光と闇を一つの全きものにしていく物語
――「ゲド戦記」は、アースシーと呼ばれる架空の多島海(アーキペラゴ)世界を舞台とするファンタジー。大魔法使いゲド(通名ハイタカ)の、若き日の物語として第1巻『影との戦い』ははじまります。冒頭、「ことばは沈黙に/光は闇に/生は死の中にあるものなれ/飛翔せるタカの/虚空にこそ輝ける如くに――」という架空の古い物語詩の一節から、本編へ入っていきます。凛とした訳文に魅了された読者も多かったのではないでしょうか。
それは私自身が作者アーシュラ・K.ル=グウィンの文章に驚いて、感動したからだと思います。「ゲド戦記」に書かれているのは、まさにここにある、私たちの現実の本質。身のまわりで起こっていることの本質なんですね。訳しながら、なんて巧く現実をとらえて書いているのだろうと感嘆していました。
――生後すぐ母を亡くし、ほとんど放り出されて育った少年ゲド。魔法の才能があることがわかり、ロークの学院に入学しますが、ライバルの挑発にのった結果、死者を呼ぶ禁忌を犯します。顔に傷を負ったゲドは、呼び出された〈影〉におびえ、自身の〈影〉と闘うため旅をすることになります。
荒々しく傲慢な少年が、いろんな経験を経て成長していきます。己の内にある闇と光とを、自分の中でいかに一つの全きものにしていくかという意味では、それまでのファンタジーによくみられたような、主人公が善で、悪は外部にあるという善悪二元論とは違うものでしょうね。
――アースシー世界の魔法使いは、物や人の「真(まこと)の名」を知り、唱えることで魔法を操ります。名前を知られることは、相手に支配される恐れがある、ということ。名前を明かしあうのは信頼の証としても描かれます。1960年代に書かれたファタンジーですが、今読んでも興味深い世界観です。
「名前」によって相手の本質をつかみ、ひいては相手を支配するという考え方が、第1巻では繰り返し出てきますね。ゲドに先に本名を明かしたカラスノエンドウという人は、ゲドにとって生涯の親友になります。
アーシュラ・K.ル=グウィンの父親は文化人類学者のアルフレッド・クローバー教授、母親は作家で『イシ――北米最後の野性インディアン』の著者として名高いシオドーラ・クローバーです。ル=グウィンも文化人類学に造詣が深かっただろうと思いますね。きっと、彼女自身が生きていくうえで、さまざまな民族の文化や哲学的な思想に支えられていたのではないかと想像します。
言葉は“生きているもの”
――清水さんは20代から30代のはじめは高校の英語の先生をされていたそうですね。
1964年に大学卒業と同時に、県立高校の英語教師になりました。教師の仕事は学ぶことが多く本当に好きでした。でも「ゲド戦記」に出会って、どうしてもこの作品を訳したいと思いはじめました。私自身それほど体が丈夫ではないし、とても両方はできない。30代になろうとし、自分は何者か、どんな仕事をすべきかを考えていたときで、悩んだ末に9年勤めた教師をやめました。
家庭教師と新聞等の原稿で食いつなぎながら『影との戦い』の翻訳にとりかかかったのは1973年12月、32歳のときです。訳せる喜びは大きいものでしたが、同時に怖さもありました。
そりゃあ、怖いですよ。とくに男の子が精神的に成長していくとき、その言葉がどのように変わっていくのかということはとても考えました。同じひとりの少年でも、内面的な成熟度によって、言葉が変化していくでしょう? ものの言い方もスピードも、発声そのものも変わっていく。教師として学生たちとつきあっていく中で感じていたことでもあります。
そして読者も、それぞれの登場人物の成長を心の中で追いながら、読者なりの人物像をつくっていくはず。もしも翻訳者である自分が、その人物の大事な要素を浅くとらえて訳してしまっていたら……それはおそろしいです。でも言葉っておもしろいですよね。訳すことはいろんな意味でこちらの内面も試されます。
