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「生きのびるための事務」坂口恭平さん・道草晴子さんインタビュー「破天荒でいるために、徹底的な『事務』がある」

坂口恭平さん(左)と道草晴子さん=田野英知撮影(画像を一部加工しています)

破天荒でいるために「事務」を徹底する

──発行部数が7万部を突破、反響が広がっていますね。『生きのびるための事務』は坂口さんが2021年6月から13回に渡ってnoteに投稿された内容がベースになっていますが、そもそもどうして「事務」について書こうと思ったのでしょうか?

坂口:事務って要するに「段取り」という生活技術なんですよ。目標と現在のギャップを埋めるための段取りです。

 アーティストやお店をやっている人、やりたいことを仕事にしている人の中には、事務の意識が欠落しているが故に苦しんでいる人が本当に多いのでどうにかできたらいいなと思ったんです。

 ビジネス書を開いてみても「とにかくやれ」「限界まで挑戦しろ」みたいに抽象的なものが多くて、例えば「いくら稼いだ」「当時の全財産はいくらだった」という具体的な内容って書かれていないことがほとんどなんですよね。

──たしかに、すでに成功した人のストーリーや自己啓発的な内容が多いかもしれません。

坂口:だから、とにかく具体的な数字や方法を交えた、僕が好きなことだけをしながら暮らせるようになるまでの「段取り」を書いています。

 僕は10代の頃から、成功しているクリエイターがどうやって暮らしをマネージメントして、どうやって成功していったのかを探すのが趣味だったんです。

 広尾の中央図書館に通って「どうやって生き延びたんだろう」と色々な人の生活習慣や日課を調べていましたね。僕は音楽もアートも執筆もしていて「破天荒な人」だと思われがちなんですけど、破天荒でいるための後ろ盾として、そうした徹底的な事務があるんです。

道草:確かにこの本は、幸せになるために進むべき方向ではなくて、その人がすでに決めた方向に進むためには何が必要で、どう段取りをしていくべきかがテーマになっていますね。

──道草さんは、全編の漫画化を担当されています。もともと坂口さんとは親交があったのでしょうか?

道草:坂口さんは電話番号を公表していて、生きるのが辛いなって思ったときに電話をかけると無料で人生相談にのってくれる「いのっちの電話」というサービスをやっているんですけど、実は私、6年くらい前に電話をしたことがあるんです。

 そのときに「漫画を描いていきたいんだね。じゃあ最低いくら必要だからこれくらいの収入がキープできればいいね」「その方法でやると利益率がこれくらいになってしまうから、こっちの方が良いぞ」「うまく描こうとしなくていいんだよ」といった感じで現状を抜け出すための具体的なアドバイスをくれたのを覚えています。

── まさに、『生きのびるための事務』で描かれていることに通じますね。

道草:そうですね。抽象的な励ましの言葉をもらうよりも、そういった輪郭を鮮明にする作業に私は救われました。

事務をキャラ化した「ジム」の存在意義

──「事務」についての漫画を描くうえで、一般的な漫画を描くときと異なる点はありましたか?

道草:「事務」という言葉を聞くと身構えてしまう人も多いと思いますが、私は経済誌やビジネス書をたくさん読んできたので、イメージはつきやすかったですね。

── 経済やビジネスへの関心、道草さんの作風からすると意外な印象です。

道草:漫画家としてはかなり珍しいと思います。

 私は漫画を描くときに内容を整理して論理的にしすぎる癖があるので、気をつけないと作品がのっぺりしちゃうのですが、坂口さんの話はダイナミックで動きがあるので、いい感じに相殺できているんじゃないかな。

 この漫画を描くときも、まず坂口さんは「楽しんでやろう」と言ってくれたので、そういった私たちの熱量も相まって、純粋に漫画としても面白いものができたんじゃないかと思います。

道草さんが持ってきてくれた『生きのびるための事務』の原画

──確かに漫画として面白くて、一気に読めました。「事務」をキャラ化した存在である「ジム」はどうやって誕生したのですか?

坂口:ジムはnoteでこのシリーズを書き始めたときに、気づいたらいたんですよね。原稿を書いたら推敲もしないでその日に公開するので、後から「なんかジムってキャラいるじゃん」みたいな......。

 漫画に出てくるジムのゆる〜い温度感は、すごく道草さんに似ていると思います(笑)。

 結果論になってしまいますが、人格と事務能力を切り離してキャラにしたことは理にかなっていたなと思います。

 主人公である僕が事務を遂行するたびに、ジムは「できます」「その調子」「どうせ上手くいく」と自分の事務力を肯定してくれる。自分のやっていることを自分で認めてあげる行為が苦手な人はすごく多いじゃないですか。

「事務」をキャラとして人格と完全に分けてしまえば「今日はこんな段取りを成し遂げた。僕のジムが褒めてくれているぞ」といった感じで自分の行動を少しは認めやすくなるのかなと思います。

 SNSには「私のジムはこんな性格」「僕のはもう少しこんな感じ」という投稿も結構あって面白いなと思いますね。

──自分を肯定することも「事務」ということでしょうか。

坂口:むしろそれが基礎として一番大切なんじゃないでしょうか。

 人格そのものへの自己肯定ではなくて、あくまでも「段取りに乗っ取って行動できているか」の肯定ですね。

道草:自己肯定や自己否定という言葉がよく使われる世の中になりましたが、事務の目的は好きなことを続けることなので、それができていれば自己肯定も自己否定も必要ないんですよね。

 その先で好きなものは変わっていくかもしれないし、行き詰まることもあるだろうけど、ただ黙って今好きなことをやっていればいいというか「好きなことを続けるための事務を遂行した」という事実があればいいんです。

坂口:そうそう。何者になりたいかより、何をしていたいかですね。

事務を確立した人の意見は大体「おもろいからやれ」

──「そもそもやりたいことや好きなことが見つからない」という悩みもよく聞きますが、そういった人たちは何から始めたらいいのでしょうか?

