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行成薫さんの読んできた本たち 「グイン・サーガ」と「ぼくら」シリーズが埋め尽くした自室の本棚(前編)

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「第1次ミステリブームと歴史小説」 

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

行成:たぶんこれかな、と思うのは「ノンタン」シリーズ。2歳とか2歳半くらいに読みました。親がわりと本を買ってくれたので、これも買ってもらったんだと思います。そこから幼稚園に入るまでの間は図鑑をいっぱい見ていたらしいんですけれど、その記憶はあまりなくて。幼稚園に入ってからは、星座の図鑑をすごく読んでいたのを憶えています。八十八星座、全部憶えていました。

――実際に星空を見上げて眺めるのが好きだったのでしょうか。

行成:どちらかといと、実際の星空よりも神話のほうが好きだったんですよ。星座にまつわる神話から入って、ギリシャ神話やローマ神話も好きでした。小学校に入ると、たしか1年生の時に読書感想文コンクールで何か賞をもらったのは憶えています。『ファーブル昆虫記』の感想文で、ふんころがしの話について書いたような気がします。

――その頃から自分は本が好きだとか、作文が得意だなといった感覚はありましたか。

行成:いいえ、まったくなかったです。ただ、うちはテレビや漫画やゲームは規制されていて、本だけ無制限でなんでも読んでいいという家でした。なので小さい頃は基本的に、活字を読むしかエンタメを摂取する方法がなかったんです。

――そんなにテレビ制限されていたんですか。

行成:小学校1、2年の時はまだ見ていたんですけれど、3、4年になると、土日は見てもいいけれど平日は午後7時以降の夜の時間は週に30分と制限されました。夕方5時くらいの再放送アニメやドラマは見せてもらっていたと思いますが、夜は、母的には「勉強の時間」という位置づけだったと思います。夕食時はテレビはほぼつけてもらえないので、本を読みながらご飯を食べるのが習慣でした。

 30分というとアニメ1本分なので、厳選しなくてはいけなくて。それで「聖闘士星矢」を見ていました。それが夜の7時からの放送だったんですが、途中でなぜか7時半から放送されていた「ついでにとんちんかん」というギャグマンガのアニメに乗り換えた記憶があります(笑)。

――小学生時代は、図書室でいっぱい本を借りていたのですか。

行成:そうですね。小学校中学年くらいの頃に古典ミステリにはまりました。母がパートに出ていたんですけれど、そこのクリスマス会かなにかで、子供向けの南洋一郎訳の怪盗ルパン全集の『怪盗紳士』 をもらってきたんです。そこからルパンにはまって、シリーズ全巻をばーっと読んで、江戸川乱歩の子供向けの少年探偵団のシリーズを読むようになって。この時、明智小五郎が出ているのだから少年探偵団シリーズだ、と勘違いして、『蜘蛛男』『魔術師』といったグロ乱歩にも手を出したり、名探偵ものだと思って金田一耕助シリーズの『獄門島』『八つ墓村』なども読んでしまい、当時は結構トラウマでした。

 自分の中では、それが第1次ミステリブームみたいなものでした。ただ、シャーロック・ホームズは読まなかったんです。ルパンから入ったので南洋一郎版の『怪盗対名探偵』を読んだんです。講談社文庫版だとタイトルは『ルパン対ホームズ』で、それも読みましたが、ホームズがめっちゃ嫌な奴なんですよね。すごく皮肉屋というか。それで、ホームズは読まなかったです。

 他に、小学校低学年から中学年にかけては海外児童文学もよく読んでいました。ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』やマーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』シリーズ、文学ではヘミングウェイ『老人と海』、『武器よさらば』、カフカ『変身』など。

 あとは、日本の古典~近代文学系ですね。『源氏物語』、『枕草子』、『土佐日記』、『蜻蛉日記』などの現代語訳、江戸時代の読本では『東海道中膝栗毛』、『南総里見八犬伝』、『四谷怪談』『仮名手本忠臣蔵』など。近代文学は芥川龍之介の初期の「蜘蛛の糸」、「羅生門」、「鼻」、「芋粥」などの寓話系のもの、あとは太宰治、夏目漱石、石川啄木、宮沢賢治とか。好きだったのは、壺井栄の『二十四の瞳』、山本有三の『路傍の石』。『路傍の石』はたぶん、1964年版の映画が人生で初めて号泣した映像作品だったと思います。

