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樋口恭介さん注目のSF小説3冊 いくつもの現実に生きる私たち

  • 宮内悠介『暗号の子』(文芸春秋)
  • ヘルベルト・ローゼンドルファー『廃墟建築家』(垂野創一郎訳、国書刊行会)
  • 飛浩隆『鹽津城』(河出書房新社)

 現実は決して止まることのない“流れ”そのものだ。摑(つか)んだと思ったその瞬間に、まったく異なるものへと姿を変えている。

 たとえばDAOやXR、LLMなどの先端技術を軸にした宮内悠介の作品集『暗号の子』では、技術に対応できない社会制度と、それらの間の軋轢(あつれき)に翻弄(ほんろう)される人々の姿が描かれている。特に、扇情的な投稿をフィルタリングして穏当なコミュニケーションだけが認可されるSNSが主流となった世界を描画した「ローパス・フィルター」は、私たちにとってすぐそばにあるもう一つの身近な現実だと言えるだろう。私たちの発信も受信も、それらがもたらす認知も、常に既に調整されたものとなっている。文明は人間の内部に入り込み、干渉し、意識を作り変えることで世界を変える。

 これは今に始まったことではない。ヘルベルト・ローゼンドルファー『廃墟(はいきょ)建築家』は半世紀ほど前に発表された作品だが、位相偏差なる現象によって時空に歪(ひず)みが発生し、自分がとった行動や話したことが、いつ、誰と、どんな文脈で成されたものなのか、ほとんど意味を持たない。あらゆる現象が断片化され、でたらめに接続される。登場人物たちはまどろみのような瞬間の連続を、ただ通過していくように生きている。そこに描かれる無数の夢は、とうに夢であることの足場を失っている。境界は曖昧(あいまい)なのではなく、明確でありながら移り変わり続けている。

 現前性の遷移が最も自覚的に表されているのは飛浩隆(とびひろたか)『鹽津城(しおつき)』の世界観だ。そこでは三つの異なる時空が交錯する。一見すると、現在・近未来・遠未来のようにも読めるが、相互に連関しつつも矛盾もあり、単線的には読み解けない。ある世界では震災によって原発事故が発生し、部分的に物理法則が狂った結果、海水から塩分と真水が分離する奇妙な現象が発生する。因果は不明であるものの、別時空でもまた塩が世界に影響を与えており、人々は体内の塩分濃度が異常に高まる疾病に苦しんでいる。ある世界では異なる世界の歴史が連載漫画として描かれるが、その作品の具体性はあまりに高く、奇妙なほどに現実らしい。作中では時間も空間も次元も虚実も、何もかもがシームレスに現前する。

 現実は一つではない。しかしそうだとしたら、私たちはどのようにして基盤となる世界を措定し、そこに共生し続けることができるのか? 作中に答えはない。物語はむしろ、答えがどこにも存在しないという厳然たる事実を突きつけている。境界は変わり続け、決して摑みとることはできない。そうした不確かさを引き受けた世界にしか、もはや全ての世界のあらゆる私たちは存在しえないのだと思う。=朝日新聞2025年1月29日掲載