――海や島々の描写溢れる第1巻から一転、第2巻『こわれた腕環』の舞台は、闇と静寂が支配する墓所。大巫女の生まれ変わりとして神殿で育てられた少女テナーが、地下の迷宮でゲドに出会います。人間性も名前も奪われていたテナーは、ゲドの出現によって本来の生に踏み出そうとします。
大巫女として躾(しつけ)を受けてきた少女が、ゲドとの出会いでどんなふうに変化していくのか、文章から日本語を想像するしかないんですよね。あまり物語に歩み寄りすぎて訳してもおかしい。読者は物語に対してちょっと距離を含んでいるわけですし、こちらだって読者の一人ですから。
翻訳者は、芝居の脚本を読み込み、舞台を演出する、演出家のようだと思うことがあります。訳しながら、演劇をやっている人ってこんなところで困るだろうな、ぶつかるだろうな、とひとつの訳をこなすたびにそれはしょっちゅう思いました。
登場人物の中に入っていって、その言葉が変化していくさまを想像するのは、苦労というより、私にはおもしろいのです。現実の世界の人間だって、時や状況とともに言葉は変化しますよね。言葉って、わりと軽く使われたり話されたりするけれども、生身の肉体と同じくらい“生きているもの”だなあと思います。
言葉は呼吸と同じで、その呼吸にはいろんな形や色がついている。それらをすくいとるとき、間違うことだってあるだろうと不安に駆られます。でも不安がっていても仕事は進まないから、思い直すんです。「それでも遠い昔から、人はちゃんと文字を通して、理解してきた」「だからそこまで心配しなくてもいい」と自分に言い聞かせたりして。
ゲドの物語からテナーの物語へ
――第3巻『さいはての島へ』で、ゲドと〈影〉の戦いの物語に区切りがついたかに見えましたが、18年の時を経て第4巻『帰還』が書かれます。
1968年にアメリカで第1巻が出版されてから、ル=グウィンは間をおかずに続けて第3巻まで書いているので、当初私は三部作の物語として受け止めていました。ところが18年後の1990年に第4巻『帰還』の原書が出版されました。読んだ方はわかると思うのですが、4巻以降は前半とはまったく異なる色合いのものになっています。大魔法使いではなくもはや力を失ったゲドの“その後”でもあり、テナーとゲドふたりの物語。もっと言えば、主人公は、ゲドからテナーへとシフトしていきます。
私は『帰還』を訳した後、はじめてル=グウィン本人に手紙を書きました。それまでエージェントを通して訳についての質問を送ったことしかなかったのですが、4巻に至り、「私はこの世界を知っている。テナーとゲドの物語を共に生きている」と強く思ったからです。
――2巻で墓所を出た少女は、4巻『帰還』では農夫と結婚して子を産み、年を重ねた中年女性となっています。かつては知の権力の近くにいながら、一寡婦として生活するテナー。テナーと村のまじない師のコケばばが、魔法や女や人生について対話する場面に引き込まれます。手仕事をしながら沈黙、つっかえ、早口など織り交ぜた老婆のまわりくどい語りが真に迫ります。
この物語を訳しはじめたとき、いろんな年齢の人が読むだろうと考えました。その人たちに対して誠実な日本語でなければいけないと。物語には、幼な子から、島の職人や商人、ローク学院の賢人、老婆までさまざまな年齢や立場の人が登場します。その人物たちと同じ年齢の日本人たちが全部読むのだと考えて、その人たちを裏切らない日本語をどうやってつかみ出せるかと……。
ゲドのように権威を失った男の人も、コケばばのように筋道立てて話せないけれど独自の知恵をもつ老婆も……私自身、現実の暮らしで会ってきています。子ども時代にふっと大人の世界をのぞいてしまって、そのとき見たことは決して誰にも言わないし言葉にしないけれど、耳をそばだてて、何かを感じとり読みとっていたと思います。
