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「美しい人」書評 起伏の激しい人生を丹念に綴る

評者: 安田浩一 / 朝⽇新聞掲載:2025年03月01日
美しい人-佐多稲子の昭和 著者:佐久間文子 出版社:芸術新聞社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784875867135
発売⽇: 2024/11/09
サイズ: 2.5×18.8cm/352p

「美しい人」 [著]佐久間文子

 1915(大正4)年11月30日の「東京朝日新聞」に、ある工場の求人広告が掲載されていることを本書で知った。早速、国会図書館に出向いて同紙を確認した。「女工募集」と題された小さな求人広告は、「至急申込まるべし」と急(せ)かすだけで賃金など労働条件も記されていない素っ気ないものだった。唯一、応募資格として「十二三歳より廿歳迄」としているところに、時代の風景が浮かび上がる。幼い顔をした「女工」さんたちの張りつめた表情を想像した。
 そのなかに、後の作家・佐多稲子がいた。稲子が工場に入ったのは前出の求人広告が掲載された直後。まだ応募資格に満たない11歳だった。
 過酷な労働があった。いじめにも遭った。だが、この時の経験が、のちに『キャラメル工場から』という作品にまとめられ、彼女の出世作となる。
 労働現場から社会の矛盾を告発する。20年代に隆盛を極めたプロレタリア文学のスタイルだ。稲子はその一群にあって宮本百合子と並ぶ女性文士のひとりだった。
 起伏の激しい彼女の人生を著者は丹念に綴(つづ)る。工場以外にも料亭やカフェなど、様々な職場を渡り歩く。丸善の店員時代に資産家と知り合い結婚するも、夫婦仲は破綻(はたん)、心中未遂事件も起こす。困難ばかりの道のりを進んだが、けっして手放さなかったのが文学だ。ときに権力の弾圧を受け、女性にだらしのない男たちに翻弄(ほんろう)されながら、彼女はプロレタリアの旗を掲げて書き続ける。
 本書の白眉(はくび)は、仲間たちが創設した「新日本文学会」の発起人から稲子が除外されるエピソードだ。一時的な〝戦争協力〟が問題視されたものだが、それを伝えにきた中野重治に対し、稲子は「だって……」と短く抗弁する。それ以上の言葉は記録されていない。稲子の躊躇(ちゅうちょ)と戸惑いを想像することで、稲子が駆け抜けた「昭和」の鼓動が響いてくるのだ。
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さくま・あやこ 1964年生まれ。文芸ジャーナリスト。朝日新聞記者をへてフリーランス。著書に『「文藝」戦後文学史』など。