 小学校高学年の頃、なぜか当時流行ったシドニィ・シェルダンも読んだと思います。『ゲームの達人』、『明日があるなら』、『真夜中は別の顔』とか。

 それと、なぜか父親が持っていた村上龍の『限りなく透明に近いブルー』も読みましたが、意味は半分ほどしかわからなかったかと。

 ちょっと変わっていたのが、学校で横山光輝の『三国志』がすごく流行っていたことですね。なんですけれど、自分は漫画を読めないので話についていけない。それで親に「読みたい」と言って買ってきてもらったのが、吉川英治の『三国志』でした。吉川英治歴史時代文庫の33巻から40巻で、それも読みました。

――子供向けのものではなく、いきなり?

行成:はい。なので小学校3、4年生の時はちょっと理解できなくて、小学校5年生くらいになってからようやくがっつり読み出しました。学校の担任の先生に「貸してくれ」と言われて貸したりして(笑)。

――小学生にとっては難しい漢字や表現も多かったと思いますが、読めました?

行成:当時の本は後ろに索引みたいなものがついていて、難しい言葉を説明してくれていたんです。それで「刎頸の交わり」みたいな言葉を知りました。もちろん、読みが分からなくてすっ飛ばした漢字もありましたが。

――読んでみて、やっぱり面白かったですか。

行成:面白かったですね。やっぱりエンタメに飢えていたので(笑)。

 たまに「読みたい」と言ったら親が漫画を買ってくれることもあったんですけれど、それが『キン肉マン』の第17巻 だったりするんです。それを何回も何回も読んでいました。ゲームもみんなが夢中になってやっている時は買ってもらえなくて、半年後くらいに親の気まぐれで「ドラゴンクエストⅢ」を買ってもらえて 、それをずっとやっていました。当時はファミコン全盛期で、その次の「ドラゴンクエストⅣ」は貯めたお小遣いで発売日にゲットしました。そのほかのソフトは、だいたい、誕生日かクリスマスにねだって買ってもらうか、自分で貯めたお小遣いで中古ゲームを買う、という感じでした。1989年には「ゲームボーイ」、1990年に「スーパーファミコン」が発売され、持っている友達も多くいましたが、それらは買ってもらえず、自腹購入もダメで、中学入学から高校卒業までゲームは禁止されます。

 ゲームを買ってもらえなかった時期は、ゲームブックや攻略本をよく読んでいました。だから、「ゲームを持っていないのになぜか攻略法をよく知っている」ってことで、友達んちに呼ばれるんですよ(笑)。で、「そっちに行くとこれがあるよ」みたいなことを後ろから言っていました。

 僕は一人っ子で家で遊び相手がいないので、小学生時代はそんなふうに、エンタメを全部本から吸収していました。あとはラジオとパソコンくらい。

――あ、パソコンはもう使っていましたか。

行成:小学校6年生の時に、貯めていたお年玉+親のお金で、自分専用のものを買いました。まだDOS/V の時代です。動機は不純でした。当時ってパソコンにバンドルソフトがついていて、それでゲームができたんです。中学時代に買ったパソコンには「信長の野望」がバンドルされていて、それで遊びながら吉川英治や山岡荘八といった歴史小説にはまっていきました。

 流れとしては、学研まんがの偉人伝みたいなものを全部読んで、そこから歴史小説にいった、という感じだたったと思います。いちばん好きだったのは山岡荘八歴史文庫の『伊達政宗』でしたね。別に自分が生まれ育ったのが仙台市内だったからというわけではなく、無作為に読むなかで素直に面白かったんです。それに、小学校2年生の時に見た大河ドラマの「独眼竜政宗」の渡辺謙さんが格好よかった。

