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「モモ(絵本版)」訳者・松永美穂さんインタビュー 名作の哲学的なエッセンスを丁寧に凝縮

美しい絵で浮かび上がる「モモ」の世界

――町のはずれの、こわれかけた野外劇場に住んでいる女の子。はじめは怪しむ町の人たちですが、会って話すうちに、みんながその子のことをだんだん好きになり、たくさんの人が会いに行くようになります。名前はモモ。児童文学の名作『モモ』の主人公で、日本でもよく名前を知られた女の子ですね。『モモ(絵本版)』をなぜ訳すことになったのですか。

 出版社から翻訳のお話をいただきました。『モモ』は影響力を持った特別な作品ですから、最初は「私でいいいのかな」とは思いましたが、絵本を訳すのは好きなので、翻訳させていただくことにしました。私自身にとっても『モモ』はエンデ作品の中で一番好きな作品です。

――はじめて『モモ(絵本版)』の原書を見たときはどんなふうに感じましたか。

 こんなに哲学的な内容だったかなとあらためて思いました。同時に、スイス在住のシモーナ・チェッカレッリさんという方の絵がきれいだと思いました。細かく描き込まれ、壮大な場面もあり、モモの顔が知的な感じで描かれているのが印象的だなと。

『モモ(絵本版)』(光文社)より

――黒いちぢれ毛のモモは、どこからやってきたのかもわからない女の子として描かれます。作者のミヒャエル・エンデはドイツ人ですから、子どもの頃に『モモ』を読んだときはドイツの子かと漠然と思っていたのですが、絵本を見ると違うような……。

 モモの友達の、道路掃除のベッポや、観光ガイドのジロラモという名前からして、なんとなくイタリアっぽいですよね。物語の舞台についてはっきりエンデは書いていないと思いますが、古代ギリシャやローマなど、野外劇場で催し物がされていた跡が今も残っている、南ヨーロッパ的な感じがします。

エンデの原文を再構成

――モモは不思議な女の子で、モモと話すだけでみんなが自分のしたいことがはっきりとわかったり、間違いに気づいたりしますね。

 どんな背景を持っている女の子かはわからないけれど、あるとき現れて、みんなの話を聞いてあげて……あらためて読むと不思議な話ですよね。じっくり聞いてくれる人がいると、人は、素直になって語ることができるんだなと思います。

――ケンカしていた大人同士が仲直りしたり、子どもたちもなぜか遊びに集中して夢中になれたりするのが不思議ですね。野外劇場の石段で、子どもたちが遊ぶ場面が、ダイナミックです。

 「モモがそこにいるようになってから、これまでにないほど遊びが楽しくなったのです。もう、一瞬もたいくつすることはありませんでした」「モモはただそこにいて、みんなといっしょに遊ぶだけでした。でも、それだけで――なぜかはわかりませんが――子どもたちにはすごくいい考えがうかんできたのです」と訳したところですね。

 原作は350ページ以上あるハードカバーなので、30ページの絵本になっているのは一部です。でも『モモ(絵本版)』は、よくあるダイジェスト版のようにストーリーを短く書き直したものではなく、原書のエンデの文章をそのまま一部抜き出して構成されています。ですから私が訳した文章も、ほぼエンデの原文通りです。冒頭部分をそのまま絵本に持ってきて、再構成しているのだと思います。

哲学的な背景のあるエンデ作品

――道路掃除のベッポの手もとを描いたシーンも印象的です。

 働く人のこれまでの時間があらわれている手ですよね。確かに、こういった表現は絵本ならではですね。

――絵本のはじめから終わりまで、石造りの野外劇場がどのページにも描かれているので、劇場の石段がまるでもう一つの主人公のようにも見えます。

 ヨーロッパは石造りの古い建築物も多いですから……。昔があり、今があるという、石の劇場が昔と今を繋いでいる感じもしますよね。絵本だと、いろんな風景が自然に入り込んでくるところが面白いです。

『モモ(絵本版)』(光文社)より

――エンデにお会いになったことはありますか?

