大学のホールに多士済々の学者が集まった。41歳で亡くなった若き国際政治学者を悼むためだった。会場では研究人生の歩みをたどる声が続いた。改めて、その底知れぬ可能性を痛感する場となった。
関西大学教授の五十嵐元道さんは北海道で生まれ育った。国際関係論・国際政治史が専門。「戦争とデータ 死者はいかに数値となったか」は、国際的な人道ネットワークが統計学や法医学の知見を採り入れながらどう戦死者を算出してきたかを分析し、2023年度の大佛次郎論壇賞を受賞した。今後の活躍が期待されていたが、4月29日、致死性不整脈で突然この世を去った。
9月末、関西大学(大阪府吹田市)で追悼シンポジウムがあった。
五十嵐さんの知の営みは「リベラリズムの矛盾を暴く」ものだった――。そう表現したのは、ノートルダム清心女子大学の土佐弘之教授(国際関係論)だった。
確かに、最初の単著「支配する人道主義」では、人道主義という弱者への共感が介入と支配につながることを示した。共感は、統治する側とされる側を生み出す。そして、植民地統治すら正当化する危険性がある。「戦争とデータ」では、人道主義を支える戦死者数を疑った。客観的とされるデータは、時に政治性を帯びる。普遍的なものに潜む矛盾へのまなざしは鋭かった。
だが、五十嵐さんがその矛盾を暴いたリベラリズムは崩壊の危機にある。土佐さんは、リベラリズムは少なくとも上品な人種主義だったが、それらがトランプ主義的な粗野な人種主義に取って代わられていると警鐘を鳴らした。「ましな悪」を批判している間に大きな悪が広がる。そんな時代に、いかにリベラリズムを再建するのか。土佐さんは「五十嵐さんは、ここで指摘した問題を直感的には理解していただろう」と語った。もし、生きていれば、その難題にどう取り組もうとしただろうか。
五十嵐さんの著作は、歴史資料をふんだんに使う。だが決して過去に埋没せず、現代的な問題関心に引き寄せ論じていた。歴史家E・H・カーはかつて「歴史とは現在と過去との終わりなき対話」と説いたが、明治学院大学の半澤朝彦教授(国際関係史)は「歴史家は意外と対話していない」と厳しい。だが、五十嵐さんについては「現状と歴史とを結びつけ絶え間なく対話をしていた」。
カーや国際政治学者のジョセフ・ナイにつながるような稀有(けう)な存在だったとも。カーは国際政治学の礎を築いた。ナイは発展させた。その2人に比する存在になり得たのだ、と。
シンポジウム終盤には同僚の安武真隆教授(政治思想)が、こんなエピソードを披露した。
五十嵐さんはこの春学期に「外交政策」という授業を担当していた。全15回の配信授業だった。五十嵐さんが亡くなった時、安武さんは他の同僚らと、どのように授業をカバーすべきか思案した。ところが、五十嵐さんは授業を収録した動画全15回分をすでに用意していたことがわかったという。
多忙な業務のなか、大学教員は研究になるべく時間を割きたい。「普通は毎回追われるように配信の用意をするんですよ」と安武さんは笑った。
「五十嵐さんは授業後いつもへとへとでした」「毎回全身全霊で臨んでいたのでしょう」。以前、五十嵐さんの知人に取材した時、そう語っていたのを思い出した。研究も、教育も、熱意を持って取り組む人だった。(田島知樹)=朝日新聞2025年10月8日掲載