 大河ドラマは日曜日放送なので見ることができたんです(笑)。3年生の時に放送された中井貴一さんの「武田信玄 」、4年生の時の大原麗子さんの「春日局」、5年生の時の西田敏行さんと鹿賀丈史さんの「翔ぶが如く」なんかも憶えています。

 当時は、小説というと歴史ものやミステリとかのことだと思っていました。まだ現代小説という概念がなかったですね。読んだことがなかった。

――じゃあ、まだ全然、将来作家になろうということも思っていないんですね。

行成:まったく思ってないです。でも休み時間によく友達と漫画を描いたりしていて、物語を作るのはすごく好きでした。テストの答案用紙にいたずら書きをしたりもしていました。

――行成さんは絵がお上手だそうですね。

行成:いや、そんなにうまくないです。ペン画というか、シャーペンでしか書けないですし。

 いま思い出しましたが、小学校5、6年生の頃に、みんながゲームブックの影響を受けて、漫画を文章するってことをやり始めたんです。ノベライズというか(笑)。今でいうラノベみたいなものをみんなで書いていました。完成させられなかったんですけれど。

 最初は手書きで書いていたんですが、父親からカシオワードHW-955をもらってからはワープロで書いていた記憶があります。ごついわりに画面が小さく、3行くらいしか表示できないやつでした。小6でパソコンも買いましたがプリンタがなかったので、執筆はその古めかしいワープロでやっていました。今のノートパソコンみたいな形状の、NECの「文豪」シリーズにあこがれていた気がします。

――当時、将来なりたいものってありましたか。

行成:将来の夢みたいなものは、幼稚園から小学校まで毎年変わるくらい適当なことを言っていました。

 でも、中学2年の進路相談の時に、担任の先生になぜか「小説家になる」と言ったのを思い出しました。先生は「頑張ってね」と笑っていました。本気で小説家になるなどとは全然思っていなかったのですが、夏休みの宿題で創作文を書いたりしていたので、思い付きで言ったと思います。

――習い事やスポーツは何かやっていましたか。

行成:小学生の時は水泳を習っていました。喘息持ちだったので、サッカーや野球などはできなかったんです。あとは、近所の知り合いのところでお習字を習ったり、エレクトーン教室に通ったり。今はもう全然弾けないですけれど。

「第2次ミステリブーム」

――その後、ミステリ系の読書は広がりましたか。

行成:小学校高学年から中学1年の頭にかけて海外ミステリを読んでいたと思います。それが僕の中の第2次ミステリブームでした。きっかけは、学研まんがの探偵特集みたいなのを読んだことですね。古典ミステリの登場人物をかいつまんで紹介していて、その時になぜか刺さったのがエラリー・クイーンだったんですね。実際に読んで好きだったのはエラリー・クイーンシリーズじゃなくて、『Xの悲劇』などのドルリー・レーンシリーズでした。最初から子供向けのものでなく、普通の訳のものを読みました。

 ちょうど中学校に入ってテレビの規制が和らいできた頃にNHKでポアロのドラマシリーズ もやっていて、それを見て『オリエント急行の殺人』や『ABC殺人事件』などクリスティーの原作も読んだ気がします。

――テレビや漫画以外に、親御さんから何か厳しく言われたことってありましたか。

行成:親父はノータッチなんですけれど、母親は割と勉強させたがりだったと思います。小学校低学年から中学年くらいまでの間は、ずっと国語の教科書まるまる1冊暗記させられていました。教科書って、「ごんぎつね」のような物語と、ドキュメンタリーと、ちょっと倫理っぽい話が載っているんですよね。そのなかではやっぱり物語がいちばん好きだったと思います。

 中学に入ってから規制も緩くなって、自分のお小遣いで「ジャンプ」が買えるようになりました。その頃には『ドラゴンボール』ももう「セル編 」になっていました(笑)。

――今振り返ってみて、どういう子供だったと思いますか。

行成:腕白で自己中心的だったと思うんですけれど、わりと与えられたものは素直に受け入れていた気もします。

――自己中心的というのは?

