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「王将の前でまつてて」刊行記念 川上弘美さん×夏井いつきさん対談「ボヨ~ンと俳句を作って、健康に」

川上弘美さん(左)と夏井いつきさん=北原千恵美撮影

小説家の俳句が撃沈するのはなぜ?

――おふたりがお会いするのは今日が初めてなのですね。

川上弘美(以下、川上) テレビで拝見しているので、いつもお会いしているような感覚になっているんですけれど、はい、初めてです。夏井さん、お生まれは何年ですか?

夏井いつき(以下、夏井) 1957年です。

川上 私は1958年4月1日の早生まれなので、同級生ですね。

夏井 ギリギリ! そうなんですか。もうビッグネームの小説家っていうイメージがずっと私の中にはあって、どんだけ若い頃から活躍してるんだと思っていて。川上さんの小説の向こう側に、勝手に年若い女性を描き続けてきたのかもしれません。

川上 デビューは四十歳近かったので、2024年でデビュー30年です。

――川上さんはプロの小説家になったのとほぼ同時に俳句を始めていらっしゃいます。15年目で1冊目の句集『機嫌のいい犬』(集英社文庫)を出して、今回30年の節目で『王将の前で待つてて』を出版されました。

川上 私がデビューしたASAHIネットの「パスカル短篇文学新人賞」は出版社の賞じゃなかったので、受賞後は特に編集担当者もつかず、1年くらいは注文もなかったのでもう、俳句ばっかり作っていたんです。

夏井 おめでとう、で終わりなの?

川上 終わり(笑)。ASAHIネットでは当時、作家で俳人の小林恭二さんが句会をやっていらして、そこにはとても参加できなかったので、同じ賞に応募したメンバーで初心者の句会を始めて。作家の長嶋有さんはそのときの仲間なんです。

夏井 「プレバト!!」にも小説家の方がときどき出てくださるんですが、ほとんどが撃沈していまして。

川上 それはわかります(笑)。ちょっと違うんですよね、散文と詩は。

夏井 たった17音しかないのにそこに小説の1章分を入れちゃう。材料が多すぎて爆発して終わるんです。小説家の方の句集を読んで本当におもしろいなと思ったのは、今のところ長嶋さんと川上さんしかいないですね。

川上 ありがとうございます(笑)。

どうでもいいことを観察するタイプ

――『王将の前で待つてて』を夏井さんはどうお読みになりましたか?

夏井 私にとっては言葉の温度感がすごく心地よくって。おもしろいんだけど、指先からザラザラしたものがのぼってきて体の中に言葉が染み込んでこない句集ってあるじゃないですか。でも川上さんの句集は、言葉がサーッと上から下まで、私の体をきれいな血のように流れていってくれましたね。開いた最初の1句が「なうみそはかすかに紅(あか)しふくろふ啼(な)」でしょう。「いきなりかますか!」と思って、おもしろくなって。次が「人日(じんじつ)や油缶(ゆかん)のへこみ戻る音」。これなんかはめちゃくちゃ観察して書いていらっしゃるでしょう?

川上 そうですね。職業柄、観察はします。ただ、観察するところは小説家によって違う気がしていて。長嶋さんとか私は、何かがへこんでいるとかいうすごく些末な、どうでもいいところを見たがるタイプで、それは俳句にちょっと向いているのかしら、って思います。

夏井 向いていますよね。だってあなた、「変心(へんしん)やしらすにまじる大しらす」ですよ。俳句をやらない人にとっては「それがどしたサノヨイヨイ」じゃないですか。しらすを買ってきました、その中に大きなしらすがありましたなんて、30分もしたら忘れる話でしょう。でもそれをおもしろがって言葉にしちゃうのが俳句だと思うんです。そして何がおもしろいって、上五に「変心や」をもってくる。

川上 一応「取り合わせ」という方法を昔習ったので、いかに変なものを取り合わせて句を広げるかは考えますよね。

夏井 その「変なもの」の距離感がすごい。下五でも変化球を投げるでしょう? たとえば「(む)かぬままの辣韭(らつきよう)しづかもういくね」。どうして「もういくね」なの?

川上 これは何か、うける句が作りたくて。

夏井 「春風や仔豚と仔豚いがみあふ」は?

川上 それは(所属している結社の)「澤」の周年記念の句会に出さなきゃいけなくて、無理やり作った句です。

夏井 下五変化球は、おもしろがらせようとか、無理やり作ろうとかなの? 「春風や仔豚と仔豚」ってきたら、ふつうはかわいく穏やかにストンと着地するじゃないですか。ここで「いがみあふ」っていう、「この性悪な感じ好き!」って思うんですよ(笑)。

私の頭の中の汚部屋

――俳句の作り方でいうと、見たままの情景を書く「写生」が王道といわれますが、川上さんは「創作」と句集の中で書かれていますね。

夏井 「蟷螂(たうらう)のよく太りゐて潰れをる」。これなんかはきっちり写生していらっしゃるでしょう? 自分の目で見て作っていらっしゃるわけでしょう?

