1. HOME
  2. 書評
  3. 「美しい世界はどこに」書評 現実の醜さに傷つき、もがいて

「美しい世界はどこに」書評 現実の醜さに傷つき、もがいて

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2025年03月15日
美しい世界はどこに 著者:サリー・ルーニー 出版社:早川書房 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784152104076
発売⽇: 2025/02/19
サイズ: 13.1×18.8cm/384p

「美しい世界はどこに」 [著]サリー・ルーニー

 読んでいる間、二十九歳だった頃の感覚が嵐のように蘇(よみがえ)った。青春は終わったらしいが次のステップには進めない生煮えの日々。感受性は思春期並みに鋭くそのせいでひどく傷つく。細かな感情の機微に振り回されながら、一方では冷静に観察する老成した自分もいる。恋愛に関しては相変わらず完全にお手上げ。
 本書はアイルランド出身の作家サリー・ルーニーの長編第三作。デビューと同時に世界的にブレイクした、ミレニアル世代のアイコンの一人だ。
 まずは著者本人を思わせるベストセラー作家アリスの精神的危機が描かれる。片田舎に引っ込んで司祭館に住み、マッチングアプリで地元民のフィリックスと出会う。倉庫で働く労働者階級の青年と、誹謗(ひぼう)中傷に傷ついてきたセレブ作家。棘(とげ)のあるアリスは若くして金持ちになったことでますます孤立している。
 唯一の救いが、大学時代の親友アイリーンだ。ダブリン在住、「低賃金だがやりがいのある」文芸誌で働く彼女こそ本書のメインキャスト。五つ年上の幼馴染(おさななじ)みサイモンを長年慕い、そのことで苦しんできた。
 遠い場所で、かけ離れた立場で暮らすアイリーンとアリスは、電話もせずひたすら長文メールを送り合う。友情を維持するためのものではない。さながら心の避難所だ。書かないと死ぬ。そこに綴(つづ)られるのは、たとえば資本主義社会で生きることへの嫌悪感。気候変動の時代を生きる若者特有の憂鬱(ゆううつ)が彼女たちを覆う。それをシェアして吐き出し合い、どこかへ辿(たど)り着こうともがく二人は、互いの理解者であり、戦友、魂の双子のようだ。
 疑いようもなく、この世界は醜い。彼女たちが生きるには汚れすぎている。というより二十九歳は人間の魂が美しくいられる、最後の年なのかもしれない。淡水魚が少しずつ海水に体を馴(な)らすような、痛切な物語。ここから先は次のフェーズ。彼女たちにも現実世界で生きる時が来たのだ。
    ◇
Sally Rooney アイルランドの作家。著書に『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』『ノーマル・ピープル』など。