行成:自分のオリジナルの何かを作りたいという意識がずっとありました。みんなが「ドラゴンボール」のイラストを描いている横でオリジナルのキャラクターを描いたりとか。それも結局なにかの模倣なんですけれど、少しでもいいのでオリジナルにしたい気持ちがありました。

 あの頃は自分を客観視することを憶えていなかったんですよね。今はバックカメラがあって自分を全部客観視しているんですけれど、その頃はまだそのカメラがなくて、視界に映る範囲しか見ずに生きていました。自分が中心だと思っていたんですね。

――クラスの中ではどんなタイプだったと思いますか。リーダー格だったりとか?

行成:リーダー格ではないんですけれど、小学校 5、6年生の頃は中心メンバーの参謀役みたいな感じでした。やっぱり小中学生の頃は、本を読んでいると多少成績がよくなるので、仲間の中の成績いい奴ポジションみたいなところに入って、ご意見番みたいなことをやってました。でも中学生くらいになると、みんなそれが鼻につきだして、ケンカする奴もいました。僕は口が悪くて、その人がいちばん嫌なことをスパッと言ってしまうところがあったんですよね。たぶん一人っ子だったこともあって、我が強いタイプだったと思います。小さい頃から本を読んできて下手にボキャブラリーがあるので、口ゲンカが強いんですよ。体が小さくて背も小さくてケンカしても力で勝てるタイプではなかったので、わりと口で勝って生きていました。

――それは大人に対してもですか?

行成:授業まるまる1時間分を使って先生とケンカしたことがありますね。

 転校してきた子の水着が派手だったんですよ。前の学校で使っていたのがブーメランビキニみたいな、すごく派手な水着で。それをクラスの子にいじられて嫌だといって、学級会で取り上げられたんです。当時の担任の先生がリベラルな考えの持ち主で、「みんな違ってみんないいんだからいじるべきじゃない」ということを言ったんですよね。それで僕は、比較的合理主義的な考えとして、「水着は別に高いものではないし買えば解決するのではないか」みたいなことを言ったんです。そしたら先生も結構熱くなるタイプだったので、ディベートみたいになっちゃって。その先生が『三国志』を貸した先生なんですけれど。

――これまで何度もインタビューでお会いしていますが、行成さんはとても穏やかな方という印象です。

行成:それは大人になってからなので。小中高大と、尖っていた感じです。

――中学時代、ミステリの他にはどんなものを読みましたか。

行成:歴史系はずっと読んでいて、ここからがらっと変わったのが、栗本薫さんの『グイン・サーガ』シリーズにはまったことですね。きっかけは、近所にあった個人経営の古本屋さんで1巻を見つけたことだったと思います。それが自分にとっては、ファンタジーにはじめて触れた経験でした。

――その頃もう何巻まで出てました?

行成:40巻くらい。あのシリーズは僕が生まれた1979年に始まっているんです。なので中学生になった時にはもう13年分刊行されているので、古本屋で集めるだけでも大変でした。

 そうだ、忘れてた、小学生の時に家の本棚をほぼ占拠していたのは宗田理さんです。『ぼくらの七日間戦争』の映画がやっていて、その予告編を見たのがきっかけで読んだんだと思います。

 小中時代は、学研まんがや図鑑などもあって、結構な冊数の本を持っていました。でかいサイドボードを本棚にして、それが『グイン・サーガ』と宗田理の「僕ら」シリーズ、山岡荘八の『徳川家康』、母の実家からもらってきた50冊くらいの古い児童文学全集などでパンパンになったので、サイドボードの上にカラーボックスを無理やり積み上げて本棚にしていました。実家のリビングにある収納棚も、僕がいた頃は学研まんが系の本で埋め尽くされていたと思います。

 大学を卒業して、家を出て一人暮らしを始めたタイミングで、実家に残していった僕の本を親が処分したのですが、1.5トントラックの荷台が結構埋まるくらいになったらしいです。僕の部屋は2階にあったので、廃品回収業者さんに「よく床抜けなかったな」と呆れられた、と後で聞きました。