川上 いつかどこかで見たんでしょうね。でも、ほぼ創作なんですよ。

夏井 観察している句も創作なの?

川上 小説を書くときも小説内世界をすごく観察して描写するので、それと同じなのかもしれません。だからいつも現実世界に生きていないんですね(笑)。

夏井 「こういう話にしていこう」って考えて、たとえばある人物がそこで誰かを待っているとしたときに、落ちた吸い殻を踏みにじったとか拾ったとか、そういうのを脳の中で観察するの?

川上 もう自分がそこの場所に行っちゃうんです。その人の目で書くときは、その人になって。違う人のことを書くときは、その違うキャラクターになって書く。そんな感覚はあります。だから吟行が不得意なんです。

夏井 ちょっと待って、蟷螂の句、写生じゃないのね!?

川上 違うんです。だからやっぱり、一句を作るのに時間がかかるんですね。小説って一般的に、時間が経たないと書けないんですよ。ずっと過去から考え続けてきたことを書くのが小説家という人間かな、って最近私、思っていて。たとえば新聞だと情報は速い方がよくて、そのときの出来事を次々に教えてくれる。けれど、小説がそれをするのは違うんじゃないか。今、いろんな事件が世界で起こっていますよね。小説家たちはもちろん、いつもそのことを考えているけれど、そのまま書くことはまずしないんですよ。そこから何年か考え続けたあとに書いたり、一見そのことと無関係にみえるけれど、作家の中ではたしかにつながっていることを、ぽんと書いてみたり。だから、吟行したらようやく1年後くらいに、そのときの句が出てくるのかもしれません。

夏井 カマキリがいるな、太いな、潰れているな、っていうのが眼球には映っていて、写真のネガのようなかたちでカチャって自分に入るんですか?

川上 そこまできれいに入らなくて、「カマキリボヨ~ン」みたいな(笑)。

夏井 「カマキリボヨ~ン」っていうキーワードが、もくじみたいになってどこかにしまわれているの?

川上 私の頭の中は長年捨てられないものが積みあがった汚部屋のようなことになっていて、ちょっと引っ張り出すと変なものが出てくる。そういう感じですね。

夏井 ひとつ謎が解けた(笑)。

川上 夏井さんはどうやって俳句を作っていますか?

夏井 私は吟行派なんですよ。(師である)黒田杏子(ももこ)が「とにかく季語の現場に立て」という教えで。でも、あらたまって吟行に行かなくてもふつうに暮らしていることがぜんぶ吟行じゃないか、って思ってから、あんまり構えなくなりましたね。だから吟行会で何句か出さないといけないとき以外はもう、ボヨ~ンとしています。それで何かおもしろいものが、目からか、匂いからか、音からか、脳に引っかかると、俳句のアンテナがピヨンって立ってメモをする、みたいな感じですね。

この句と出会わなければ

――夏井さんが俳句を始めたきっかけをお聞きしてもいいですか?

夏井 私はね、黒田杏子の句集を立ち読みしなければ、俳句をやっていなかった。

川上 それは20代ですか?

夏井 大学を出て中学校の国語の教員をしていたんですけれど、愛媛県の片田舎の本屋さんで黒田杏子先生の句集をパッとめくったときに、代表句でもなんでもない「昼休みみじかくて草青みたり」っていう句があったんですよ。そのとき私、本当に激務で、昼休みなんてなくって。

川上 全然座っていられないでしょう?

夏井 給食指導で給食を取りにいかせて、配膳させて、みんなを静かにさせて、「いただきます」って言った瞬間に子どもたちが食べるスピード以上にこっちはガーッと食べて。もう戦場ですよ。

川上 私も教員だったのでわかります。

夏井 片付けまで終わらせて、職員室に戻ったらいろんなものがいっぱい机の上に置いてあって、ドタバタしながら今度はお掃除の時間が始まるんです。そんな日常を送っていたから、「昼休みみじかくて」で「そりゃそうだよね」、「草青みたり」で「そうか、春は来てんだよな」って。その瞬間に、まったく知らない黒田杏子という人と自分が完全に合体して、「やってられないよね」とか言いながら一緒に春の青い草を見ているような、不思議な感覚にとらわれたんです。それがまさに俳句と本気で出会った瞬間でしたね。

川上 私は教科書に載っている俳句がすごく好きでした。西東三鬼の「水枕ガバリと寒い海がある」とか、わりと前衛的な句に惹かれましたね。

夏井 私もね、国語の教科書の中では詩歌が好きだったんですよ。与謝蕪村の「斧入れて香におどろくや冬木立」。先生に指名されて読み出したら、いきなり木の香りがしてきた気がして、衝撃を受けて。自分が俳句をやるようになって、その出来事をふっと思い出すと「俳句すげえ」って思いますよね。

