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「みんな彼女のモノだった」 「淑女」像変える歴史認識の転回 朝日新聞書評から

評者: 中澤達哉 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月03日
みんな彼女のモノだった――奴隷所有者としてのアメリカ南部白人女性の実態 著者:ステファニー・E・ジョーンズ=ロジャーズ 出版社:明石書店 ジャンル:社会学

ISBN: 9784750358826
発売⽇: 2025/03/17
サイズ: 19.5×3.6cm/436p

「みんな彼女のモノだった」 [著]ステファニー・E・ジョーンズ=ロジャーズ

 歴史観の転換は、生きている間に、そうお目にかかれるものではない。当然視されてきた既成概念や価値観がひっくり返るのは、数学や物理学の世界では、よほどの発見がない限り不可能だろう。しかし、歴史学を始めとする人文科学では数十年に一度そういうことが起こる。物理にあやかった「コペルニクス的転回」。それが本書だ。
 本書を読む前に、マーガレット・ミッチェルの名作「風と共に去りぬ」を思い出してほしい。まだの方は映画を鑑賞するか、原作を読むとよいだろう。主人公は、アメリカ南部ジョージア州の大農園主の娘スカーレット。その自由奔放な性格、恋愛、そして南北戦争後の不遇と成長は目を見張る。しかし、着目すべきはむしろ、主人公の母親エレンや義妹メラニー。スカーレットとは対照的な「淑女」イメージのキャラクターたちだ。特に、フランス貴族の家系を出自とするエレンは、当時の南部白人世界の典型ともいえる貴婦人で、南部の貴族文化を代表する存在といえよう。
 さて、本書には、エレンのような貴婦人身分を彷彿(ほうふつ)させる人物が多数登場する。しかし、その振る舞いは、「淑女」エレンとはまったく違う。黒人奴隷制の存在を前提とした社会の中で、奴隷の管理や養育の仕方を学びながら育つ様子。幼少期に親から与えられた奴隷を賃貸したり、売買したりして儲(もう)けに興じる姿。裁判で自己の奴隷所有の正当性まで主張するあり様。まさしく「みんな彼女のモノだった」。
 以上は、これまで着目されなかった贈与証書や信託証書の分析を通じて明らかになった事実である。驚きは、通常の奴隷市場から隔離された空間に、白人女性専用の奴隷競売市場が設けられていたという指摘だ。南部の白人女性は、奴隷経済の積極的な担い手に他ならなかった。
 従来の歴史学では、南部社会の主人は白人男性で、女性は市民権が制限された被差別の対象と理解されてきた。しかし本書によれば、白人女性たちもまた奴隷制の存続に寄与した共犯者だった。歴史の見方が一変したのである。歴史認識の転回だ。
 かくして、南部の白人女性たちの実像を批判するのはたやすいことになった。だが、歴史学がより重視するのは、その現象を生じさせた文脈と意味だ。白人女性は市民権制限のなかで黒人奴隷所有に自らの自由や解放を見出(みいだ)してしまっていた節もある。なにより、資本主義はそうした人種差別を前提にしてこそ進展していた。歴史観が変わるときこそ、現象の背後にある構造を正確に捉えたい。
    ◇
Stephanie E. Jones-Rogers 米カリフォルニア大学バークリー校准教授。本書で2019年に初期アメリカ共和国歴史家協会賞、ロサンゼルス・タイムズ文芸賞をアフリカ系アメリカ人として初受賞。