翻訳者は黒衣ですから、物語の中の人物の言葉は、100パーセントその人の表現にならなければと思いますけど……。正直、無茶なところもありますよね。言葉って本当のことを言うと、やっぱりその人自身であると同時に私自身でもある。言葉は、自分が呼吸するようにして子どものときから習得してきたものですからね。
異邦人としての疎外感が自分を育てた
――清水さんは5歳のときに太平洋戦争の終戦を迎え、家族で大陸から引き揚げてこられているそうですね。
私は1941年、今の北朝鮮の元山(ウォンサン)に近い徳源という町で生まれています。父が朝鮮鉄道の駅長をしていて、私は8人きょうだいの7番目。敗戦となり、ソ連兵が銃を持って家にズカズカと入ってきて目の前で父を殴ったのも覚えています。その時期の混乱を考えると、北緯38度線を越えて3歳の妹まで含めよく家族が無事に帰ってこられたものだと思います。
父母の実家がある静岡県掛川市に引き揚げ、暮らしはじめて気づいたのは、うちの家の中で話される日本語が、どうもまわりと違うことです。朝鮮では日本各地から寄せ集まった人たちの集落で暮らしていたから、方言ではなく共通語が使われていたんです。関西より西から来た人たちも多かったですしね。そうしたこともあって、朝鮮で使っていた共通語が、自然に家族の言葉だったんです。
掛川で暮らしはじめ、子ども同士の遊びの中で、ちょっとした日本語の使い方の違いや知らない言葉に戸惑いを感じることはありました。幼い妹は、地元の遠州地方の方言にあっという間になじんで使いこなしていましたけど。私は5歳でその違和感を言葉にすることはできないけれど、いろんな日本語があるんだってこと、自分がその境界に立っていることは肌で感じるんです。そのときから、自分が異邦人であるという感覚は、今に至るまで完全に消えたことはないです。
でも言葉の疎外感を感じながら育ったことは、いま思えば得なことだったと思います。疎外感って悪いことみたいに言われますし、もちろん辛い体験はあまりない方がいいけれど……。枠の内側でいつも安心しているのではなく、枠の境目に立つことで、言葉に敏感にさせられたところはあったと思います。
――大学では『トムは真夜中の庭で』(フィリパ・ピアス作、岩波書店)や『ホメーロスのイーリアス物語』『ホメーロスのオデュッセイア物語』(共に、バーバラ・レオニ・ピカード作、岩波書店)を訳した高杉一郎さんの授業を受けたとか。
高杉一郎先生は静岡大学教育学部で教鞭をとっていらしたんですよ。私にとっては本名の小川五郎先生ですね。小川先生の「文学概論」の授業は本当に楽しかった。先生はアリストテレスの『詩学』を語り、ギリシア神話の世界、その精神を語ってくださいました。また、トマス・モア、クロポトキン、ツヴァイクについても。先生の日本語を通して、日本語ってこんなに深く美しいものかと、授業のたびに感嘆しました。でもまったく力みがなくてね。こちらが気をつけていないとスーッとすぎてしまいそうな自然さで。時代や地域をこえた、言葉や思想の広がり、人間関係のつながりの広さを先生という人物から体で感じました。こんなふうに日本語を使えたらどんなにいいだろう! と。先生から学んだことは、文学の豊かさでした。
私たちの前を生きた人がどうやって生きてきたのかは、いつも気になります。先人たちがどんなところで苦しんだか、間違えたか、こんな発見をしてくれたんだとか……。文学に限らず、本を読むことは、先を生きた人たちと対話するような感じですよね。はるか昔、遠い場所の人にも、国境や時間や日常の違いをこえてつながる。そんな楽しさってあるでしょう。先を生きた人たちはちゃんといいものを残してくれていますよね。
日常を丁寧に生きる文学
――学生時代、いつか翻訳家になるという思いはありましたか?