川上 私も「水枕」の句はちょっと意味のわからないようなところがあって、当時はそこに魅力を感じました。意味がわからないけどわかる、みたいな感じが好きだったんでしょうね。

夏井 その感じは小説にありありと出ていますよね。

川上 自分の小説は結構わかりやすくはあるけれども、わからない、変なところがあるものを書きたいな、と思っているんです。でも俳句はまたちょっと違いますね。17音って短いから、その短さもおもしろくて。

夏井 俳句って、おもしろがっている自分をおもしろがる遊びじゃないですか。「人に言うほどのことじゃないけれどおもしろいことを見つけたんだよ」って俳句にしたら、ちゃんとそれを誰かが受け止めてくれる。あれが好きなのかな。

川上 そうですね。それは句会をやってみて、みんなが受け止めてくれてすごいな、って思いましたね。小説を書く上ではすごく、読者を信頼できる元になっています。

夏井 小説家って、読者を信頼しない系の人たちなの?

川上 そんなことはないんですけれども(笑)。私の小説は説明とか描写が少ないんですよ。余白が多いとよく言われるんですけれど、それができるのはやっぱり俳句のおかげで、ここまで書かなくてもたぶん読者は想像してくれるだろう、ここで切っちゃっても、手を離しても大丈夫って思えるんです。もし俳句をやっていなかったら、もうちょっと説明的な文章を書いていたかもしれないな、って思うことはありますね。

夏井 やっぱり俳句って筋肉だと思うんですよ。「俳筋力」って私は呼んでいるんですけれど、俳句の筋肉がついてくると、もうこれ以上書かなくても大丈夫、って思える。

川上 私は小説を1編書くと筋肉がつく、ってずっと言い続けてきたんですけれど、たぶん俳句とは違う筋肉なんですよね。ほら、筋肉の種類ってあるじゃないですか。

夏井 速く走るとか、持久力とか。

川上 だから小説を書く人が俳句に言葉を詰め込みすぎちゃうのはよくわかります。私も最初は長編が書けなかったんですよ。でも長編を書けるようになったときに長編の筋肉がついて、その筋肉を使っていると俳句はちょっと作りにくいんです。ときどき切り替えを間違えて、意味のわからない俳句を作っちゃうことがありますね。

 

創作の神様ありがとう

――川上さんがあとがきで、「俳句を始めてみませんか」と読者に呼びかけているのが印象的でした。

川上 あとがき書こうよ、って言われて書いたらこういうものになりました(笑)。

夏井 でも、「あとがき書こうよ」が「俳句書こうよ」っていうメッセージになっているんでしょう?

川上 俳句って人間の健康のためにすごくいいんですよ。小説家になろうよ、ってすすめる気持ちにはあんまりならないんですけれど、俳句には創作の根源的な喜びがあって、一句つくるだけで落ち着くんですよね。精神がすごく安定する。それは自分の中のいろんなドロドロをそのまま詠むんじゃなくて、作品にすることが大事なんです。五七五という決まった形があって季語を使う決まりがあって、なんだか縛られているみたいだけれど、実はそれがあるから自分に溺れないで済む。みんなが俳句を作っていたら世界は平和なんじゃないか、って気がするんです。

夏井 腹の中で思ったことを口に出すと人間関係を壊すでしょう。だから俳句にして消化することがあるんですよ。『悪態句集』っていうのを作っていて、ときどきそれを読んではざまあみろとか思っていて(笑)。

川上 わかります! それはね、私も小説でときどきしていて。嫌だったことを全然違うシチュエーションで小説にして、こっそり夜中に読み返してざまあみろ、書いてやったぜ、って(笑)。

夏井 俳句のいいところは、私はリアルに「あの人」とか「あの人たち」とかに向かって書くんだけれど、できあがった代物は誰にも何があったかわからないんですよね。

川上 それは本当に、俳句もそうだし小説もそうだと思います。そこが創作をすることのよさで、書いているうちに違うものになっていきますよね。創作の神様ありがとう、って私は思っていて。今、XとかさまざまなSNSがありますけれど、あれは生のものが出ちゃう。俳句なら五七五にするとか、小説だったら人が読んでくれるようにしなきゃいけなかったり、そうすることでどこか違うところに連れていってくれたり、何かを傷つけるためのものじゃなく違うものにしてくれたりする。でも、小説を書くのには時間がかかるので、やっぱり俳句がおすすめですね。

夏井 悪態をつくのは俳句。社会生活を穏やかに暮らしていくのも俳句。最後はみんな、悪態俳句を作りましょう、ということで。こんな締めで大丈夫でしょうか!?