「やってみよう、やってみよう。やれば何か変わる。かわいい料理本のはじまりはじまり」。そんな帯の文句に誘われて手にした坂口恭平さんの料理本『cook』(晶文社)。
本を開いて目に飛び込んできたのは、坂口さんが日々作った料理やその時々に考えたことをつづった記録の数々。すてきな料理写真に、味のある手書き文字、時にはイラストを交えた、ごくごく私的なノートをそのまま本にしたという感じだ。それだけでも所有欲が湧いたが、トドメは本の最後に収録されたエッセイ「料理とは何か」だった。
料理って、生きることだったのか――。料理から始まるさまざまな思考の先に、現行のお金や価値観にとらわれない生き方があるのかもしれない。『cook』誕生の背景をはじめ、料理をすることで見えてきたことや働くことについて、坂口さんに大いに語ってもらった。
料理を日課にしてみたのがはじまり
――『cook』を読んで、これまで自分が抱いていた料理に対する考え、料理観が変わりました。
そう言ってくれる人、けっこういますね。それこそ主婦の人。毎日ご飯作っている人が料理が楽しくなったみたいです。
『cook』を出して、最初に連絡をくれたのが料理家の土井善晴さんでした。土井さんに「いま私も食べるということより料理を作ることに向かっていて、それこそが幸せなんじゃないかと考えていたら、坂口くんがまさにそういうことを書いていて驚いた。私が何十年もかけて培ってきた知恵の結果、そう思えたのに、どうしてこんなことを考えられたのか」って質問されたんです。それに対して、「いつも死にたくなるからじゃないですか」と答えました。死にそうだから、考えるしかない。自分は躁鬱病で、鬱明けくらいになるといつも料理をしていたんです。土鍋でご飯を炊くっていうのが戻っていくサイン。家族にご飯を作るというのが治った証拠、という。
――『cook』という形で自身の料理日記を残そうと思ったのは、そうした気づきがあったからなのでしょうか?
鬱の時って何か毎日やっていかないと、日常が全て砂の城みたいに崩れていくんですよ。だから何か日課を作ろうと思って、鬱明けの時は料理をするよねって。
料理を日課にすると、だんだん台所が自分の場所になっていきます。それまで台所は嫁さんの場所で、料理の途中で嫁さんから「なんでこういう風に洗わないの?」「こうした方がいい」とか言われると、それだけで自分の空間が崩れていく。だから、『cook』を作っている間、「料理をしているときは何も言わないで」って嫁さんにお願いしました。そしたら、すっごい楽になった。それって仕事場も一緒なんですよ。自分がコントロールできる空間で仕事したらすごくうまくいく。
日課で「レイヤー」が変わる
――私は料理そのものに興味がないわけじゃないんですけど、料理教室に行っても料理するという行為が日常化することもなく、当然ですが上達もあまり感じられなくて、自分は料理には向いていないと思い込んでいました。それは他人のやり方でやろうとしていたからかもしれないですね。でも『cook』で坂口さんが自由に料理をしているのを見て、自分もものすごく料理をしてみたくなりました。それを記録するというのもいいなぁと思って、実は真似しています(笑)。
これ、全部スマホで料理の写真を撮ってコンビニでプリントしてノートに貼っているんですよ。かわいいノートを手に入れて、それを本に仕上げる。基本的に僕は小学校の時のモチベーションのままです。
みんなに僕がどういう生活をしているのかを本気で伝えたかったんです。毎日全部即興で書いていて、これが僕の素直な文章。ただの生活が解像度をあげればあげるほど、全てを飛び越えてすごく豊かなものになる。日課をすればするほど今までとは違うところに目がいくんですよ。
いま花器も作っていて、東京に来たから銀座周辺で手に入る野花だけを生けてみようかなと思っていて。そしたら街が全然違って見える。今日は朝日新聞社の前でサザンカを見つけました。
――え?サザンカなんてありましたか? まったく気づいていなかったです……。日課で自分が今まで見てきたものとは違うところが見えてくるんですね。
僕はそれを昔から「レイヤー」って言っています。そして、日課を作ることで世界を変えずに見えてくるものが変わる。それに気づかされたのがこの本なんですよ。料理からいろいろ気づき始めて、いま鬱になることも躁になることもない。
――継続するということも、また大事なのかなとも思いました。料理って生きている限り何かしらするものだし、継続性もあります。『cook』きっかけで料理してみたら、料理って上手になっていくのが目に見えてわかりやすくて、続ければ続けるほど自己肯定感が増していく感じがしました。料理への苦手意識が取っ払われた気がします。
それって多分、「創造」を取り戻したんだと思うんですよ。できないことができるってなったときに、「創造」が取り戻されていく。「創造」って、なにも芸術家だけにあるものじゃなくて、すべての人に必要なんです。本にも「料理は創造の根源」って書きましたけど、人間は創造するものなんですよ。
でも僕は「自己肯定感」という言葉より、「自分に創造が取り戻された」っていう言葉の方が面白いと思う。だって、自己否定がないと「創造」って進まないから。料理なら、「もうちょっと塩味変えると美味しくなるかも」とか、そういう自己否定が大事で、そうすると創造もいい方に進んでいくんですよ。
――「創造」といえば、料理をするなかでフランスの哲学者ベルクソンの「歓喜のあるところにはどこでも創造がある」という言葉を思い出していましたよね。
僕はベルクソンの影響を受けたんでしょうね。創造と歓喜という概念と、持続するということが日課につながっていったんだと思います。料理を続けていたら、それまでなかなか読めなかったベルクソンの講演記録「意識と生命」が全部読めたんですよ。
