンアイデアだけはあったんです。あのラストシーンを書きたいと思って書き始めて、なんとか最後まで書きったら、「せっかく書いたんだからどこかの新人賞に出したらいいじゃん」と言われて。「どの賞に出せばいいと思う?」と訊いたら「たぶんエンタメだと思うよ」と言われ、自分はエンタメと純文学の区別もついていなくて調べてみたら、小説すばる新人賞がいちばん応募数が多かったので、そこに決めました。

――応募数多いと競争率も高いとは考えなかったのですか。

行成:いや、まさか受賞するなんて思っていないじゃないですか。今の自分のレベルで一次や二次を通過したら、今後趣味として投稿していくのもいいかなと思ったんです。一次で落ちたらたぶん才能がないんだろうから、投稿はこれでやめて、完全に自分の趣味として好きにやっていこう、って。

――そしたら受賞の知らせがきたという。

行成:噓でしょ、と思いました。でもそう思いつつ、過去の受賞作とかも読んでいたので、意外と受け入れてもらえるんじゃないかという気もしていました。村山由佳さんの『天使の卵』や朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』、天野純希さんの『桃山ビート・トライブ』などを読むなかで、三崎亜記さんの『となり町戦争』を読んだ時、こういう世界観が通るんだったら、『名も無き世界のエンドロール』もはまるかもしれないなと思いました。日常っぽいけれどなんかと違う、みたいな、ちょっと浮いた世界観が僕自身も好きでした。

――そして、デビューを果たして...。

行成:そこから3年間、本を出せていないんです。書けなかった。やっぱり全然力不足の状態なのにワンアイデアで受賞しちゃって。技術も何もないのにポテンシャル採用されてしまった感じです。

 勤め先でものすごく忙しい部署にいたので、会社に言って別の部署に回してもらったんです。そうしたら、そこがシステムが全然築けていなくて、僕が一から作らなきゃいけなくなって。誰がどういうことをするとか、こういう依頼がきらたこうする、といったことを一から作っていたら、むしろすごい激務になっちゃったんですね。勤務先も遠くなったので家に帰ってくると11時12時の世界で、そこから小説を書いて朝4時くらいに寝て、みたいな生活を送っていたら身体がついていけなくなったので、退職することになりました。

――いつ辞められたのですか。

行成:受賞して3年経った頃、2作目の『バイバイ・バディ』が出る直前です。あれは会社を辞めて一気に仕上げました。当時の編集さんにめちゃくちゃ尻を叩かれまくって書きました(笑)。

「現代小説を摂取する」

――その頃の読書生活はいかがですか。

行成:デビュー前の2年間からデビュー直後のまだ時間があった頃は、現代小説をいっぱい読んでいました。それは今でも影響を受けていると思います。横山秀夫さんの『半落ち』とか、乙一さんの『暗いところで待ち合わせ』とか、万城目学さんの『鴨川ホルモー』とか。桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』はあのキャラ設定であんな結末になるんだとびっくりしたし、奥田英朗さんの『サウスバウンド』は、僕は角川文庫版で読んだのですが、上下巻で全然違うのがすごいなと思いました。あれは家族の話ですが、上巻では活動家ではちゃめちゃで嫌な父親が、下巻で沖縄に舞台を移した瞬間にすごく格好よく見えてくるんですよね。その価値観の逆転と、きれいな構成が好きでした。

 他に貴志祐介さんの『黒い家』は、本を読んではじめて途中でページを飛ばしました。怖くて(笑)。東野圭吾さんの『容疑者Xの献身』も読んで、すごく綺麗な作品だなと感じました。

――そういう時の読書って、わりと技術的なことを意識して読みますか、それとも純粋に読者として楽しみますか。

行成:僕、作家にとってはいい読者 だと思うんですよ。あまり勉強という考え方はなく、とりあえず作者に身を任せて読んで普通に驚いてます。デビューして間もない頃、座談会でお会いした葉真中顕さんの 『ロスト・ケア』を買って読んだ時も、見事にやられましたし。