――歴史ものは吉川英治、山岡荘八のほかは読みましたか。

行成:司馬遼太郎にもいったんですけれど、いっちょまえなことを言うと、なんかキャラが合わなかったんです。『国盗り物語』を読んでみたら、織田信長が結構涙もろくていい奴で、それがなんか肌に合わない感じがしました。織田信長には、もっと第六天魔王であってほしいんですよ。山岡荘八の『徳川家康』では、織田信長って人を利用して苦しめる嫌な奴じゃないですか。

 他は、中学校の頃に藤沢周平を読むようになりました。最初は親が文春文庫の『蝉しぐれ』を買ってきてくれて、そこから剣豪ものにはまっていきました。

――読書以外になにかエンタメは摂取しましたか。映画とか。

行成:映画は小学校3年生くらいの一時期、毎週レンタルビデオ店に行って親が1本、僕が1本チョイスしてそれを土曜日の昼間に観るという習慣があったんです。その頃はめちゃくちゃ映画を観ていました。

 親チョイスで見たもので記憶に残っているのは「アマデウス」かな。エレクトーンを習っているとモーツァルトの曲は必ず習うので親近感があったし、天才天才と言われてきた人が結構下品な奴だったとというのが印象に残りました。たぶんそのあたりから、実はこうでした、みたいな視点の切り替えとか、歴史の裏を知るのがすごく好きになっていった気がします。マッカーサーがマザコンだっとか、森鴎外の子供の名前が当時としては変わっているとか、そういうエピソードがすごく好きになって。

――そういう豆知識は、どこから得ていたんですか。

行成:本からですね。中学生の頃は雑学本も読んでいて、クラスでもわりと「雑学野郎」みたいな扱いだったと思います。英語の先生が社会の教師の免許も持っていて、授業を受け持っていたんですが、もともと英語が専門で歴史を教えるのは慣れていないのか、授業の時に、よく「で、いいよね? あってるよね?」って聞かれました。

――日本史も世界史も詳しかったんですか。

行成:歴史作家さんの知識量に比べたらまったくもって大したことないです。

 世界史では、好きな年代がありますね。古代ローマとか、大航海時代とか。でもやっぱり歴史小説を読んでいるので、日本史のほうが知っていたし、面白かったですね。戦国時代が好きで、幕末はそんなにはまらなかったです。司馬遼太郎にはまらず幕末ものはあまり読まなかったからかも。

――やっぱり好きな時代・歴史小説作家 というと...。

行成:吉川英治、山岡荘八、藤沢周平が三本柱ですね。藤沢だけちょっと毛色が違いますけれど。吉川英治は『新・水滸伝』が絶筆で、途中で終わちゃっているのがすごく悲しいですね。

 そういえば、池波正太郎の「鬼平」シリーズも一時期はまって読んでました。いつの時期だったかうろ覚えで...。藤沢周平の剣豪ものにはまったあたりから、池波正太郎の『剣客商売』を読み、『鬼平犯科帳』にいったという流れだったかもしれないです。僕が小説に食事風景やグルメを出す、というところは池波正太郎に影響されているかもしれません。

 ほかに大学の頃に、伯父から黒岩重吾の『天の川の太陽』を借りて、それも当時、めちゃめちゃ面白いと思って読んでいた記憶があります。日本の古代が舞台の小説が少ないので、新鮮だったんだと思います。

――『新・水滸伝』も読まれていたということは、中国の歴史ものもいろいろ読まれたのですか。

行成:四大奇書は読んでいます。『三国志演義』、『西遊記』、『水滸伝』、『金瓶梅』。

 講談社文庫の安能務訳の『封神演義 』も読みました。それで武侠小説にはまった時期があるんですよね。金庸さんとか。『碧血剣』、『射鵰英雄伝』、『神鵰剣俠』などを読みました。

 武侠映画も結構見ています。武侠小説の『臥虎蔵龍』が原作の「グリーン・ディスティニー 」のような映画もありますし。そういえば小学生の頃に見た、「新・桃太郎」みたいな台湾映画もありましたね。桃太郎がカンフーアクションしてました(笑)。当時大流行した、キョンシーシリーズの制作陣が手掛けた作品で、小学校時代のサブカル好き連中には人気の作品でした。

