1. HOME
  2. 書評
  3. 「地図なき山」書評 極端で無意味な苦行になぜ挑む

「地図なき山」書評 極端で無意味な苦行になぜ挑む

評者: 小宮山亮磨 / 朝⽇新聞掲載:2025年01月11日
地図なき山:日高山脈49日漂泊行 著者:角幡 唯介 出版社:新潮社 ジャンル:実用・暮らし・スポーツ

ISBN: 9784103502326
発売⽇: 2024/11/20
サイズ: 19.1×2cm/292p

「地図なき山」 [著]角幡唯介

 人は他人の遭難話が大好きなのだと、登山家の服部文祥さんが書いていた。本書はただでさえ険しい北海道の山に、地図も持たずに挑んだ探検家の記録だ。彼が山にいたぶられる様子を、読者はサディスティックに楽しめる。でも、楽しい読みかたは他にもある。
 著者は売れっ子作家でもあって、作品はどれも面白いのだけれど、その旅はいつも目的が分かりにくい。「未開拓ルートで登頂」とか「8千メートル峰全制覇」といった、探検家が好む端的な冠がないからだ。代わりに彼は、各種文明の利器を使わないことにこだわる。以前の探検ではGPSや衛星電話を遠ざけた。今回は地図。事前にチラ見するのすら必死で避けた。
 でも、どうして? 不便が楽しいの? 否。出発日が近づくほどにやる気が落ちたという。
 おいおい。じゃあ、行かなきゃいいのでは?
 ツッコミに応じようと、彼は苦行の動機を懸命に説明する。めざすは「脱システム」、つまり現代人が便利さと引き換えに受け入れた色んな制約から「自由」になりたい、それが自分の人生を生きることなのだ、と。
 でも、ホメロスやらハイデガーやらまで動員してこねる理屈に、説得力はあまりない。存在する道具をあえて使わないという制限によって、彼はむしろ「不自由」になっていく。それが丸わかりだからだ。彼自身もたぶん、百も承知で書いている。山中での苦難は、彼に理屈をこねさせた原因であり、彼が理屈をこねた結果でもあるのだ。
 そして彼の作品の魅力は、この倒錯にこそある。極端で無意味で、でも真剣そのものの冒険譚(たん)を読みふけるうち、人はつい著者につられて理屈をこねる。生きる理由に思いをめぐらせる。
 山登りが嫌いな私も、考えてしまった。結論はこんな感じだった。
 つらい思いをして何か成し遂げても、最後は手元に何も残らない。それでもやるしかない。登山と人生はよく似ている。
    ◇
かくはた・ゆうすけ 1976年生まれ。『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞など。『極夜行』で大佛次郎賞。