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「誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇」書評 無力さを自覚する「小民族」の声

評者: 中澤達哉 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月24日
誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇 (集英社新書) 著者:ミラン・クンデラ 出版社:集英社 ジャンル:評論・文学研究

ISBN: 9784087213614
発売⽇: 2025/04/17
サイズ: 10.6×17.3cm/160p

「誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇」 [著]ミラン・クンデラ

 ヨーロッパと言って、まず思い浮かぶ国は、イギリスかフランスか、はたまたドイツだろうか。おそらく、ポーランドやチェコと答えるような人は日本では稀(まれ)だろう。いや、実のところ、当のヨーロッパにおいてすら、中欧はマイナーな存在だ。英国元首相チェンバレンにとって、中欧は「あまり知らない遠く離れた国」でしかなかった。西欧の隣人にそのようにしか思われていないことが周知の事実となりはじめた1983年、チェコの作家ミラン・クンデラが亡命先のパリで一声を上げた。それが本書だ。
 ここで、名著『存在の耐えられない軽さ』やカフカの名作『変身』を思い出してみよう。主人公はいつも自らが置かれた状況に翻弄(ほんろう)される存在だ。中欧の作家たちの世界観は、現実に中欧が自らの命運の決定に関与できない〈歴史の客体〉だったことと無縁ではない。
 本書からも無力さの自覚が滲(にじ)み出る。中欧はローマ教会のもと文化的に一貫して西欧に属したが、第2次世界大戦後には政治的にソ連東欧圏に強制編入された。プラハの春も弾圧された。クンデラの目には、中欧は「誘拐された西欧」と映ったのだ。自分が自分でなくなってしまう悲劇を、無関心なパリの人びとに切々と訴えたのである。
 特筆すべきは、中欧論に「小民族」という視点を加えたことだろう。ここで言う小民族とは、常に存在が脅かされ続けるがゆえに、自らの弱さを自覚している人びと。幻滅した体験から大国に対して本能的に不信を抱く人たち。中欧とはそうした小民族からなるヨーロッパだと言う。
 世界で大国の暴力が幅を利かせるとき、小民族は再び誘拐され、かつての中欧と同じ轍(てつ)を踏むことになりはしないか。本書のこの警鐘は今こそリアリティをもつ。西欧へのやや過度な期待と、これと裏腹のロシアへの極度の不信とを差し引いてもなお、余りある説得力をもって私たち現代人に問いかけてくるのだ。
    ◇
Milan Kundera(1929~2023) 作家。現チェコ生まれ。75年、仏に亡命。著書に『存在の耐えられない軽さ』など。