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鯨庭「遠野物語」 民俗学の名著、補足し編み直す

『遠野物語』 鯨庭〈漫画〉 柳田国男〈原作〉 石井正己〈監修・解説〉 KADOKAWA 1320円

 岩手県遠野に残るさまざまな伝承や民間信仰を収めた『遠野物語』。日本の民俗学の発展に寄与した名著を、MASTERPIECE COMICSシリーズの一冊として結び直した作品がこちら。

 「馬と花冠」に描かれるのは、オシラサマという民間信仰の神だ。その背景には、貧しい農家に生まれた娘と馬の異類婚姻譚(たん)がある。「おおかみがいた」には、ある狼(おおかみ)の群れと共に牡鹿(おじか)のような姿をした山神が登場する。

 山で、野で、川べりで起きた不思議な現象。うろたえた人々は、そういった不確かなものに形を与え、長い時間をかけて口承してきたのだろう。それらの物語は、時代という激流の中で細部を失うこともあったはずだ。そんな物語を編み直すにあたり鯨庭(くじらば)は、「私が『補足』した物語」と記している。

 新たな『遠野物語』は、奇譚という言葉では済ますことのできない人と自然、時代と自然の軋轢(あつれき)の記憶をより濃く纏(まと)っている。馬が娘に向ける愛情に満ちた眼差(まなざ)しなど、動物の描写にも感情が乗っており、彼らが対峙(たいじ)する悲しみは、人のそれと変わらないと感じられた。特に見開きで描かれた狼のあるシーンが印象に残った。白黒なのに、青白く燃えているように感じたその炎が、瞳の奥に焼き付いて消えない。=朝日新聞2024年10月5日掲載