1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. 昭和100年/戦後80年 自らを問い、歴史と対話を 保阪正康

昭和100年/戦後80年 自らを問い、歴史と対話を 保阪正康

(左)田中角栄首相(当時)=1972年撮影 (右)作家の石牟礼道子さん=2009年撮影

 今年は「昭和100年」、あるいは「戦後80年」という言われ方もする。いずれにしろ時代の節目ということになるのだが、確かにこの2、3年来の動きを見ても、時代の変革の鼓動が聞こえてくる。例えば、ロシアのウクライナ侵略戦争をはじめとして、このところの軍事衝突を見る限り、「政治の延長に軍事がある」というテーゼは覆り、「軍事の延長に政治がある」という戦争論の構築が必要になっている。

 それだけに私たちが、今の地点を「昭和100年」と見るか、「戦後80年」と見るかは重要な意味を持つと思うのだ。昭和100年という時には、昭和前期の20年(これは近代日本史の誤謬〈ごびゅう〉の凝縮時間だが)を踏まえての100年であり、戦後80年という時は現代史総体を指していて、近代史を克服する意味が「戦後」に仮託されている、という解釈になる。ここでは「昭和100年」と見て、思想家、作家、研究者などの作品の中から、昭和前期の誤りを克服して、現代史に重量感を与えている書を五人五書という形で選んでみたいと思う。

時代と重なる人生

 昭和史に関する書は、とかく、ある歴史観によって記述されてきた。そんな中で、時代の流れと自らの人生を巧みに絡ませながら、同時代史と歴史的視点を提示している書がある。中村隆英(たかふさ)の『昭和史』である。著者は1925(大正14)年の生まれになるのだが、その人生は昭和という時代とほぼ重なり合う。自らの歩みが昭和の変貌(へんぼう)の中に刻まれている。少年期から青年期がまさにファシズムの時代、戦争の時代である。

 ともすれば軍事主導を客観視した論述に傾きがちな通史を、自らの専門(経済学)と世代的体験をもとに実証的に記述していて、昭和100年を俯瞰(ふかん)するのにもっともふさわしい。例えば、「東亜の解放」は帝国主義国間の戦争の結果、意図せざる形でもたらされた人類史の変容であるという指摘については、国家解体まで懸けた後進帝国主義国・日本の自殺の付随現象と言えるのではないか、と私は考えたい。

 昭和100年は、昭和が「同時代史から歴史へ」と移行する時でもある。時代の意思が普遍化すると言ってもいいかもしれない。それに耐えうる評論家(医学を学んだ文筆家)として加藤周一の名を挙げても良いであろう。加藤にはこの国の文明、伝統、国民意識、戦争などを根本から論じた書があり、「寸鉄人を刺す」重い本質が込められた表現に出会う。例を挙げよう。『加藤周一セレクション5 現代日本の文化と社会』に収められている天皇論(46年の「天皇制を論ず」など)について言えば、加藤は天皇制に否定的で、その理由として対外的、国内的なものを挙げて激しく論じる。いずれも戦争の因になるという点にあると指摘する。79年に書かれた「追記」では、その後の戦後社会を見て、日本には天皇制以外に好戦的条件が生まれていると分析している。

 加藤は、極めて真面目に日本社会の知的営為を見つめてきた。その論が今後の歴史的視点に定着するか、私は興味を持っている。他にも竹内好、橋川文三、上野英信、半藤一利らの歴史評論やノンフィクションの視点の生命力が問われるであろう。

問題は全て先送り

 繰り返すことになるのだが、「昭和100年」という主舞台に「戦後80年」をのせて、次代に伝えるべき作品は何かを考えてみたい。私は、「政治指導者」「高度成長の影」「沖縄の位置」の三テーマに注目しておかなければならないと思う。むろんこの他に「対米関係」「核問題」「市民意識」「生活」や「非武装」なども重要だと思う。しかし「政治指導者の田中角栄」「水俣の石牟礼道子」「沖縄の大城立裕(おおしろたつひろ)」には、日本社会が取り上げなければならない重さがある。

 立花隆は、その80年の人生を駆け抜けたように思う。同業の同世代の友人として言うならば、立花は発想そのものの原点が違っていた。彼と話していると、主語が「人類は」とか「ホモサピエンスは」といった具合に大局観を語り、それを前提にした論理展開をしていく。その意味で今年のような節目の年には、彼の著作が読まれるべきであろう。多くの作品の中からあえて選ぶとすれば、『田中角栄研究 全記録』になる。

 田中は昭和という時代に生まれた32人の首相の中で、あらゆる意味で稀有(けう)の存在であった。官僚や財界、労働界などの出身者と異なり、政治資金を乱暴な手法で、自ら賄った。この書は、そういう金権政治への立花の怒りをもとに書かれている。ロッキード事件を論じながらも日本社会の暗部を抽出している点に独自性と深みがある。

 石牟礼道子の『苦海浄土(くがいじょうど) わが水俣病』は、水俣病患者やその家族の聞き書きをもとにした、50年代から60年代の公害患者の記録である。戦後80年は、高度経済成長によって、戦前・戦争の時代に屈辱と侮辱に耐えた日本の文官たちが反乱した、という言い方もできた。満州事変以後の昭和の戦争と60年からの高度成長は、それぞれほぼ14年だが、どちらも問題が起こると全て先送りされた。石牟礼の着眼点は、その構図を怒りとともに浮き彫りにしている。同時に、伝統的な共同体が崩壊していく様を通して、企業や政府を批判する。私たちはその点に気づいた時、この書の持つ歴史性(太平洋戦争批判にまで達する歴史である)に脱帽しなければならない。

 最後に、沖縄の歴史的位置を問うた作品に触れておきたい。大城立裕『カクテル・パーティー』は芥川賞の受賞作だが、アメリカ人、中国人、そして日本人、沖縄人、それぞれの人生の過去と現在が、ある事件で浮き彫りになる。被害者が加害者であり、加害者が被害者であるという歴史の構図を描くこの書は、多様な解釈ができる。私たちは自らの現在を見て、加害と被害の両面について歴史上の考察を加える必要がある。この作品は、沖縄人のかつての戦争体験をもとに加害を見つめるところに新鮮な驚きがある。

 私たちは、自身の存在を改めて問う形で歴史を解釈し、こうした作品と対話しなければならない。必要なのは、先達が作り上げた歴史観の点検と継承である。今年はその覚悟が必要ということになるだろう。=朝日新聞2025年1月11日掲載