「音楽活動と第3次ミステリブーム」

――高校時代の読書生活はいかがでしたか。

行成:それがまた大変革なんですが、高校3年間はほぼ本を読んでいないです。

 高1の時にバンドを組んで、創作活動が作曲とか作詞のほうに向かっていったので、本はいったん横に置かれてしまいました。

 中学時代、僕はバレーボール部だったんですが、3年生の時に試合であっさり負けて引退が決まったんです。そうしたら合唱部にスカウトされたんですよ。合唱部の顧問が音楽の先生で、授業で僕が高い声が出るタイプだと知っていたので、声をかけてきて。それで、その当時の同級生と一緒に、その後バンドを始めました。

 当時流行っていたロック系って、Ⅹとか、結構声が高かったんですよね。女の子をボーカルにしてやっているバンドも多いなか、「お前、歌ってよ」って誘われて。中学時代にギターも始めたんですけれど手が小さくて全然弾けず、高校になってから弾けるようになりました。

――そして自分で作詞作曲もするようになって...。

行成:でも、みんなはコピーをしたいんですよね。僕はオリジナルをやりたいけれど、みんながついてきてくれないから一人でやっていました。同じクラスに宅録をやっているやつがいて、そいつと仲良くなって一緒に録音したりしていました。曲を作ってラジオに送ったりもしました。実際に送った曲がかかったこともありました。

――それで、本はまったく読まず。

行成:そうですね。高校は男子校で、僕は人文学科みたいなものがある高校に行きたかったんですが、親にも先生にも「もっと上を狙いなさい」みたいなことを言われて、間違って男子校の進学校に行ってしまって。 共学の高校に行って、文学好き女子と好きな本の話をしながら一緒に帰る、みたいな高校生活を送りたかったです(笑)。

――本以外のエンタメで、創作活動に影響があったと思うものは。

行成:高校を卒業した3月にプレイステーションで「ゼノギアス」を始めました。めちゃくちゃ世界観が作りこまれていて、面白かった。それをクリアした後に「ファイナルファンタジーⅦ 」を買ったんですが、その世界観というか死生観が自分の中のベースになっちゃいました。

――どういう死生観なんですか。

行成:人間とか生きとし生けるものが死ぬと、ライフストリームという星の中の意志みたいなものに取り込まれ、それがまた表に出てきて人や生物になっていくという。天国や地獄があるとかいう世界観より、そういう流れの中に人間がいるという考え方のほうが自分にはしっくりきました。遅い中二病みたいな感じでした。

――行成さんは格闘技もお好きですよね。それはいつ頃目覚めたんですか。

行成:小学校5年生くらい。新日本プロレスから入りました。小5の頃から、「ワールドプロレスリング」という新日本プロレスの中継が夕方の時間帯に放送されるようになったのでちらちら見るようになって、それと同時にケーブルテレビで昔の全日本プロレスの録画映像も見ていました。

 本格的にドはまりしたのは中学生の頃で、 親が寝た後にテレビを見ようとしたら、「ワールドプロレスリング」が深夜に放送されていたんです。中3の頃だったと思います。その頃は闘魂三銃士時代で、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の三人が活躍 していました。クラスでもプロレスブームが広がりました。僕は、自分が広めたと今でも思っているんですが諸説あります(笑)。中学校時代はよくプロレスの技をかけあっていました。まさかの後に小説を書くとは思いませんでしたが。

――『立ち上がれ、何度でも』(単行本版のタイトル『ストロング・スタイル』を文庫化の際に改題)ですね。他の格闘技もお好きでしたか。

行成:ボクシングも見ました。うちの母親はプロレスは嫌いだったんですけれど、なぜかボクシングは嫌いじゃないというタイプで。僕が小学5年の時にマイク・タイソンが東京ドーム に来たり、中学3年の時に辰吉丈一郎と薬師寺保栄が試合したりしていたのを、母も見ていました。

