日本では年間7万点近い新刊が刊行されるといわれる。その日発売の書籍を一覧できるウェブサイト「Books」(出版書誌データベース)を眺めていると、1日に数百点もの新刊の中から必要な本を見つけるのは、もはや不可能と思えてくる。
妥協なき探求
こんなとき頼りになるのはやはり書店だ。客層に合わせて本を仕入れ、一押しは目立つところに並べる。書店員自作のPOPで内容を紹介し、フェアを企画する。いわば私たちの代わりに選んでくれている。東京・荻窪の書店「Title」店主はそのような書店の仕事を、『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』(辻山良雄著、幻冬舎・1760円)の中で、「街に住む人の本棚に責任を持つこと」と表現した。
全国に店舗のある書店チェーンに長く勤め、一時は100人超のスタッフを指導する立場にあったが、「自分の責任だけで完結する、継続的」な働き方がしたいと考えて退職し、自分の店を始めた。並べる本は「具体的な顔を思い浮かべながら」選ぶという。だから訪れる人が、ここには自分のための本がある、と感じるのだろう。
そのような信頼関係で結ばれる先が、現代においては実店舗に限らず、オンライン上の店舗ということもあっていい。店にくり返し足を運ぶように、時間をかけて商品紹介やSNSでの発信を眺めて、「行きつけ」にしたい店を見つける。どこで買っても同じものが届くのが本の強みだ。
本は書店に届くまでに、大勢の手を経ている。編集者、著者、デザイナー、組版オペレーター、校正者……物体としての本を作り上げるのが印刷や製本の工程だ。『印刷・紙づくりを支えてきた 34人の名工の肖像』(雪朱里著、池田晶紀ほか写真、グラフィック社・2750円)に登場する「名工」たちの職歴を見ると、この道一筋数十年、会社員でいうところの定年をとうに過ぎてなお、現役であることも珍しくない。
それほどの経験と周囲の尊敬を集める技術の持ち主が「一〇〇%悔いが残らずできたものは、これまでまだない」と口にする。妥協のない探求の裏には「百冊作っても千冊作っても、一人のもとに行く本はただ一冊、唯一のものなんです。“一冊くらい悪いものがあったっていいじゃないか”という気持ちではダメだと思うんですよ」との思いがある。本そのものはもちろんのこと、紙やインキのような資材に至るまで、工程に携わるひとりひとりが「これでいい」ではなく「こうでなければ」と言える仕事をするために、日々力を尽くしている。
困難とともに
そもそも、人はなぜ、本を求めるのか。
『病と障害と、傍らにあった本。』(齋藤陽道ほか著、里山社・2200円)には、さまざまな困難を抱えた12人の本との関わりが綴(つづ)られる。
若くして脳梗塞(こうそく)を発症したルポライターは「読む」機能を失った。文字を見ても意味が理解できない。しかし、人体の神秘というべきか、唯一読める文章があった。それは自分の書いた文章だ。自ら書いたものをボロボロになるまで読み、読んでは書くというリハビリによって、ふたたび「読む」を取り戻す。
「ずっと本が読めなかった」と告白するろうの写真家は、漫画も小説も「ぼくにとっては苦行でしかない音声の会話」が前提であるために入り込めなかったという。彼の母親がわが子に言葉を教えるために描き続けた何十冊もの絵日記、それが彼にとっての初めての「本」となった。
これらの本は、私たちが思い浮かべる形のそれとはいささか異なるように思われるかもしれない。だが、別の著者が記すように、彼らにとってはそうした本が紛れもない「命綱」だった。
本を手に取る動機は人それぞれであっていい。だが、ときにそれは、いのちを懸けた行為となることもある。=朝日新聞2024年10月26日掲載