
ISBN: 9784791777099
発売⽇: 2025/04/25
サイズ: 13.2×19cm/300p
「火葬と土葬」 [著]岩田重則
親の死に際しては斎場で葬式をして、火葬場で焼いて、墓に納めた。命日には欠かさず墓参している。墓石を洗って手を合わせると、なんとなく気持ちがいいのも事実である。しかし、私自身は死んだらそれっきりと思っている。死後の世界は信じていないし、お盆に帰ってくることもない。目の前の墓はただの石の塊にすぎないと思うこともある。でも、自宅には位牌(いはい)があり、毎朝線香をあげている。何をしているんだ、私は。
本書第一章では浄土真宗の葬儀が語られる。例えば、けっして僻地(へきち)ではないある土地では、近年までサンマイと呼ばれる場所で火葬し、一部を残してあとの骨はそこに放棄していた。浄土真宗は極楽浄土を信じ、阿弥陀如来に帰依するため、死者はもう現世には戻ってこない。だから、収骨したものは寺に納め、墓はもたない。そうなんだ。お墓、ないんだ。
こういう話に私はびっくりしっぱなしだった。土葬で墓がない地域。あるいは、遺体や遺骨を埋葬した地点とは別に墓地がある両墓制。それぞれのやり方に、信仰や政治の、歴史的・文化的背景がある。
民俗学者である著者は、丹念な調査に基づいて分析し、ときに大胆な仮説を引き出す。当事者たちは、いまの私がそうであるように、その意味をとくに考えずに従来のやり方を踏襲してきただけかもしれない。だが、こうして専門家の手によって多様な葬儀の事実を詳細に示されると、驚きとともに死者を送ることの意味と重みを考えさせられてしまうのだ。
とはいえ、正直に言おう、私は本書をきちんと読んでいない。調査が丹念すぎて、同様の事例が繰り返されると(学術的な調査とはそういうものだ)、二つ目からはつい読み飛ばしてしまう。けだし根性不足である。しかし、仔細(しさい)はいつか読み直せばよいではないか。著者には失礼ながら、すっとばして読んでもインパクトは甚大である。
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いわた・しげのり 1961年生まれ。中央大教授(歴史学・民俗学)。著書に『「お墓」の誕生』『靖国神社論』など。