坂口:やりたいことや好きなことが見つからないと感じる大きな理由のひとつは、判断基準を他人に委ねていることではないでしょうか。

 価値判断を外に委ねていると、承認欲求が膨れ上がって「これじゃダメ」と自分で色々な選択肢を削ってしまうので、結果的に指針が定まらなくて「やりたいことがない」みたいなことにつながってくるんです。

 生きていれば「これをしてる時間が好き」というものは絶対にあるはずです。それはゲームでもなんでもよくて「じゃあその時間を増やすために何をしたらいい?」と考えて動くことは立派な事務です。やりたいことや好きなことを探すなら、外側ではなく内側を探した方がいいんじゃないかなと思います。

──内側......自分が本当に好きな時間を探すんですね。

坂口:僕も多くの人に「そんなの無理だ」と言われてきましたが、経験したことがないのにそういうことを言ってくるドリームキラーの言葉はスパーっと耳を通り抜けていきます。

 経験者にアドバイスや意見を聞くと大体は「それ面白いから行ってこい」って言われるんですよ。

 その人たちは、すでにその人なりの事務を育てて現在の立ち位置にいるので、やり方次第ではいかようにもなるという共通認識があるんでしょうね。

「お前の言ってることはよくわかんないけど、できるようにする方法を調べて考えて組み立てれば、なんとかなるんでしょ」みたいな。

道草:本当にそうですね。「やめておけ」という助言の背景にあるのは、その人なりの思いやりの場合もあるのですが、事務をせずに生きてきた人の価値観だったりもする。

 好きなことをしてる人はキラキラして見えたりするから、嫉妬も相まってぐちゃっとゆがんでくるんですよね。私も漫画家になるとき「絶対そんなんできるわけないよ」とか「バカなこと言ってる」って笑われたなぁ。

──実際に経験した人からのアドバイスだけ聞けばいい。

坂口:進学や就職においても、よくあることだよね。

 僕は高校のときに先生に「東大に行け」と言われていたのですが、建築家になろうと決めていたので「東大のどの先生に学べばいいですか?」と聞いてみたら「ごめん。俺はそこまでは分からない」という返事が返ってきて。

 それはそれで素直なんですけど、「じゃあ自分で調べます」と言って、建築誌を遡って読み返して見いるうちに、早稲田大学理工学部に「このおっちゃん面白いな」という建築家を見つけて、早稲田大学を受験しました。

 先生に事務を任せたら東大に行っていただろうけど、自分で事務をやると早稲田大学になったんです。

 もちろん東大に入っても、そこから事務をすることに変わりはないので面白い人生を送れていたとは思うんですけど、僕は今の人生を気に入っていますし、進学の際に事務を怠らなくてよかったなと思います。

大学の卒業論文を自家製本した『0円ハウス』は、事務をしたことで出版が実現。

一流は目指さない。事務2.0は「何も課さないこと」

──最近の坂口さんのジムはどんな感じですか?

坂口:ずっと「日課を決める」「段取りを決める」ことを主にしていたんですけど、最近は「事務いらないな」くらいの域まで来ています。事務2.0ですね(笑)。

──おお、事務が次のフェーズに。

坂口:みんな「何かを改良しなきゃいけない」と思い込みすぎているんですよね。

 生産性の呪いもその一種ですが、そういう「課すタイプ」の事務も一時的には必要ですし、それを習得するためにこの本があるわけですが、最近は毎朝「恭平、今のままで、何にも変えなくていいんだよ。絶対に大丈夫だから」といって起きるようになりました。

 誰かに言われたかった言葉なので、自分で言っちゃおうと思って。不安のない状態で生きて、何かが起きたらそれに対処するだけ。「このままじゃダメだ」という気持ちをとことん取り除くことが、今の僕にとっての事務ですね。

道草:私も今、その言葉を求めています!

「漫画を描く」という段取りが明確な分、ペースを落とすのが難しいというか、もっともっと頑張りたい、頑張らなきゃって思っちゃうんですよね。

坂口:あんまり突き詰めすぎると、どれだけ上手く事務が機能していて手応えがあっても苦しくなっちゃうんですよ。

 もちろん技術を磨き続ける面白さや意義もあると思うんですけど、それは一流の方にお任せして、“楽しさファースト”の僕のジムは「全然違うことやりなさい」という感じです。

 絵が上手くなりすぎても「お前、画家じゃないんだから二流でいいはずだろ」とちゃんとジムがツッコんでくれます。

──好きなことがやれるようになったら、次の楽しいことにチャレンジする。

坂口:この本に関しても、正直「100万部を超えたい」みたいなことは思っていなくて、「最終的に10万部になれば素敵じゃないですか」くらいの気持ちです。

 とりあえず二流まではいける本がこれ。一流になりたい人には、一流になるためのジムが各々に出てくると思います。

道草:一流になりたい人も、まずは「なる」より「やる」ですもんね。やり方が分かれば、そのあとは二流だろうと一流だろうと好きなところへ行ける。

 この本を通して、好きなことで生きていきたい人が、生きのびる術を取り入れてくれるといいな。

坂口:どんどん好きなことだけをやる人生を実現して欲しいですね。

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