(『cook』の最後に収録されている)「料理とは何か」のエッセイ後半は、ベルクソンの哲学を料理に置き換えたもの。ベルクソンは人間は不確定なものを持っていると言っていて、それって言語を使っている人間からすると非常に難しいニュアンスなんですよ。文章を書いていて1日とか数日置いて後から読み直すと全然違うものに見えるっていう、なんとも言えないものがあるでしょ? それを料理の言葉でいうと「煮込めば煮込むほどおいしくなる」とか「翌日まで寝かせるとうまい」とか簡単に伝わる。
――火によって食材が変化する。料理では火を通すことが、そうした不確定な部分と向き合うことでもあるんでしょうね。
不安を隠すための料理ではなく、不安であること、つまり、どうなるのかわからないということが、どれだけ大事なことなのか、それが人間であり、人間の持っている力であるということを感じることができるのが料理なのではないか。(『cook』より)
不確定要素があるということは、逆をいえばそれだけ可能性もあるってことですよね。
それを既存の言葉では「不安」って言っちゃうんですよ。でも、「不安」っていう二文字は、料理で考えると翌日どうなるかわからない、あの待っている時間だと考えるとどうですか? 意味が変わる。
――料理だと何だかポジティブに捉えられます。
しかも、変なポジティブじゃないでしょ。「明日食べるんだから」とか「うまくなるんだから」とか、すごく素直なんですよ。
多分、僕は何のプロかっていうと、プロの素直な人なんですよ。それこそ、小学校の同級生が僕のやっていることを新聞で見たらしくて、電話かかってきて「普通、人間って大人になって食っていくってときに、お金のこととか、いろいろ考えて頭がごちゃごちゃになっちゃうと思うんだけど、恭平くんは何も変わってない」ってびっくりしているんです(笑)。
自分で経済を創造する
――エッセイ部分に出てきた「貯作業」という坂口さん独自の概念も面白かったです。作業を継続して貯めていくことですが、貯められた作業の価値は変わらず、むしろ貯め続けることで磨きがかかって価値が上がる。これって、まさに日課のことですね。そして、料理という日課を通して気づいたことをまとめて本を出し、ツイッター上では入学金1万円で「ルーティン学校」を開校して校長として入学者の日課を一緒に考えて見守るということもしています。日課の先に新たな経済が生まれている。いつも坂口さんは自分で経済を作っている印象があるのですが、これまで坂口さんはどういう働き方をしてきたんでしょうか?
僕はね、まず両親に聞いたんです。「どうやって食っていくんだ?」って。でも二人ともわからなくて、ということは自分で見つけなきゃいけないと高校生の時に思った。
それで大学に入って、どうやってお金を稼ごうかなと考えました。そりゃバイトに行けば稼げますよ。でも、ダメなんです。人間それぞれ違うのに、同じ金額っていうのが意味がわからない。それで、路上でギターを弾いて歌っていたんですよ。ボブ・ディランっぽい曲をいっぱい作って、そういうのをやっていたら1日1万円稼いでいた。
そのまま就職活動をせずに、人の勧めで築地市場で働くことになって廃棄前のメロンを担当していたんです。でも実は、そのメロンが一番うまい。だから切り分けて売るということを発見して、そこで商売の勉強をしたんですよね。たとえば、1玉380円で売っていたものを8カットして1カット100円で売ったら800円になる、とか。やばいでしょ。
――カットすることによって価値が変わっていく!
そうなんです。cookって、そうやって経済を生み出していくことでもあるんで。人が自分ができることを最大限努力して毎日継続していくのが「料理」、つまりは「創造」なんですよ。
築地で働いている間に、卒論をもとにした初めての写真集『0円ハウス』(リトル・モア)を出すことが決まって、築地もだんだん疲れてきてどうしようかなと考えたときに、自分のホテルを作りたかったからホテルの勉強をしようと思って、ヒルトン東京のラウンジボーイになりました。お客さんの誕生日を覚えて誕生日にギターを持って歌ったり、コーヒー1杯をプレゼントしたり。ゲストが喜ぶ方が経済価値があるって僕は見込んでいたから、とにかくマネージャーに怒られてもサービスしまくっていた。でもそれで月に30万円くらいチップをもらってたんですよ。
――経済として成り立つという感覚、嗅覚が鋭いですよね。
稼げるというよりも、経済を作るっていうことを考えているんですよ。自分の何をどうやって経済にするのかって。ほとんどの人はいくら稼ぎたいっていうイメージはあるかもしれないけど、どういう風にやるのか、自分が今までにない経済を作るとか、そういう思考をしている人ってあんまりいないですよね。
うちの娘と息子にも「経済作れ」って言っています。欲しいものがあると見積もりを出してきてね。この間も2人で1万7000円のものが欲しいっていうから、CDを作ろうかって。いままで2人が歌っていたのを全部録音していたから、それを普通のCD―Rに焼いて、表には自分たちで絵を描いて作っていました。それをネット販売してあげて、「こういうのがお金を稼ぐことなんだ」って言っています。
「歌ってお金をもらったとき、どう思った?」って2人に聞いたら、「満たされる」って。満たされるのって、おなかいっぱいになったのと似ているんですよ。その時また大盛りのご飯をもう1杯食べたいかっていったら、いらない。そういう時は人にあげるんです。
――満たされれば「不安」になることもない。自分が満たされるのが大事。
そう、ポイント。そして自分を満たすためには「創造」が必要なんですよ。だから料理をすれば簡単に満たすことができる。
――みんなができる「創造」が料理ってことですね。
それが入り口ですよ。入り口かつ墓場まで続くもの。料理っていうのは、本来の自分が経済を作るうえでの教材というか、練習なんですよね。この『cook』って本は、いわば僕の練習帳。みんなも作って、2冊、3冊と貯めていくといいと思います。