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秘境で人生を思う 澤田瞳子

 たまには日常を離れようと、ある秘境の温泉に泊まった時だ。夕食後、暗く寒い廊下を歩いて女風呂に向かうと、入口に鍵がかかっていた。

 案内によれば、男女ともに四人も入ればいっぱいになる小さな風呂場だ。先に入った誰かが、普段の癖でつい施錠したのだろう。私も時々やるものなあと思いつつ板戸を叩(たた)き、「鍵がかかってますよ」と声をかけた。返事はない。次に、「中で倒れているんじゃ」と思った。私は以前、ある方が施錠された室内で急病で倒れ、結果、救命救急が叶(かな)わなかった場に居合わせた。それを思い出して息をのみ、宿の人を呼ぶべきかと考えていると、かすかに人声が、それも複数のものが聞こえ、「いま出ます!」と女性の声がした。

 いや、鍵さえ開けてくれたら、別に出てくれなくていいんだけど……と考えたところで気が付いた。中にいるのは男女のペアのようだ。いや、そこ、女風呂なんだけど。

 とはいえ、こうなってはしかたがない。見て見ぬふりをするかと廊下の地図を眺めていると、まず男性が一人、私の背後を通って行った。ついで女性が出て来て、「すみません」と小声で謝って去って行った。

 彼らを困らせたかったわけではない。ただ、どうすればよかったのか。部屋に戻り、同行者に相談すると、「入浴中の女性のところに無関係な男性が押し入ったことも考えられるから、自分なら男女とも引き留めて、本当に知り合いですか、宿の人を呼びますかと聞くかな」と返ってきた。なるほど、それもあり得る。とっさの想像力が足りなかった己を恥じたが、一方でそうすることで彼らを更に困らせたかもしれない。

 人生の選択肢はたくさんあって、どれが正しいかは分からない。また自分の想像が目の前の現実と合致するかもまた分からない。いやそもそも、想像を軽々と越える出来事が時に起きるからこそ、人生はかくも驚きに満ちているのだろう。日常を離れた温泉宿で、つくづくそんなことを考えさせられた。=朝日新聞2024年9月25日掲載