 残念ながらないのです。ハードカバーの『モモ』を訳された大島かおりさんの勉強会にお邪魔したり、エンデと親しくされていた子安美知子さんの勉強会に学生時代に参加したりしたことはありますが。また、早稲田大学で勤務しはじめた当時、エンデで卒論を書きたいという学生がいたので、そのときに「エンデ全集」(岩波書店)を購入しています。

 私は32歳のときに娘2人を連れてドイツに留学をしているのですが、2人とも日本人学校に通ったので、ドイツ語の本を娘と読むということはありませんでした。日本語訳の『モモ』を読んだのもおそらく私が先で、家に置いておいたら娘も読んでいたという感じだったと思います。

――『モモ』を書いたエンデという人物をどのようにご覧になっていますか。

 とにかく一世を風靡したすごいストーリーテラーだなと。実際に物語が面白く、しかもただ面白いだけじゃなくて哲学的な背景のある作品を書いている作家だなと思います。

 『モモ(絵本版)』の冒頭は、こんなふうにはじまります。「大きいけれど、とてもありふれた秘密があります。みんなに関係があり、だれでもその秘密を知っています」「その秘密とは、時間です」(略)「なぜなら、時間とは、いのちだからです」と。時間についての哲学的な文ですね。

――絵本の中では、鳴かなくなったカナリアや、雨や風までがモモに話をします。松永さんが訳されていて、好きな場面はありますか。

 そうそう、カナリヤや、テントウムシも出てきますね。私はどの場面も好きですが、最後、モモが夜空を見上げるシーンが、絵本ではとくに好きです。モモが円形劇場の石段に座って、星空の声を聞きとろうとするような、小さいけれど力強い音楽が聞こえてくるような……。モモのように耳を傾けるのは、なかなかできないでしょうね。現代はみんなバタバタしていて、なかなか相手の話をじっくり聞いていないことが多いなと思います。

 『モモ(絵本版)』の表紙の絵も好きです。モモが夜空を見上げるシーンを、モモの背中側から描いた絵かなと想像します。

『モモ(絵本版)』(光文社)より

――かつて子どもの頃に読んだとき、『モモ』の冒頭は、モモの聞く力についての描写が丁寧に続くので、灰色の男たちとの攻防にたどりつくまで読むのに時間がかかりました。『モモ(絵本版)』は物語の冒頭部分を読み通す助けになるかもしれませんね。

 そうですね。この絵本が、エンデの物語を読むときの助けになったらいいなと思います。全体で見ると、やっぱり長編物語と絵本は別物、という感じになるかもしれませんけれど。

絵本を訳すのは楽しい

――松永さんはベルンハルト・シュリンクの『朗読者』(新潮社)などをはじめ、大人向けのドイツの現代小説を多数訳されています。近年は『ヨハンナの電車のたび』(西村書店)など絵本の訳も増えていますが、絵本を訳すのはどんな気持ちですか。

 それはもう、すごく楽しくて。子どもに読んでもえらえる、聞いてもらえると思うと楽しいですし、絵があるのも楽しいです。外国語のものを、自分がはじめて訳して、音にして、声に出して読んでみるのもわくわくします。小説だとなかなかそんなふうにはできませんから。

 やっぱり、絵本の存在自体が楽しいものじゃないでしょうか。小説を訳すのは長丁場なので、楽しさもあるけれど、苦しさもあります。もちろん、それを超えた喜びもあるんですけど……。絵本は早く訳し終わって、早く見直すことができるので(笑)。読み手の子どものことも考えながら、言葉や表現を工夫していける楽しさがあります。

――大学では「翻訳論」のゼミを持っているそうですね。

 「翻訳・批評ゼミ」というゼミです。ゼミ生は大学3年生でまず絵本を一冊訳します。私が「この本を訳しましょう」と指定するのではなく、日本で未訳の作品を、まず学生に探してきてもらうことからはじめます。アマゾンなどのインターネット書店でもいいですし、実物を見ないとわからないでしょうから、紀伊國屋書店や丸善などの洋書フロアで探してくることを勧めます。自分がどんな本が好きなのかを意識した方がいいですし、実際に、学生によってはすごく個性のある絵本を選んできたりします。

 訳を発表してもらい、みんなの意見を聞いたり、私が気づいたことを指摘して「もっとこういうふうにしてみるのはどう?」とアイデアを出したり。ゼミの最後の方には、ベテラン編集者の方に見てもらう機会もあり、編集者ならではの視点でアドバイスをもらうこともあります。

 4年生になると卒業制作としてさらに読み応えのある本を一冊訳すという課題があります。私のゼミに入ると、とにかく翻訳しないといけないので、「すごく楽しかった」という学生と「とても辛かった」という学生、両方います(笑)。

――『モモ(絵本版)』はどんな人が読むとよいと思いますか。最後に本書を手に取る人へのメッセージがあればお願いします。

 子どもが読んでも、大人が読んでも、よい絵本だと思います。すべての漢字にふりがなが振ってあるので、小学生の子どもたちも読めます。起承転結がしっかりある長編物語とは違うものではありますが、「時間」や「耳を傾けること」や「今ここにいること」が丁寧に描かれています。『モモ(絵本版)』をまた違った切り口の作品として、楽しんでもらえたらと思います。