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「鳥の心臓の夏」書評 優雅で無駄なき文が生む緊迫感

評者: 藤井光 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月03日
鳥の心臓の夏 著者:ヴィクトリア・ロイド=バーロウ 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784023323971
発売⽇: 2025/03/21
サイズ: 18.8×2.5cm/424p

「鳥の心臓の夏」 [著]ヴィクトリア・ロイド=バーロウ

 1980年代、イギリスの湖水地方。語り手である女性サンデーは、16歳の娘ドリーと小さな町で暮らしている。サンデーは白い食べ物を食べる習慣を長年続け、他人と接するときには50年代に出版された『淑女の礼儀作法』という本に厳密に従い、出自のつながりのないシチリアの伝統に強い愛着を覚えている。頭のなかでは完璧な文章を作れても、それを人に対して表現することができない。
 現代なら、彼女は「自閉スペクトラム症」(ASD)という言葉で形容されるだろう。この小説の著者は、自身についてもそう公表している。
 ある夏、サンデーは隣家を一時的に借りて住むことになった女性ヴィータと出会い、夫のロロとも頻繁に顔を合わせるようになる。娘のドリーは将来の進路を決める時期であり、不動産のリノベーションを手掛ける隣人夫妻との交流によって、ドリーの世界は目に見えて変化していく。
 愛する娘が次々と新しいものを手に入れていくのとは違い、サンデーの人に対する感情は揺らぐことがない。その感覚のずれは、家族のなかに溝を生み、ときに否定的な言葉となってサンデーに投げつけられる。かつて、成長する過程で、社会に受け入れてもらう努力が足りない、と母親から幾度となく責められてきたように。
 そうして主人公と周囲との間に生じる軋轢(あつれき)を、小説は正面から見据えつつ、サンデーの感覚を巧みに読者に伝えている。随所で駆使される豊かな比喩表現もあいまって、彼女の職場である農場での指先の感覚や、他者の「鳥の小さな心臓」の描写は忘れがたい。語りは安易に劇的な出来事に頼ることなく、優雅だが無駄のない文章が生む緊迫感をまとっている。
 他者を理解するとは、自己を理解するとはどういうことなのか。そうした問いを、小説は主人公にも読者にも投げかけつつ、鮮烈な輝きを持つ最後の一文にたどり着く。
    ◇
Viktoria Lloyd-Barlow 英国の作家。2023年に本作でデビュー、ブッカー賞候補になった。ASDと文学について講演する。