――読書記録などはつけていますか。

行成:まったくつけないです。記録をつけるほど読んでいないと思うんですけれど、そもそも収集癖がないんです。小さい頃、ビックリマンシールが流行していた時も、僕は友達からチョコをもらっていたタイプで(笑)、シールは要らなかった。本も、読んだ記録をつけるために読むとなると本末転倒かなと思っています。

――どの本をいつ読んだか忘れてしまいませんか。

行成:ああ、本当に申し訳ないんですけれど、読んだ本の内容はほぼ忘れますよね。読んだ本を一言一句憶えているような人もいますが、僕はそういうタイプではないです。でも、読んだ時の感情とか、すごく印象に残ったことは憶えているので、無駄になってはないと思っています。

 なので、知り合いの作家さんの本も、読んだのに内容を忘れてしまうので、会った時に突っ込まれるとやばいなと思っています(笑)。

 自分が読書をした時にとにかくキャラクターの名前を覚えられないので、自分の作品では、なるべくニックネームで呼ばせたり、カタカナ表記にして単純化するなどして、読者の方に憶えてもらおうとしています。

「実は同じ町が舞台の作品」

――その後、小説を書く時のテーマなどはどのようにして決めていっているのですか。

行成:僕は基本的に編集さんとの雑談から拾っていく感じです。だいたい、僕がふざけたことを言って、編集さんがキョトンとするので、そのリアクションによって「こうだったらいいんじゃないですか」とか「こういう作品ありましたよ」などと話しながら、自分の引き出しにあるものを組み合わせていきます。

――たとえば『ヒーローの選択』や、ささやかな特殊能力を持つ人たちが登場する『僕らだって扉くらい開けられる』などの初期の頃から、特別ではない人たちが一歩踏み出す姿を描いて、読者の背中を押してくれる作品を書かれてきたと思うんです。そういうテイストは、自然とそうなるんですか。

行成:たぶん、技術の問題です。僕はマクロの話が書けないんです。風呂敷をばーんと広げた後に回収できないけれど、書きたいのは超能力だったりする。風呂敷をどこまでも広げられる話を提案しちゃうので、それを400枚の中で結末まで導くにはどうするかというと、ミクロに落とし込む。

 逆を行きたい気持ちもあります。超能力だったらみんなすごい話を想像するから、身近な話に落とし込もう、という。それに、ただのいい話だともう辟易する方も多いので、何か全く別のエッセンスを加えよう、とも思っていますね。普段は交わらない何かと何かを組み合わせようというのは、音楽的な発想ですね。マッシュアップ、みたいな。

 音楽をやっている時からそうだったんです。デジタルミュージックとバンドサウンドを一緒にしたり、ヒップホップみたいな歌唱法とバンドサウンドを一緒にしたり。ベタなジャンルとベタなジャンアルを組みあわせて新しいベタを作るという発想だと思う。

 心情の機微とか、情景描写で読ませるような繊細な文章が上手い人はいっぱいいる。となると僕はベタに徹したい。ベタの良さっていうものを書きたいけれど、ただベタなだけではなく、それをどういうふうに読んでもらえるかを考えるんです。

――宮崎県の書店や図書館の方たちが選ぶ宮崎本大賞を受賞した『本日のメニューは。』は、地方の町を舞台にしたさまざまな飲食店にまつわる連作集でしたね。

行成:小説すばる新人賞受賞後、最初に「小説すばる」に掲載したのが、『本日のメニューは。』の第一話の「四分間で前大作戦 」(雑誌掲載時のタイトルは「中華そば・ふじ屋」)だったんです。その後、「闘え!マンプク食堂」を掲載した時に、料理短篇がふたつあるから料理もので1冊作りましょう、みたいな話になりました。

 料理がテーマになったのはたまたまでした。受賞後第一作短篇のために編集者と打ち合わせしていた時に「好きなものを題材にして短篇を書いてみたらどうですか」と言われて、一応料理かな、みたいな感じで。原点は『美味しんぼ』ですから(笑)。その打ち合わせの時に「ラーメンが好きです」と言ったら「今から食べにいきましょう」と言われ、なぜか編集さんと浅草でラーメン を食べたのを憶えています(笑)。浅草名代らーめん与ろゐ屋でした。

