作家の北方謙三さん(77)による新たな歴史長編シリーズが開幕した。鎌倉時代の元寇(げんこう)に至る過程を日本とモンゴル双方から描く「森羅記」(集英社)。「大水滸伝」シリーズ(全51巻)と「チンギス紀」(全17巻)に連なる壮大な物語で、「最後の長編になる」と意気込む。
「元寇の激戦地となった玄界灘は、昔からいろんな国の船が交錯していたところで、私の故郷(佐賀・唐津)なんですよ」
時は13世紀、チンギスの孫クビライはモンゴル帝国の権力争いに頭を悩ませていた。一方、日本では鎌倉幕府5代執権の北条時頼が水軍を擁する夢を抱いていた。海の向こうから大きな脅威がやってくる予感がするのだ。嫡男(ちゃくなん)の正寿はまだ生まれたばかりだった。
後の8代執権時宗となる正寿とクビライ、やがて相まみえる2人の男を軸に物語は展開するが、必ずしも主役というわけではない。
「物語の庭を海の上にした群像小説です。クビライはそんなにドラマチックな性格じゃないし、時宗は30歳ちょっとで死んじゃうから、男の一代記にはなりづらい。むしろ国難に処する時宗に生涯を捧げた周りの人々に目を向けたい。だから〈森羅〉なんですよ」
時頼を筆頭とする幕臣は琵琶湖のほとりに、房総の安房に、津軽半島の十三湊に、造船や配船、荷積みの知恵を持つ人々を訪ね歩く。かたや精強な騎馬軍団を擁するモンゴルでは、帝位争いに決着をつけたクビライが漢王朝の南宋攻略へと向かう。海をも思わす大河・長江を擁する敵を前に、水との闘いを意識し始める。
「昔から日本の政(まつりごと)の大きなテーマは外敵をどう防ぐか。陸に上げると悲惨なことになるのは隣国の朝鮮王朝を見てればわかる。すると海上で防ぐしかないわけで、幕府に水軍がないのはおかしいんですよ。各地で船を持っていた連中がまとまれば水軍になりえただろうと想像して書いてます」
物語にはモンゴル、幕府と並び、もう一つの極がある。玄界灘を拠点に独立性を保ちながら周辺各国と交流していた松浦水軍。元寇でも大きな役割を果たした海の民は、朝廷や幕府といった国家的な権威とは別の価値観で生きているようにみえる。
「国とは何かっていうのはずっと私の中にあるテーマなんですね。国の姿は違っても国家観の根底にあるものは同じであるはずと思っていて。それを言葉で説明すると、どうにもならない。だから人間ドラマとして書いてるんです」
思えば、北方さんが初めて手がけた歴史小説は九州を舞台にした「武王の門」に始まる一連の南北朝ものだった。一方、「大水滸伝」は北宋王朝の末期に始まる。「森羅記」の時代はちょうど時代の結節点に当たっている。
「最後の長編になるから、結びつけようという意識は全くなかったけど、必然的にそうなっちゃったんだよね。不思議なもんで」
「水滸伝」ラストの梁山泊の湖寨(こさい)を巡る攻防戦や、「チンギス紀」における騎馬軍団の大平原戦のような、手に汗握る水軍同士のぶつかりあいまでは先は長そうだが、すでに終わりは見えているのだろうか。
「せいぜい15巻で終わると思ってます。チンギス紀が始まった最初のころも、サイン会で読者の3人に1人くらいから〈お願いだから完結させてください〉って言われてて。死ぬと思われてんだよね。始めたからには完結させないとね。読者のためにも」(野波健祐)=朝日新聞2025年9月24日掲載