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「海岸通り」書評 優しくない世界への切実な啖呵

評者: 吉田伸子 / 朝⽇新聞掲載:2024年08月24日
海岸通り 著者:坂崎 かおる 出版社:文藝春秋 ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784163918815
発売⽇: 2024/07/10
サイズ: 12.7×19.4cm/128p

「海岸通り」 [著]坂崎かおる

 海辺にある「雲母園」という老人ホーム。その庭には、「海岸通り」という名のバス停がある。認知症が進んだ入所者が家に帰りたくなった時、「クールダウンのような場」として機能する「ニセモノ」のバス停だ。
 本書の主人公、クズミさんは、その「雲母園」で働く派遣の清掃員。掃除が趣味で特技でもあるクズミさんは、園内もバス停もぴかぴかに磨き上げる。
 仕事が丁寧なクズミさんは、「何かのために、誰かのために働くのがイヤで、この仕事を選んだ」。だから、同僚の神崎さん(要領はいいけれど、仕事は雑)が、夫の転勤で仕事を辞めることになり、勤務日を増やしてもらえないかと打診されても、応じない。
 神崎さんの穴埋めとして「雲母園」にやって来たのが、ウガンダ人のマリアさんだ。一カ月の試用期間、クズミさんがサポート役を務めることに……。
 と、こんなふうに〝枠〟を書き連ねても、本書の芯には近づかない。恐らくは、意識的に誰とも繫がってこなかったクズミさんの世界に、思いがけず入り込んできたのがマリアさんなのだけど、では、マリアさんと友情を育む物語なのかというと、違う。
 じゃぁ、なんなんだ?
 本書を読みながらずっと考えていた。けれど、物語の終盤、「誰も言ってくれなかった言葉ばかり口にするマリアさん」のために、クズミさんがエリアマネージャーに対して、声を荒(あら)げるシーンを読んで、はっと気づく。
 大して原価をかけていないお弁当で、マリアさんから500円をしれっと受け取る(お釣りはなし)、宴会で、神崎さんが頼んだ刺し盛りの中トロ(二切れしかない)を、ちゃっかり食べてしまう、そんなクズミさんが、マリアさんのために、感情を迸(ほとばし)らせる。それは、クズミさんにもマリアさんにも優しくない世界への、クズミさんの啖呵(たんか)だ。その切実な響きこそが、本書なのだ、と。
    ◇
さかさき・かおる 「ベルを鳴らして」で第77回日本推理作家協会賞(短編部門)。著書に『噓つき姫』。