日本推理作家協会賞を受けた「蟬(せみ)かえる」など、昆虫好きの青年を探偵役にした3冊の短編集でミステリーファンをうならせた作家、櫻田智也さんが初めての長編小説「失われた貌(かお)」(新潮社)を出した。「警察小説の形でハードボイルドを気取ってみたかった」と話す意欲作だ。
物語はミステリーの定番「顔のない死体」から始まる。J県の山奥で発見された変死体は顔をつぶされ、両腕から手首が切り落とされていた。翌日、隣市のアパートの一室で大家の死体が見つかるが、住人は行方不明。同じ日、小学生が警察を訪れ、変死体は10年前に失踪した父親ではないかと問いかける。彼は身元不明の死体が見つかるたびに現れるのだという。
捜査の過程は所轄の刑事、日野の視点で語られる。彼が目にするのは警察に持ち込まれる様々な案件だ。ごみの不法投棄への対応、公園で小学生に声かけした不審人物の捜査……。本筋の事件とは関係のなさそうな出来事がからみあい、一つの謎が解き明かされるごとに事件の様相は変わっていく。短編シリーズの特徴だった「ホワットダニット」(何が起きたのか?)の手法が本作にも生かされている。
ハードボイルドを気取るにあたって影響を受けた作家の一人がマイクル・Z・リューイン。代表的なシリーズ探偵のアルバート・サムスンは、いわゆるタフガイな私立探偵ではなく、暴力を憎む心優しき知性派だ。日野の姿にも、短編の探偵役、魞沢泉(えりさわせん)青年にも通じる雰囲気がある。
「いわゆる名探偵にはあまり魅力を感じないんです。迷いながらうろうろして、ダメなところを見せたり、ときどきへこんだりするようなところが僕の肌に合ったのかな」
「顔のない死体」に始まりながらも、DNA鑑定といった最新技術ではなく血液型が大きな手がかりとなり、町の現在と過去のそこここに隠された家族の悲劇を浮かび上がらせていく。
「クラシカルな要素を用いつつ、調理方法は違うって書き方をしたかった。僕自身、定番がずれていくところに面白みを感じるので、血液型でもまだこんなことができるんだぞって」
落ち着いた筆致で進む物語だが、ささいな描写を含め、無関係に見える出来事はすべてつながっており、精緻(せいち)なパズルのよう。日野が葛藤の末にたどりつく意外かつほろ苦い真相は、ハードボイルド好きも謎解きファンもうならせるはずだ。(野波健祐)=朝日新聞2025年8月27日掲載