そんなこと思いもしませんでした。仕事を持って自立して生きていきたいという思いは強くありましたけれど、翻訳なんてとても遠い世界の出来事。卒業論文を小川先生(高杉一郎氏)に目にとめていただいて、その後いくつか児童文学の評論を書きました。翻訳者としての道を最初に示してくださったのは神宮輝夫先生です。ある研究会で神宮先生の分科会に参加したあと、英語の本が送られてきて、その中のどれかを訳しなさいとおっしゃった。それがなければ自分にできるとも思いませんでした。
「ゲド戦記」に出会い、翻訳して、本当に良かったと思うのは……この仕事によって、自分の人生をもう一度、二度、三度と丁寧に生き直す機会をもらった感じがしますね。私もたくさん似たような人生体験をしている。そこに訳という旅を通じて光を当ててもらって、「そうだ、あのときの体験はこれだったんだ」という感覚を何度も味わいました。
大学で教えるようになって、大学生と話していると、「文学って、よその人の話だ」と乱暴に扱うように学生が言うことがあるんですけど、そうじゃない。文学を通して自らの経験や自分の中にあるものを発見していくことが読み手にはできる。私にとって、いい文学、すぐれた文学はそういうものです。なにげないけれど、ふっと自分を解いてくれる文学、作品はいいなあと思います。そうした意味で「ゲド戦記」の訳はおもしろかった。私にも真剣勝負できた仕事だったかなあ……と思います。
――6巻『アースシーの風』でゲドがはじめて登場するシーンは、足の部分から描かれます。頭部は木々の葉の中に隠れ、脛(すね)しか見えない。木に立てかけたはしごからスモモを手に降りてきた70かそこらの老人のゲドのシーンを、清水さんは好きだとおっしゃっていますね。ゲドはテナーと、ひどい虐待を受けテナーの養女となった少女テルーと、家族となり、彼女たちの留守を守って家のことをしています。
4巻以降の作品を通して私はあらためて作者のル=グウィンは日常を丁寧に生きてきた人だと感じてうれしくなりました。生活のことや、天気で空を見るのでも、人との付き合いでも、原文からちらっとにじみ出ることがあるんですよね。
ル=グウィンに実際に会ったのは2003年の夏。彼女が生前に出版した6巻までをすべて訳し終えてからです。初めて会ったときも、不思議と初対面な気がしなかった。作品を通じて、生理的に深いところでこの人のことを知っていると感じたおもしろい経験です。
――シリーズ後半に行くほど、ファンタジーの中にも、登場人物が理不尽な目にあったり惨めな状況に陥ったり、男女のこと、家族や生活のこまごましたことなど、具体的な人生の事柄が描きこまれていきます。
ル=グウィンもきっと私たちと同じように、人生において不条理を感じたり、あるいは夫婦間で問題事を抱えたりしたこともあったでしょう。だからこそあの作品はこちらを窮屈にしないのかなと思います。高邁(こうまい)なことを書いているようで、俗っぽいこともあるし、物差しがゆるやかですね。でも、不条理な暴力のシーンもきちっと書く。そのへんを何気ない筆だけどちゃんと書くことを忘れない。決して力んで書いていないんですね。
――ル=グウィンの死後出版された別冊『火明かり』は「ゲド戦記」にさらに深みを与えています。清水さんご自身の、最近の暮らしはいかがですか。
今年、84歳になりました。年をとって最近「いいな」と思うのは、人間のおもしろい面が見えてきたことです。若いときは「清く正しく」と律したい時期もあったけれど、それは自分もまわりも窮屈にする。正しい言葉は時に人を傷つけます。年をとり、熟していけば、人のアホな面も見えてくるし、ほーっと思うくらい賢い面も見えてくる。でこぼこしたところがちょっとずつ見えてくるのっていいなあと思いますね。自分のことも許し、他者や周りの人たちも受け入れていく。一人で生きていくことなんて無理だし、それでいいんじゃないかと。年をとってズルくなっていくのかもしれないけど(笑)。
私は人がお互いに理解しようとか、伝えあおうとすることを「奇跡だなあ」としょっちゅう思うんです。違う生まれ育ちで生きてきて、それぞれ日常も空間も違う。それなのに、そこに橋がかけられることがあるのは、ものすごい奇跡だと。
時と場所が変われば人の悪口も言い、どろぼうもするのが人間です。自分自身の中にも闇があることは、ちゃんと自覚したい。ただ決して闇をマイナスとは私は思っていなくて。全てひっくるめて「人ってそういうところ多かれ少なかれあるよな」と受け入れあい、伝えあって生きていくのも人間だなと……。だから人間は愛しいものだなと思います。