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『行動経済学で「未知のワクチン」に向き合う』書評 専門家の奮闘 ナッジの条件は

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2025年03月08日
行動経済学で「未知のワクチン」に向き合う 著者:佐々木 周作 出版社:日本評論社 ジャンル:世界経済

ISBN: 9784535540743
発売⽇: 2025/01/10
サイズ: 18.9×1.7cm/378p

『行動経済学で「未知のワクチン」に向き合う』 [著]佐々木周作、大竹文雄、齋藤智也

 人間の認知特性を踏まえて行動変容を促す政策手法はナッジといわれ、行動経済学の大きな成果の一つとされる。近隣家庭の電気使用量を示すことで節電を促すといったことがその一例だ。本書は、コロナ禍におけるワクチン接種政策を巡って、行動経済学者がナッジを実践することに奮闘した記録だ。
 なにしろ新型コロナウイルス自体も未知ならば、ワクチンの効果も未知だった。そんな中では、専門家も手探りにならざるを得ない。著者らは、ワクチンの接種意向に関する調査を行って、日本人の接種意向が思ったよりも低くないことを確認すると、どうすればワクチン接種がスムーズに進むか考え出す。ワクチン接種券にどのようなメッセージを付けると接種を行う人が多くなるのか実験した結果、「ワクチン接種であなたの大切な人に安心して会いに行けます」といったメッセージが有効なことがわかった。
 ただ、このようなナッジの効果が必ずしも安定しない可能性も、本書は繰り返し指摘する。コロナ禍のように感染やワクチン接種の状況が刻一刻と変わる中では、人びとの利他性や同調性はワクチン接種を促す方向にも阻害する方向にも働き得る。その試行錯誤は針の穴を通すような作業にも思えるが、ナッジが機能する条件を整理する工程でもある。
 ワクチン接種を受けた者は地方自治体への信頼度が上がっていたという結果も、政策担当者にとっては朗報だろう。
 本書が面白いのは、専門家が未知の事象に直面した人々の行動を分析しているのと同時に、その専門家たち自身が未知の事象に接した際の混乱についても報告しているという入れ子構造として読めることだ。その点で、専門家の誤認識の可能性について検証する必要性にも言及しているのは卓識だ。わが国の行動経済学の実践においてターニング・ポイントとなる書籍が登場した。
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ささき・しゅうさく 行動経済学者。おおたけ・ふみお 行動経済学者。さいとう・ともや 公衆衛生危機管理が専門の医師。