噴煙を上げる桜島。28の有人島を含む1200超の島。南北600キロに及ぶ九州南端の鹿児島が歴史の表舞台に躍り出たのは幕末だった。
西郷隆盛、大久保利通の二大巨頭に目が行く中、赤瀬川隼(しゅん)『朝焼けの賦(ふ)』(1992年/講談社文庫)の主人公は西郷の懐刀だった村田新八だ。明治7(1874)年、岩倉使節団の一員として洋行していた新八が帰国すると西郷は大久保と袂(たもと)を分かって鹿児島に帰った後だった。翻意を促すべく郷里に戻った新八は絶句する。〈今決起する理由はない。おはんたち、一体、相手はどこのだれじゃ〉。西南戦争を回避しようと奔走した知性派藩士。世界を見てきた人の無念が身にしみる。
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武士の数が多かった薩摩藩は藩内に多数の外城を置き、下級武士にも郷士(ごうし)などを含む身分制を敷いた。この独特な支配体制と、薩摩軍と政府軍で計1万4千人の死者を出した明治10(1877)年の西南戦争は、後の人々にも影を落とした。
中村きい子『女と刀』(1966年/ちくま文庫)は西南戦争の生き残りである郷士の娘に生まれた女性の一代記だ。家意識にこだわる父の下で成長した主人公のキヲは一度結婚に失敗、再婚した夫との間に8人の子を授かるが、彼女の中には積年の恨みがくすぶっていた。そして戦後、70歳で50年連れ添った夫を捨てるのだ。〈女は死ぬまで『家』というものがもたらす『きまり』とのいくさじゃ〉。キヲのモデルは作者の母。女の戦いの記録である。
戦は続く。太平洋戦争中、本土防衛の最前線となった鹿児島には、有名な知覧の特攻基地のみならず、多数の軍事拠点が置かれた。
梅崎春生『桜島』(1947年/講談社文芸文庫など)は戦争末期、暗号兵として桜島の海軍基地に赴任した下士官が敗戦を迎えるまでを、島尾敏雄『出発は遂(つい)に訪れず』(1964年/新潮文庫)は奄美群島の加計呂麻島とおぼしき南島で特攻艇部隊を率いる隊長が出撃命令を待ちながら迎えた8月15日までの3日間を描いている。どちらも作者の実体験に即した作品。〈崖の上に、落日に染められた桜島岳があった〉(『桜島』)。〈ソテツ並木の坂道が、総員の集合した場所に出て行く私の前に横たわっていた〉(『出発は~』)。国破れて山河ありを地でゆく敗戦の日の情景である。
中脇初枝『神に守られた島』(2018年/講談社文庫『神の島のこどもたち』所収)の舞台は沖永良部島だ。米軍上陸に備える守備隊が常駐し、頭上に特攻機が飛ぶ島。それでも〈特攻隊のおかげで、えらぶにはアメリカが来ないんだよー〉と人々は信じていたが、ラジオも新聞もない島に敗戦の報が届いたのは13日後だった。子どもが語り手のふんわりとした読み心地なのに、この内容。戦後も戦いは終わらず、米国の統治下に入った島の人々は本土復帰運動に突入するのだ。
同じ頃、旧満州から引き揚げてきた一家。〈南風が、馬蹄(ばてい)形の火口壁にせきとめられ、静かな共鳴音をたてていた〉。宮内勝典『南風』(1979年/石風社)は指宿市らしき薩摩半島南端の町の物語だ。敗戦の前年に生まれた明は母の実家があるこの町で育つが「よそ者」の位置から抜けだせない。カツオ漁の一大基地として賑(にぎ)わう町。火山によって形成された圧倒的な自然環境と猥雑(わいざつ)な人々の群れ。5年前に復刊された、少し切ない地域文学の名品である。
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舞台は再び鹿児島市。ここには明治41(1908)年に建てられた石造りの刑務所の門が残る。
山下洋輔『ドバラダ門』(1990年/新潮文庫)はこの刑務所を設計した山下啓次郎が亡き祖父だと知ったジャズピアニストの「おれ」が先祖の足跡を求めて東奔西走する半実録小説だ。啓次郎の父も西南戦争の生き残りだった。ただし警察官僚として西郷を討つ側の。薩摩から見れば敵である。山下家のファミリーヒストリーはしかし脱線と逸脱を重ね、「おれ」の妄想は西郷のドラムと大久保のピアノのジャムセッションにまで飛躍するのだ。えーっ!!
南国の気風なのか、幾多の戦いを経てきた激動の歴史ゆえか、鹿児島の文学には独特の強さと楽天性が宿る。読み応え十分だ。=朝日新聞2024年10月5日掲載