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「投票の倫理学」(上・下)書評 共通善を促す一票をこそ投じよ

評者: 前田健太郎 / 朝⽇新聞掲載:2025年03月15日
投票の倫理学 上: ちゃんと投票するってどういうこと? 著者:ジェイソン・ブレナン 出版社:勁草書房 ジャンル:政治

ISBN: 9784326351947
発売⽇: 2025/01/27
サイズ: 2.1×19.4cm/216p

投票の倫理学 下: ちゃんと投票するってどういうこと? 著者:ジェイソン・ブレナン 出版社:勁草書房 ジャンル:政治

ISBN: 9784326351954
発売⽇: 2025/01/27
サイズ: 2.1×19.4cm/248p

「投票の倫理学」(上・下) [著]ジェイソン・ブレナン

 私たちの多くは、選挙で投票するのは良いことだと考えている。投票率を上げるための啓発活動も広く行われてきた。だが、果たして本当にそうなのか。この問いを哲学的に検討した本書は、驚くべき答えを示す。民主国家の市民には、投票する義務はない。むしろ、正しく投票できない人は投票すべきではないのだ。
 投票の義務がない理由は、1票の影響力が極めて小さいということとは別に、投票しなくても社会の共通善を促進できるからだ。これまで、良き市民は公的な活動に参加する必要があるという考え方が強かったが、他に方法は無数にある。家庭で子どもの世話をする人も、私的な活動を通じて共通善を促進している。
 それでも投票するならば、その選択が有権者の私的な利益ではなく、共通善を促進すると信じるに足る理由がなければならない。たとえ泡沫(ほうまつ)候補であっても、人種差別主義者への投票は社会全体に害をもたらす一助となる。正しい選択肢に投票したとしても、それが間違った理由から行われたのであれば、やはり他人を害するリスクがある。こうした議論は、教育機会に恵まれない有権者、とりわけ貧困層やマイノリティの権利を制限するために用いられることもあるが、本書は投票権の剝奪(はくだつ)ではなく棄権を提案する。棄権は自発的な投票行動の一種だからだ。
 本書はアメリカ社会を前提に書かれており、一見するとトランプ現象への批判だと感じられるかもしれない。だが、原著が刊行されたのは十年以上前のオバマ政権下であり、政治的な党派色も薄い。積極的な棄権を説く本書の主張に違和感を覚える読者も、共通善のためにこそ投票すべきだということには同意するのではないか。日本でもSNSで真偽不明の情報が氾濫(はんらん)し、選挙に影響を及ぼし始めた今日、本書の議論を避けて通ることはできない。本書がこのタイミングで翻訳されたのは、誠に時宜を得ているといえよう。
    ◇
Jason Brennan 米ジョージタウン大教授。政治哲学、応用倫理、公共政策。リバタリアニズムの論客。