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群馬編 空っ風の下、人々のタフな営み 文芸評論家・斎藤美奈子

溶岩流のあとが残り、浅間山の大噴火を今日に伝える鬼押出し園=群馬県嬬恋村

 県の中央を貫く利根川。東西南北を結ぶ鉄道と高速道路。今も昔も群馬県は交通の要衝である。温泉地も多く、多くの文人に愛された。

 明治期の大ベストセラー、徳冨蘆花(ろか)『不如帰(ほととぎす)』(1900年/岩波文庫)は伊香保温泉(渋川市)からスタートする。主人公の浪子は新婚旅行でここに来たのだ。林芙美子『浮雲』(1951年/新潮文庫)はその逆で、戦時中、外地で不倫関係に至った男女が別れを意識し、心中するつもりで伊香保を訪れる。

 どちらも要はメロドラマで、作中には一種の虚無感が漂う。榛名山中腹の温泉はいっときの癒やし。非日常感が不吉な未来を予感させる。

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 さて、上州名物といえば、山から吹き下ろす空っ風。そのイメージも手伝ってか、群馬がからんだ小説はどこかハードボイルドだ。

 といえばまず、笹沢左保『木枯し紋次郎』シリーズ(1971~99年/光文社文庫・新潮文庫)だろう。左頰の刀傷。三度笠に長楊枝(ようじ)。天保年間、赤城山に近い新田郡三日月村(モデルは太田市藪塚町)で生まれ、10歳で家を出て諸国をさまよう天涯孤独の無宿渡世人。ドラマで有名になった作品だが、原作は文庫版で20巻超の連作短編集である。二十数年ぶりに彼が一時的に故郷の地を踏むのは第6巻。〈あっしには、関わりのねえことで〉と口にしながら関わってしまうのがこの人で、結局ここでも彼は長脇差(ながわきざし)を抜く。吹きすさぶ強風と砂ぼこり。嫌みなほどにクールな世界だ。

 〈母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?/ええ、夏碓氷(うすひ)から霧積(きりづみ)へ行くみちで〉というフレーズに覚えのある人はもう少ない? 映画も大ヒットした森村誠一『人間の証明』(1976年/角川文庫)は西条八十の右の詩をモチーフにした社会派推理小説だ。東京のホテルで殺害された黒い肌の青年。彼は〈日本のキスミーに行く〉という謎の言葉と1冊の詩集を残していた。キスミーとは詩の中の霧積温泉(安中市)かと推測した刑事は横川駅からこの地に向かうが……。信越線の横川―軽井沢間が廃線になる前の物語。群馬の秘境とニューヨークが一本の線でつながる奇想に脱帽!

 火山はときに大きな厄災をもたらす。1783(天明3)年、浅間山が噴火。北麓(ほくろく)の鎌原村(現嬬恋村)は村ごと土石流にのみ込まれ、570人の人口の8割を失った。

 赤神諒(りょう)『火山に馳(は)す』(2023年/KADOKAWA)は日本のポンペイとも称されるこの村の半年間を描いた意欲作。幕府勘定吟味役の根岸九郎左衛門は奇策を出す。無謀にも、生き残った者たちで新しい家族をつくれというのだ。天明の飢饉(ききん)の一因となり、現在は鬼押出し園などに痕跡が残る大噴火がリアルな人間ドラマとしてよみがえった。

 一転、舞台は現代。横山秀夫『クライマーズ・ハイ』(2003年/文春文庫)は1985年の日航ジャンボ機墜落事故に直面した地方紙の奮闘を描く。墜落地点は上野村の御巣鷹の尾根。北関東新聞の「日航全権デスク」を任された悠木は地元紙のプライドにかけて独自の記事を出そうとあがくが、社内政治が行く手をはばむ。〈日航をトップから外すわけにはいきません。五百二十人は群馬で死んだんです〉。ぎりぎりでスクープを見送った取材班。事故に勝者の高揚は似合わない。報道現場を介した鎮魂の書といえるだろう。

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 群馬県で近年脚光を浴びたのが10年前に世界文化遺産に登録された富岡製糸場(富岡市)である。1872(明治5)年に開設された本邦初の官営製糸工場で、当時のようすは最初期の伝習工女だった和田(旧姓横田)英の回想録『富岡日記』(ちくま文庫)に詳しい。

 信州松代の旧士族の家に生まれ10代半ばで富岡に来た英。藤井清美『明治ガールズ』(2017年/KADOKAWA)はその横田英を主人公にした青春群像劇である。群馬は古来、養蚕、製糸、絹織物が盛んな地。上州名物「かかあ天下」も働き者で現金収入のある妻は天下一だと讃(たた)える語だった。出ていった人、住み続ける人、外から来た人、上州の人々はみんなタフ。製糸工場が劣悪化する前の、近代製糸にかける潑剌(はつらつ)たる少女たちの姿がまぶしい。=朝日新聞2024年9月7日掲載