――続篇の『できたてごはんを君に。』でカレーの開発に夢中になる男性も出てきますが、行成さんはそんなふうに凝ったことはありますか。

行成:20代前半くらいの頃はカレーづくりに凝って、池袋にあったスパイスのショップでいろいろ買い込んで作り、新宿3丁目のバーで出させてもらったこともあります。でも、僕以上にカレーに凝っている友達がいて、そいつは間借りして店も出すくらいだったので、僕はカレーからは撤退しました(笑)。

――最初の2篇を書いた時は、同じ町が舞台という設定ではなかったのですか。

行成:じゃないです。けれど、どうせ1冊にまとめるんだったら、何か通底するものがほしいなと思って全部同じ町の話にしました。

 僕の中では、『僕らだって扉くらい開けられる』と『本日のメニューは。』シリーズと『稲荷町グルメロード』は全部同じ町の話 です。登場人物はクロスしていないんですけれど、実はこの店はあれだよね、というのが一行入っています。

『僕らだって~』で、駅前のロータリーの向こう側にある古臭い食堂が出てくるんですけれど、『本日のメニューは。』のキッチンカーの話(「ロコ・モーション」)のところで、駅前にはパチンコ屋と古めかしい中華食堂くらいしかない、というような記述が出てきたりします。他の話でもそういう細かいリンクみたいなものはありますが、誰も分からなくてもいいやと思って書いています。

 小ネタを埋めていくのはすごく好きですね。キャラクターの名前の由来とか。たとえば『僕らだって~』ではサイコメトリー能力者の 御手洗彩子(あやこ)という名前の登場人物が出てきますが、彩子は「サイコ」とも読める。サイコメトリー→サイコ・メトリー→サイコ・ミタライ→御手洗彩子という命名でした(笑)。

――小さい頃から作家志望だったわけではない行成さんですが、作家になって、楽しいなと感じるのはどういう時ですか。

行成:楽しいという感覚はあまりなくて、当たり前のようにやっているというか。それまでも創作が生活の一部みたいな感覚で漫画を描いたり音楽を作ったりしてきたので、その流れで書いています。誰にも相手にされなくていいと思っていたのに、誰かに「面白いですね」と言ってもらえたり、作中の小ネタに気づいて「わーっ」となってもらえたりするので、いいお仕事だなって感じます(笑)。

――その後の読書生活はいかがですか。

行成:3年書けなかった時期を抜けて書き始めてからは、年間1冊読むか読まないかくらいです。別に1冊選び抜いて読むというわけではなく、いただいたから読むとか、たまたま時間が空いていたから読む、とか。

 自分が小説を書いている時にほかの人の小説を読むと引っ張られてしまうので、自分の仕事が一回収まった時じゃないと好きな本が読めないんです。資料本は別です。自分が書くものを題材とした小説とかドキュメンタリーは書店で買ってきて読んでいます。

――資料として小説を読むこともありますか。

行成:あります。たとえば 超能力ものである『僕らだって扉くらい開けられる』の連載前には、設定が近そうな中田永一さんの『私は存在が空気』を読みました。他の作家さんがその題材をどういう切り口で書いているのかを確かめて、そのアイデアは外すんです。被っちゃいけないので。

「新作と今後について」

――新刊の『ジンが願いをかなえてくれない』は短篇集です。これはどういう出発点だったのですか。

行成:光文社さんの「小説宝石」から短篇のお仕事をいただいたんです。テーマ短篇の競作を2篇ほど書いたときに、「どちらも普段スポットライトが当たらないような人たちの話なので、その方向性で短篇を書いていって1冊にまとめましょう」となって。

