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文士劇、はじめました 澤田瞳子

 このエッセイが掲載される頃には公演が終わっているが、約二年前から文士劇の立ち上げに関わっている。文士劇とは、文筆を生業とする者たちによる素人芝居。明治時代に始まり、昭和期に文藝春秋が主催したそれは小林秀雄や三島由紀夫、瀬戸内寂聴なども出演する華やかさだった。ただ近年、その伝統は衰退し、ことに関西では半世紀以上上演されていない。詳細は割愛するが、今回、そんな西日本ゆかりの作家など十六人でスタートしたのが、我々「なにげに文士劇」だ。

 ただ、作家とは本質的に大変孤独な生業だ。机に一人向き合って、少しずつ字を埋め、物語を紡ぐ。仕事で同業者と会ったり、それを機に意気投合することもあるが、仕事と無関係な事柄を大勢で作り上げる例は皆無に近い。なにせ一人を大前提とするのが、小説家稼業なのだから。

 だから今回、そんな文士が手弁当で集結してくれたのはほぼ奇跡だ。しかも年齢もキャリアもジャンルもバラバラな彼らは、我々、何事にも右往左往するど素人運営を心優しく見守って下さった。そればかりか互いをこれ以上ないほどに助け合いながら、日々の稽古に励んでくれた。九州から練習に上阪した仲間は、その間、あるメンバーの家に下宿し、彼らを毎日、他の誰かが食事に誘った。稽古場までの交通が不便な仲間がいれば、車で移動する誰かが途中で乗せて行く。親子ほど年の離れた作家たちが互いを役名で呼び合い、稽古の間の食事を車座で取る。それを支えて下さるスタッフにも、大変恵まれた。何せ素人ばかりを舞台に乗せるのだから、そのご苦労たるや並大抵のものではあるまい。

 公演が終われば、翌日から我々はまた一人の仕事に戻る。連日時間を共有した仲間とも、年に一度会えれば多いような淡い仲に戻る。だからこそ舞台そのものより、素晴らしいメンバーと公演までの日々を共有できたことは、かけがえがない。終わりがあるからこそ、すべては美しく、また楽しいのだとつくづく思った。=朝日新聞2024年11月20日掲載