黒い森 千早茜

 都会の生まれではないせいか、都内で暮らしていると、ときどき緑が恋しくなる。京都に住んでいる時はまだましだった。市内は山に囲まれているし、京都御所の近くだったので気ままに散歩に行けた。東京に越す時は代々木公園の近くを選んだ。どちらも、夜は植物の湿り気を帯びた青い匂いが流れてきた。

 しかし、今は近所に大きな公園がない。森もない。私にとっての公園や森の定義は樹々(きぎ)によって車道の音が遮られる場所だ。

 夫も緑が恋しくなるようで、半年に一度ほど山奥の温泉宿を予約する。先月は岩手に向かった。車の窓を流れる色はひたすら緑だった。「安らぐねえ」と期待を高め、宿につくと部屋は渓流に面しており、露天風呂と渓流の水音しかしなかった。渓流の向こうは森だった。仰ぐほどに樹々がそびえ立ち、緑の壁のようだった。青い香りが降ってくる。

 森を眺めて過ごした。緑は時間によって色を変えた。朝は靄(もや)がかかり、暑い昼間は涼しげで、夜になると森は夜よりも暗くなった。黒い壁が視界を覆い、風が吹くとざわざわした気配のみが伝わってきた。

 日暮れ時、大浴場の露天風呂に一人で浸(つか)かっていると、宿の人の言葉を思いだした。河原にハクビシンや狐(きつね)や狸(たぬき)、鹿などがやってくるそうだ。たまに熊も見かけるらしい。怯(おび)える私に「川は渡ってきませんよ」と宿の人は笑ったが本当だろうか。湯に浸かっているのに背筋が寒くなった。だんだん薄暗くなっていくにつれ、森の緑は濃くなっていく。露天風呂の岩陰も洞のように黒い。そんな中、裸の自分の皮膚が異様に軟なものに見えた。筋肉の少ない体が湯の中で揺れている。まるで孵化(ふか)したての幼虫のように頼りない。こんな肉体では自然の中ではとても生きられない、と思った。呼吸が浅くなるほど怖くなり、そそくさと湯をでたが、都会に戻った今はまた恋しくなっている。安らぎではなく自然や闇の恐怖を感じたくて緑を求めているのかもしれない。=朝日新聞2024年7月31日掲載