
ベン・ブラッドリー(1921~2014)は68~91年にWP編集主幹を務めた。同紙の報道現場を長く率い、米国の現代史に残るペンタゴン文書(71年)やウォーターゲート事件(72~74年)の報道などを指揮した。
原著は95年刊で、未邦訳だった。この本の共訳者の一人、根津朝彦・立命館大教授(戦後日本ジャーナリズム史)は「遅まきながら翻訳を志したのは、ウォーターゲート事件を描いたハリウッド映画『大統領の陰謀』(76年)に感動したのがきっかけ」という。
72年の大統領選で相手陣営の盗聴や証拠隠滅などに関係した疑いが明るみに出て、ニクソン大統領は74年に辞任する。WPは一連の疑惑を特報し、世論を導いた。
ロバート・レッドフォード扮する若手記者ボブ・ウッドワードとダスティン・ホフマン演じる先輩記者カール・バーンスタイン。主人公2人よりも根津さんの印象に残ったのは、編集主幹ベン・ブラッドリー(ジェイソン・ロバーズ)だった。入手した情報を報じないのは「溺れている人を助けないこと」に等しく、「権力者の手先であるという烙印(らくいん)を永遠に押され続けるだろう」。疑惑を報じれば国家の安全が脅かされると圧力をかけてくる政権に対し、WPは社主キャサリン・グラハムを筆頭に一歩も引かなかった。
「活躍する記者の裏には、それを支える優れた上司が必ずいるものだが、なかなか注目されにくい」。キャサリン・グラハムの貢献は彼女の自伝などを通してよく知られるが、「ブラッドリーら幹部も現場の記者をバックアップし続け、統率力を発揮した」。
自伝によれば、ブラッドリーは米東部ボストンの裕福な家庭に生まれ、エリート層の人脈も豊富で「人の扱い方を心得た自信に満ちた態度」だった。彼は現場の記者と同じように、何よりも事実の解明、真実の追求に関心を示し、社内外からの強いストレスにも耐えた。優秀な記者を採用することにも熱心だったという。
根津さんは日本のジャーナリズム史を研究する中で、現場記者の働きに加えて、ブラッドリーのような「編集局長や部長などの編集幹部がいかに権力の圧力に屈することなく対峙(たいじ)するかが重要だと感じるようになった」という。
「新聞・テレビが『オールドメディア』と呼ばれ、記者志望者が減っても、報道の使命を誰が担うのかという問題は残る。もっとジャーナリズムを支える基本的な条件を意識し、その仕事自体の魅力を伝える工夫が必要ではないか」
近年は日本でも映画・ドラマの「新聞記者」(映画公開は19年、ドラマ配信は22年)やNHKスペシャル「未解決事件 File06 赤報隊事件」(18年)など、記者が主人公の映像作品が目立つ。
「記者は何を考え、どう行動する職業なのか。それを幹部はどう支えればいいのか。報道は人生を賭けるに値すると思う人を地道に増やしていきたい」(大内悟史)=朝日新聞2025年05月21日掲載
