心の中に刻まれていた、がらがらどんの思い出
―― 刺繍作家として、一点ものの作品の製作や展示、販売を中心に活動してきたjunoさん。どのような経緯で絵本を作ることになったのですか。
編集の井原美津子さんが、刺繍の動物たちの絵本を作ってみませんかと声をかけてくださったのがきっかけです。連絡をいただいたのが、ちょうど個展用に3匹のやぎが並んだ作品を刺し終えた頃だったので、最初はちょっとドキッとしてしまって。
福音館書店といえば、子どもの頃に母が何度も読み聞かせしてくれたロングセラー絵本『三びきのやぎのがらがらどん』の出版社。やぎを描くなら大、中、小と3匹並べたいと考えたのも、心の中に『三びきのやぎのがらがらどん』の印象が深く残っていたからだと思うんです。もしかして3匹のやぎを刺繍したのがまずかったのかな、なんて思ったりもしましたが、そんなことはなくてほっとしました。
井原さんは私の刺繍作品をInstagramでたまたま見かけて、声をかけてくださったらしくて。SNSのアルゴリズムのおかげでご縁がつながって、うれしく感じています。
―― 絵本作家としてのデビュー作『やぎさんのさんぽ』は、野原に散歩に出かけたやぎさんが、ちょうちょやハリネズミ、かえると出会い、お花畑でたくさん遊び、最後はみんなで眠ってしまう、というお話です。初めての絵本作りの感想は?
難しいなぁと思いました。そもそも赤ちゃん絵本に馴染みがなかったので、最初は「ある天気のいいくさはらに……」みたいな感じの文章を書いてしまっていて。そこから何度も削ぎ落して削ぎ落して、やっと「やぎさん さんぽ とことこ さんぽ」というフレーズにたどり着いたんです。赤ちゃん絵本ってこんなに短いテキストでいいのかと驚きましたし、自分がいかに言葉に頼っているかということも実感しました。
大きな水たまりをぴょーんと飛び越えて、かえるくんから褒められる場面も、最初はやぎさんが「かえるくんのほうが すごいよ」と返すつもりだったんですが、もっと短く「えっへん」に変えました。謙遜せず素直に受け止める方がやぎさんがかわいく見えるし、シンプルな受け答えの方が表情からいろんな気持ちを想像できるなと。そういうところが絵本の魅力だとも感じましたね。
―― やぎさんは、ぬいぐるみのようにふわふわもこもこで、思いのほか立体感がありますね。
ふわもこの部分は、スミルナステッチという技法で刺しています。糸でループを作って刺し進めていく技法で、刺し終わったらループをカットして整えていくんですが、毛を1本1本生やしていくような感覚で刺していくので、仕上げるまでにかなり時間がかかるんです。小さいやぎさんを刺すのに丸2日はかかっていて、1万回くらいは針を抜き差ししていると思います。
私はもう10年以上スミルナステッチで動物を刺していて、『スミルナステッチでつくる ふわもこ動物刺繍』(誠文堂新光社)という本も出しているんですが、スミルナステッチで刺繍する人がなかなか増えないのは、馬鹿らしくなるほど大変だからかもしれません(笑)。
―― 最後は、やぎさんと仲間たちが遊び疲れて、「ぐー すー ぴー ぱたん」と眠って終わります。
おまじないみたいな擬音で、絵本をぱたんと閉じるように、あっけなく終わるのがいいなと思ったんですよね。悩みに悩んで自分で思いついたはずだったんですけど、井原さんから『三びきのやぎのがらがらどん』のラストが「チョキン、パチン、ストン。はなしは おしまい」だと聞いて。私自身はすっかり忘れてたんですけど、がらがらどんのラストの心地よさが記憶の奥底に刻まれていて、無意識に似た感じのフレーズが出てきたのかなと。そのままで行きましょう、と言ってもらえてよかったです。
「遊ぶ」「寝る」「食べる」を絵本のテーマに
―― もうひとつのデビュー作『どこどこ? ねどこ』には、きつね、こりす、ラッコ、白鳥、子猫が登場して、それぞれの場所で眠りにつく様子が描かれています。junoさんの刺す愛らしい動物たちの魅力が満載の一冊です。
『やぎさんのさんぽ』でリズミカルな言葉を並べていく楽しさを知ったので、『どこどこ? ねどこ』のテキストは楽しく作っていくことができました。ただ5種類の動物を決めるまでは、あれこれと検討を重ねましたね。
