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「フェイクニュースを哲学する」書評 「本当にそうだろうか」の問い

評者: 野矢茂樹 / 朝⽇新聞掲載:2024年10月19日
フェイクニュースを哲学する──何を信じるべきか (岩波新書 新赤版 2033) 著者:山田 圭一 出版社:岩波書店 ジャンル:人文・思想

ISBN: 9784004320333
発売⽇: 2024/09/24
サイズ: 0.9×17.3cm/208p

「フェイクニュースを哲学する」 [著]山田圭一

 ご隠居さんこんちは。フェイクニュースの本、読みましたよ。おや、どうだったい? 目からウロコって感じじゃなかったっすね。おまえさん、フェイクニュースに騙(だま)されないようになるコツみたいなのを期待してたんじゃないのかい? え、そういう本じゃないんすか? そうだね、やっぱりこれは哲学の本なんだよ。哲学の本だと、どうなるんです? 例えば、最後の方で陰謀論を論じてるけれども、そもそも「陰謀論」とは何なのかとか、「本当に信じてはいけないものなのだろうか」なんて問いかけてるだろ。そうすね、いいこと言ってくれるのかなと思ってると、「本当にそうだろうか」って、がくっときちゃいますよ。それが、おまえ、哲学ができてない証拠さ。そういうもんすかねえ。この本を伝統的な認識論と比べてみると面白い。なんすか、そのニンシキロンって。正しい知識を得るにはどうすればいいのかを考えるのが認識論だ。あるときデカルトは部屋にこもって、あらゆることを疑って、確実な知識を求めようとした。一人っきりで真理を得ようとしたんだ。だけど現代の認識論は知識がもっと社会的なものだという考えへと開かれていった。さらにインターネットだ。これはもうデカルトの手には負えない。現代の哲学者たちはデカルトと決定的に違う局面を論じ始めたんだね。なーるほど、で、まだあっしらを感心させるような成果は出てないってことですかね。そんなこたぁないよ。ただ、現代哲学は一人の哲学者が目を見張るような論を展開するよりも、共同作業的に堅実に進んでいこうとするから、もうひとつ感銘を受けないのかもしれないな。だけどね、デカルトの『方法序説』なんかも、あたしが最初に読んだときにはあたりまえのことしか書いてない感じがしたものだよ。するってえと、この本もデカルト級ってことですか? いや、そこまで言うとこの書評がフェイクになる。
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やまだ・けいいち 1973年生まれ。千葉大教授。著書に『ウィトゲンシュタイン最後の思考 確実性と偶然性の邂逅』など。