『蔣介石 「中華の復興」を実現した男』家近亮子さんインタビュー 「敵か友か」問われ続けて
今年、ちくま新書の出版が2冊つづいた。
1月刊の前著は『東アジア現代史』。近代化や革命、戦争の時代を経て豊かになったが、少子高齢化も進む。日中韓や台湾の歩みを相互関係に重心を置き、多角的に描いた。
本書では、そうした東アジアの戦後のあり方を大きく左右した中国国民党の指導者・蔣介石(しょうかいせき)(1887~1975)の評伝に取り組んだ。巧みな外交戦略により日中戦争に勝利し、戦後は国共内戦に敗れて台湾に渡った。
「若き日の蔣介石は軍事を学ぶため日本に留学し、後にその日本と戦いました。戦後は日米との同盟関係構築に努めました。3人の妻との関係も複雑で、多面的な人物像を日記などの史料や現地取材を手がかりにたどりました」
研究の出発点は、なぜ共産党が「執政党」の国民党に勝利したのか、という問いだ。
「早くから革命の歴史に関心がありました。中国近代史を学ぶため慶応大学の東洋史専攻から政治学科に移り、山田辰雄先生に師事しました」
蔣介石の外交は、米国の参戦による中国の大国入り、抗日戦争勝利につながった。ただ、戦後は米国の支援が続かず、民衆の不満に求心力を失った。その困難は戦後処理を巡るルーズベルト米大統領とチャーチル英首相とのカイロ会談にも表れた。
「中華の復興」は孫文以来の国家目標。毛沢東から習近平国家主席に至る政治指導者の力の源泉だ。
「英領インドの自治を主張し、香港を取り戻すことを目標とした中国の指導者とアジアの植民地を守りたい英首相は、互いに相いれない関係でした」
ただ、蔣介石は終戦時、日本人に寛大な姿勢を示した「以徳報怨」演説でも知られる。
「東アジアは西洋からの圧迫や戦争が続き、今も分断が残る。近代から敵か友かを問われ続けた地域です」
高市早苗首相の発言を機に日中間に摩擦が生じている。
「日本外交には東アジアの歴史をふまえ平和を維持する長期的な戦略が不可欠。そのためにも人的交流を絶やしてはなりません」(文・大内悟史 写真・慎芝賢)=朝日新聞2025年12月20日掲載