ラッコは「らっこのねどこ」という響きがかわいいなと、ふと思いついて入れたんです。ラッコといえば、鳥羽水族館のメイちゃんたちが日本で最後のラッコとして注目されていますよね。沖に流されないように、海藻を巻き付けて眠る姿がすごくかわいいんですよ。いろいろと調べているうちに、ラッコが大好きになりました。
野生の動物を中心に描いていますが、この絵本を見る子どもたちにとって身近に感じられる終わり方にしたかったので、最後は家の中で暮らす子猫を登場させました。読み終わったら安心して眠りにつけるような絵本になっていたらなと思います。
―― 最新作『ぱくぱく ぱんだちゃん』は、前2作とは打って変わって登場するのはパンダのみ、植物も笹と草が中心で色数も少なめですが、シンプルな分、パンダの愛らしさが存分に伝わる絵本になりましたね。
『やぎさんのさんぽ』が「遊ぶ」、『どこどこ? ねどこ』が「寝る」をテーマにしていたので、もう1冊は「食べる」にしようと決めました。ウサギやリスなど、いろいろと候補となる動物のパターンを出していく中で、意外といいんじゃない?となったのがパンダでした。
パンダは以前、『スミルナステッチでつくる ふわもこ動物刺繍』で刺したことがあったんですが、そのときは後ろ姿の図柄にしたんですね。というのも、この本は実用書で、読者の方々が刺しやすい図案を提案すべきなので、目の周りの模様は難しいかなと思ったんです。でも、パンダの顔をちゃんと正面から見せてあげたかったなと心残りもあったので、今回絵本で描けてよかったです。
―― よちよち歩きのぱんだちゃんたちが、ぱくぱくもぐもぐ、むしゃむしゃ、あむあむと、ひたすら笹を食べる様子が描かれています。
パンダって実際1日10時間以上かけて、笹を食べているらしいんですよね。人間も赤ちゃんのうちは、ひたすらミルクを飲んで寝るのがお仕事、みたいな時期があるじゃないですか。それがパンダとも重なるなと思って。パンダがよちよちと歩く姿は、ずっと見ていると人間っぽく見えてくるんです。腰回りの白い部分は、紙おむつ姿の赤ちゃんのようにも見えますよね。
―― 原画を見ると、ぱんだちゃんはかなりもこもこと厚みがあるのがわかります。編集の井原さんが、前2作よりも原画が重い気がしたとおっしゃっていました。
丸っこくてむちむちした感じを出したくて、かなりぶ厚く仕上げたからだと思います。わさわさとした竹や、ふさふさの草などもあって、糸をたくさん使いました。一番大変だったのは、5頭のぱんだちゃんが全員集合した最後の見開き。刺し終わるまで、すごく時間がかかりました。
原画ができあがったら、高性能のカメラで真上から撮影してもらってデータ化するんですが、どうしても布にしわが寄ってしまうんですね。『やぎさんのさんぽ』のときは、大きな刺繍枠を買って布をピンと張ったんですが、張るのが大変なわりに、細かなところの伸ばしきれていないしわが気になってしまって。結局、私や井原さんも含め、その場にいるみんなの手で引っ張るのが一番いいね、ということになって、力を合わせてしわを伸ばしながら撮影に臨みました。
一針一針、布の上に命を宿す
―― 動物たちを刺繍する上で大切にしているのはどんなことですか。
まず刺繍したいと思う動物について知ること、ですね。資料を集めて読んだり、野生動物のドキュメンタリー番組を見たりもしますし、保護猫活動をしている知人に子猫を見せてもらったり、上野動物園にパンダを見に行ったりと、実物を見てから刺すこともあります。
その動物の生態や特徴などをきちんと知った上で刺した方が、自信を持って表現できるんですよね。いろいろ調べて詳しくなればなるほど、愛着も湧いてくるので、手間のかかるスミルナステッチを終えるまでのモチベーションにもつながっている気がします。
一針一針刺していく作業は、布の上に命を宿すみたいな感覚もあって。それぞれの動物の骨や内臓、筋肉なども意識しながら、キャラクターとしての動物ではない、動物たちの自然な姿を捉えたいと思って刺しています。
―― 今後も絵本を作っていきたいですか。
できれば作っていきたいです。私の刺繍作品に物語を感じてくださる方々から、次はキツネの絵本を作ってくださいとか、オオカミをぜひ、といったお声をいただくことも多いので、絵本についてはまだまだ勉強中ですが、自分なりのペースで形にしていけたらなと思っています。