1995年1月17日午前5時46分、高嶋さんは神戸市垂水区の自宅にいた。本が雪崩を打って落ち、部屋のドアをふさいだ。1週間後、連絡の取れない友人を捜しに神戸市東灘区へ。いつもなら車で1時間余りの道のりを半日がかりでたどり着いた。途中で目にしたのは、焼け野原の長田区だった。あちこちで建物が崩れ、花が手向けられていた。友人は避難所にいて無事だったが、その家もぺしゃんこにつぶれていた。
書かなければ――。資料を集め、読み込んだ。地震の知識ゼロからのスタートだった。
震災から9年経った2004年、マグニチュード8の直下型大地震を描いた「M8」を出した。翌年には「TSUNAMI 津波」。その後も大型台風や火山噴火をテーマにした小説を書き続け、大震災30年を前に出したのが今作だ。
202X年、南海トラフ地震、続いて東京直下型地震が起きる。さらに大型台風による水害に加え、富士山噴火の兆しも。犠牲者は何十万人にものぼった。総理も亡くなり、後継に指名されたのは33歳の二世議員、早乙女美来。困難に立ち向かう初の女性総理に、IT企業のCEOが協力していく。
阪神・淡路大震災は都市型、東日本大震災は広域型、能登半島地震は過疎・高齢化地域の災害。「私たちはいろいろな経験をしてきた。でも果たして、どこまで経験が生かされてきたか。次に来る巨大地震は、これまでの何十倍もの被害を国が想定している」。作品における被害の様子は公表データに基づくもの。高嶋さんは小説を通して警鐘を鳴らす。
〈政府の最大の過ちは、すべてを東京目線で考え、日本全国に一律にそれを押し付けようとすることだ〉〈死の重みを知っている。現在の政治家にいちばん必要なことだ〉といった作中の一言一言に作者の思いがにじむ。
そして、「すべての責任は私が負います」と因習を突破していく早乙女総理には「既得権益がなく、大胆なことができる。世界観があり、ひとの命を大切にする人」という思いが託されている。
高嶋さんは神戸の追悼行事にずっと参加してきた。20年も参加したが、その日午後、岡山に暮らしていた母親が亡くなった。1月17日には様々な気持ちが重なる。
「未来の日本を考えてほしい。だれもが幸せに生きていってほしい。災害があっても、とにかく生きろ」。高嶋さんはそう言う。
ひとりひとりが生き抜くためにあらゆる災害を自分事として考えることが大切だ。経験を生かし、想像力をもって将来へ備えなければ。そんな思いのこもる一冊である。(河合真美江)=朝日新聞2025年1月15日掲載