 中学時代にパンクラスとかが始まりましたし、空手とか総合格闘技とかも一通り見たと思います。K-1の第一回大会があったのは中学2年だった1993年で、以降、2010年まで毎年見続けています。その影響で、24歳くらいから賞をいただく直前までキックボクシングをもやっていました。ちなみに令和2年から昨年まではボクシングもやっていました(笑)。

――大学は地元の大学に進まれたのですか。

行成:そうです。文系の人間科学系の学部に進みました。その頃はもう勉強に関しては燃え尽きていたので、のんびりできる大学を選びました。大学にはほぼ寝に行っていました。授業時間が唯一の睡眠時間みたいな...。

――授業以外の時間は何をやっていたんですか。

行成:コンビニの夜勤を週3、4でやっていました。それ以外は、友達とどこかに行ったり、人んち泊まって料理して帰ってきたり。

――あ、行成さんは『本日のメニューは。』など料理をモチーフとして小説も書かれていますが、その頃からもう料理が好きだったのですか。

行成:親が働きに出ていたので、小学校の頃から小腹が減った時は自分で何か作っていたんです。高校生の頃も、夜中お腹がすいたら夕食の残りをアレンジしたりして。大学になると一人暮らしの友達もできて、料理作れないっていうから行ってご飯を作ってみんなで食べていました。

――料理のセンスがあったんですね。

行成:僕らの世代は『美味しんぼ』ですよ(笑)。理髪店に『美味しんぼ』があって、行くたびに読み漁るんですよね。食べたことがないのに頭だけは肥えていく。今でもそんなに上手いわけじゃないですけれど、キッチンに立つのが普通という感覚です。

――音楽活動は。

行成:大学は軽音部に入っていましたが、まともに活動したのは2年くらいで、大学3年の頃に東京の音楽事務所のオーディションに引っかかって、研究生みたいな扱いでボイトレに通っていました。

――大学生時代、本を読む時間はありましたか。

行成:高校を卒業した後に家でも全エンタメが解禁になり、ゲームもできるしテレビも映画も観られるようになったので、エンタメ吸収元としての本というものの存在感は薄まった時期でもありました。

 ただ、大学生の頃に第3次ミステリブームが来て、島田荘司さんとかを読むようになります。ようやく現代小説にたどり着いたんです。

――島田さんを読んだきっかけというのは。

行成:大学3年、4年の時、彼女がロンドンに留学していたんです。休みの時に遊びに行ったら、彼女がルームシェアしている日本人の子がミステリ好きで、それで借りて読んではまりました。島田さんのミステリでいちばん好きだったのは『アトポス』。あれも歴史が関わる話ですよね。

 あとは京極夏彦先生。『姑獲鳥の夏』などの京極堂シリーズのノベルスから読み始めました。あわせて藤沢周平の『たそがれ清兵衛』などの剣豪小説にもはまっていました。

 それと、友達に本をよく読む子がいて『三国志』の話などもできたので、その影響で『三国志』リバイバルが来ました。『グイン・サーガ』なども読みなおしの時期がありましたね。

――読み返すにしても時間がかかりそうです。

行成:『グイン・サーガ』はもう80巻近く 出ていましたから、これは読み終わらないなと思っていたら、本当に終わりませんでした(笑)。

――そういえばその後、漫画は読まれたのですか。

行成:高校から大学にかけてはまったのは『うしおととら 』と『ベルセルク』かな。やっぱりストーリーが面白くて、構造がすごくしっかりしている作品が好きでした。あとはなんだろう、ボクシング漫画の『はじめの一歩 』とか、『殺し屋1』とか。基本的に血なまぐさい漫画が多いですね(笑)。大人になってからは、映画のほうが多いかもしれません。

――映画はどういうものが好きですか。

行成:やっぱりストーリーと構造がしっかりしているものが好みなので、いちばん好きなのはクリストファー・ノーラン。頭を使わされる映画が好きです。

「マトリックス」とかだって、ただのアクションだと思ってみていると、めちゃくちゃ裏の設定がすごいじゃないですか。そういう作品にはまりがちです。自分が書いているものには直結していないんですけれど、そういうところからエッセンスを持ってきているとは思います。

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