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郷土の豊かな味を伝える「輪島屋おなつの春待ちこんだて」 武川佑が薦める文庫この新刊!

  1. 『深川ふるさと料理帖(ちょう) 二 輪島屋おなつの春待ちこんだて』 馳月基矢著 上田聡子監修 徳間文庫 836円
  2. 『さざなみの彼方(かなた)』 佐藤雫(しずく)著 集英社文庫 990円
  3. 『小説を書くということ』 辻邦生著 中公文庫 1100円

 春本番にフレッシュでかつ苦みのある「恋」を描いた作品を選んだ。

 時代小説の人気ジャンル料理物の郷土性に着目した(1)。江戸は地方出身者の都市でもあった。主人公は能登輪島出身で、江戸の小料理屋で働くおなつ。作中登場するのは氷見産が名高い寒鰤(かんぶり)のぶり大根、春告魚いさざの卵とじ、正月の大根ずしなど、郷土の豊かな味を伝える。許嫁(いいなずけ)の丹十郎との再会が叶(かな)うか、おなつに思いを寄せる武士とのギクシャクなど恋模様も目が離せず、さらりと挿入される史実の社会事情も心憎い。なお能登半島地震チャリティー小説。

 豊臣秀吉の側室・茶々(淀殿)と彼女の乳母子(めのとご)・大野治長の情愛にスポットを当てた(2)。長年子に恵まれなかった秀吉の男子秀頼を産んだ茶々。その子はじつは治長との不義密通の子であるという話は江戸時代から広く人口に膾炙(かいしゃ)した「勘ぐり」であるが、著者は二人の故地である近江琵琶湖のさざ波、差しのべ繫(つな)ぐ手など印象的なモチーフをちりばめ、下種(げす)な勘ぐりを、ひたむきな思いへと昇華させた。秀吉や彼の正妻・寧の葛藤も秀逸。歴史小説に馴染(なじ)みのない読者にも薦めたい。

 『背教者ユリアヌス』などの著者による創作論『言葉の箱』の再録で、小説にまつわる講演などを加えた(3)。選書テーマとはずれるが、歴史小説は現代の諸問題への比喩を見いだし、生き生きとした緊張の場に甦(よみがえ)らせるもの等、著者の歴史小説への認識はいまなお古びない。解説の中条省平の引用部分は、小説を読むすべての人に贈られた著者からの祝福である。=朝日新聞2025年4月19日掲載