――各短篇のテーマは何だったのですか。

行成:「小説宝石」に最初に書いた「ユキはひそかにときめきたい」のテーマは「胸キュン」、「子供部屋おじさんはハグがしたい」が「中年男性」、「妻への言葉が見つからない」が「会えない人」だったかな...。「屋上からは跳ぶしかない」はもともと「4M25」というタイトルで、デビューして間もない2013年に「小説すばる」に書いた短篇でした。今回の本の話をしている時に、編集者さんに「昔こういう話を書いたんですよ」と言ったら収録されることになりました。結構前の短篇なので、いろいろ加筆修正して調整しましたけれど。

――「ユキはひそかにときめきたい」は、娘と一緒にアイドルのコンサートに行った母親が、奇妙な薬を手に入れる話。「妻への言葉が見つからない」は、パソコンのチャットで文章指南している男が、老人男性から相談を受ける話。「屋上からは跳ぶしかない」は契約社員として働く女性が、同じビルのブラック企業らしき会社に勤める青年と屋上で出会う......などと、いろんな状況の人たちが登場するのが面白かったです。テーマを与えられると、そうした人たちが浮かんでくるのですか。

行成:僕は思考の仕方がアーティストタイプじゃなくて、クリエイタータイプというか。自分の表現をしたいということではなく、依頼をいただいたらどれだけ期待に応えるかを考えるんです。なので、お題を出されたほうが割とやりやすかったりします。なにかポンとひとつ、「こういうのはどうですか」と言われたら、そこに自分のエッセンスと組み合わせて「こういう話はどうですか」とやりとりしていくのが僕はやりやすいです。

 今回の表題作の「ジンが願いをかなえてくれない」の時は、「次はテーマフリーで」と言われて、それが一番大変でした(笑)。それで編集者と打ち合わせをさせてもらって、それまで書いてきたなかで「ユキはひそかにときめきたい」だけけファンタジーっぽい短篇なので、もう一篇ファンタジー要素のあるものを書きましょうか、ということになって。

――それで、ランプの魔人であるジンと出会う女子高校生の話となったのですね。行成さん、三題噺とか得意そうですね。

行成:ああ、ブログをやっていた時に、三題噺みたいなことはやりました。先ほど友達がお題をくれた話はしましたが、画像を5枚渡されて、これで小説を1本書け、みたいなこともやっていて。実は「妻への言葉が見つからない」は、当時「ラブ・レター」というタイトルでひとつ書けと言われて書いたものがベースになっています。締め切りまで時間がなくて追い詰められて、過去の自分の作品からヒントをもらってしまいました。

――その結果すごくいい話ができたのだからいいじゃないですか(笑)。最後に収録されている書き下ろしの「パパは野球が下手すぎる」も予想とは違う展開で、すっごくいいお話でした。

行成:そう言ってもらえるならよかったです。

――一日の執筆時間は、何時から何時まで、などと決まっているんですか。

行成:決まってないです。だんだんずれていきます。昼間書いていたのが、気づけば夜に書くようになって、深夜になって、朝型になっている、みたいな(笑)。

――ところで、作詞はもうされていないのですか。10代20代の頃って、どういう歌詞を書かれていたのでしょうか。

行成:当時書いていたものは、ものによりますけれど、どちらかというと恋愛とかではなく、生きづらい、みたいな感じの歌詞だったと思います。

 デビュー後も、作詞の仕事は1回やったことがあります。「KASHIKAプロジェクト」という、アニメPV製作プロジェクトがあって、その第一弾PVとなった「KASHIKA」のシナリオ原案と、歌詞の担当をさせていただいたんです。曲は若いアーティストさんたちを集めてコンペをやって選ぶという形で、僕もついでにボーカルディレクションをちょっとやらせていただいたりして。

――あ、アニメの原案のお仕事もされているんですか。

行成:いえ、それがはじめてです。アニメーターの友人づてに、たまたまそんな話になって、「じゃあやろうか」みたいな感じでした。

――今後そういう活動も広げていくのでしょうか。

行成:ご依頼いただければ全力で頑張ります!お待ちしております!

――小説の執筆活動での今後のご予定は。

行成:秋ぐらいに文庫が一本出る予定で、書き下ろし長篇や文庫シリーズの企画も進行中です。 来年、光文社さんから出るアンソロジーにも参加する予定です。

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