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「熟柿」書評 罪の重さと、断ち切れぬ想いと

評者: 吉田伸子 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月24日
熟柿 著者:佐藤 正午 出版社:KADOKAWA ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784041146590
発売⽇: 2025/03/27
サイズ: 14.2×19.4cm/368p

「熟柿」 [著]佐藤正午

 「母親が犯罪者の子供と、母親に死なれた子供と、どっちがより不幸か、考えてみろ」。元夫から言われた言葉が、ずっとかおりを苛(さいな)む。
 「起きたことは不注意の事故でも、重い罪に問われたのは、そのあとに取ったわたしの行動なのだ」とかおりは述懐する。ひき逃げ犯としての刑期を終えてなお、「わたしは犯人なのだ」という思いは、烙印(らくいん)のように彼女の内にある。
 けれども。刑務所内で出産し、生後間も無く引き離されてしまった息子への想(おも)いはどうしても断ちがたく、息子が幼稚園児の時と、小学校の入学式当日と、かおりは2度、パトカーで連行される騒動を起こしてしまう。そこでようやく、かおりは覚悟を決める。自分は「死んだ母親」になるのだ、と。
 物語は、ひき逃げ事件を起こしてからの彼女の17年を淡々と描いていく。かつかつの暮らしのなかから、息子を受取人にした生命保険料を払い込み続ける。日々を楽しむこともなく、むしろ楽しむことから遠ざかるようにして生きる。
 なのに、追いかけてくる悪意がある。追われるように各地を転々とせざるを得ないかおりの姿に、罪と罰、を思う。彼女が背負わなければいけない十字架の、残酷なまでの重さを。
 ただ、かおりに差し出される手も、本書ではちゃんと描かれている。幼稚園での〝事件〟で知り合った、息子と同じ幼稚園に通うさきちゃんと母親の久住呂(くじゅうろ)さん、かおりの親友である鶴子、いとこの慶太。とりわけ久住呂母娘は、かおりにとって救いの糸になる。
 お願いだから、もうこれ以上かおりから何も奪わないで、と祈る気持ちで読んでいた切ない物語は、けれど、なんとも優しい読み心地へと着地する。罪は消えない。自責も続く。それでもなお、人生にさす一条の光はある。奇跡のようなその光に、躊躇(ためら)いつつも手を伸ばすかおりの姿が、読後も胸に残る。
    ◇
さとう・しょうご 1955年生まれ。2015年に『鳩の撃退法』で山田風太郎賞。17年『月の満ち欠け』で直木賞。