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西尾潤さん「愚か者の身分」「愚か者の疾走」インタビュー どん底から小説家へ 「少しでも気持ちが上向く作品を」

西尾潤さん=junko撮影

マルチで借金、目標にした留学で小説と出会う

 取材のために姿を現した西尾さんは、軽くウェーブのかかった黒髪に、耳から下は金髪というヘアスタイルだった。映画「愚か者の身分」で北村匠海さん演じるタクヤと同じカラーリングだ。

左が北村匠海さん演じるタクヤ。©︎2025映画「愚か者の身分」製作委員会

 軽妙な関西弁が耳に心地よく、ノリもいい。ヘアメイク・スタイリストとして活躍していることもあり、服装などからもセンスの良さが感じられる。そんな西尾さんは、20歳の時から2年半マルチ商法にハマり、約700万円の借金を抱えたことがある。その頃の体験に基づいて書いたのが『マルチの子』だ。

「23歳の時、借金を返すだけの生活になりました。母から言われて未だに忘れられないのが、『あんた、体も壊されへんで』という言葉。昼は化粧品会社で働き、夜もバイトの毎日。この先のことを考えると、目標がないと本当に心が折れると思いました」

 そこで掲げたのが留学。必死で働いて2年半で借金を返済し、さらに1年半働いて留学資金を貯め、カナダ・バンクーバーに渡った。そこでルームメイトになった日本人留学生が読書好きで、部屋には村上春樹をはじめとした作家の小説がいっぱいあったという。

「英語漬けの生活だと日本語の小説が面白くて。村上春樹さんや、吉田修一さんの『最後の息子』などを読んで、すごいなと思いました。そのルームメイトは自分で小説を書いて文学賞に応募もしていたので、その時に小説を“読む”だけではなく、自分で“書く”こともできるのだ、と思いました」

 帰国後、友人に勧められるままに東野圭吾さんや宮部みゆきさんの小説を読んでいた西尾さん。宮部みゆきさんの文庫本のあとがきで、宮部さんが小説教室に通っていたことを知る。2008年、西尾さんも宮部さんをはじめとする作家を多く輩出する「森村誠一・山村正夫記念小説講座」に通うことに決めた。

「その頃はヘアメイクの仕事が忙しくて、小説講座に通っているだけでほとんど書けませんでした。それでも、ゲストに来られるプロ作家の講義を受けたことで、憧れが芽生えましたし、執筆仲間ができて、切磋琢磨していること自体がすごく楽しかったんです」

ハードボイルドで開花

 そんなある日、西尾さんは、エンターテインメント短編小説を対象とした大藪春彦新人賞の新設を知る。

「ハードボイルドはそんなに読んだことがなかったのですが、展開が早いものが多くて面白く、犯罪小説にも興味がありましたし、短編ということもあり、私も応募してみようと思ったんです」

 第1回目は落選したが、第2回で「東京・愚男ダイアリー」が見事受賞した。のちに『愚か者の身分』として加筆・改題される短編だ。

「タロットカードの“愚者”のイメージもあったのですが、受賞後、『タイトルだけは絶対に変えたほうがいい』と言われました(笑)。この作品には女性も出てきますし、担当編集者さんに“愚か者”という言葉をもらって、それもいいかもと思うようになりました。自分も含めてですけど、愚かで浅はかな人は多いですし、情報に翻弄され、タイパやコスパを追求する中で、どんどん楽な方に流れ、退化しているのかな、という気もしています」

『愚か者の身分』は5章立てで、1章ごとに一人の人物にフォーカスしつつ、半グレの戸籍売買ビジネスの実態や、戸籍を売る人、買う人が抱える事情や葛藤などをスリリングに描いている。映画では、戸籍売買で生計を立てるタクヤ(北村匠海)、彼を兄のように慕い、闇ビジネスの世界へと踏み込んだマモル(林裕太)、タクヤの兄貴分で、信頼できる数少ない人物ある裏社会の運び屋・梶谷(綾野剛)の3人にクローズアップしたストーリー展開となっている。

右から、梶谷(綾野剛)、タクヤ(北村匠海)、マモル(林裕太)。©︎2025映画「愚か者の身分」製作委員会

 西尾さんが半グレや闇ビジネスを題材にしようと思ったのは、ドキュメンタリー番組や関連するニュース、書籍などを読んでいて興味を持っていたからだという。

「半グレは極道と違って、覚悟してその世界に入ったわけではない人が大半。彼らは未熟で弱いからこそ、足を踏み外して入ってしまい、どんどん抜け出せなくなっています。もちろん、弱かったからといって犯罪者を擁護するつもりはないのですが……。また、半グレのような集団は、兄弟や先輩後輩などといった人間関係から引き込まれてしまうケースが非常に多いんです。たまたま入った学校で仲良くなった人の先輩から言われて断れずにやってしまったりするわけです」

 戸籍ビジネスについても、本来は売買や交換ができる類のものではないが、それでもさまざまな理由から他人の戸籍を欲しがる人がいて、お金に困って自分の戸籍を売る人がいることに興味を覚えたという。

「生まれた時から持っているもので、変えることなんてできないはずなのに、実際に戸籍の売買が行われています。犯罪者になったり、宗教や借金絡みなどで普通に生きていくことが難しくなり、別の戸籍を手に入れて別人になりたいと思う人たちが実際にいるんですよね。半グレや戸籍ビジネスについて書いている時は、応募締め切りに追われて夢中だったのですが、書き終わってから、もともと興味や疑問を抱いていたからこそ、小説のテーマとして表面化してきたんだな、ということに気づきました」

「原作者」として、はじめての撮影現場へ

『愚か者の身分』の映画化について話が出てきたのは2021年のこと。永田琴監督とは、ヘアメイクの仕事で旧知の仲で、『マルチの子』を読んだ永田監督が連絡をくれたという。実はこの時、すでに『マルチの子』には映像化のオファーが複数来ていた。

「永田監督に、デビュー作の『愚か者の身分』は自分でもすごく気に入っているし、ウォン・カーウァイみたいな都会的な映画になったらうれしいと話したら、早速読んでくれて。ちょうど若者の貧困や犯罪に興味を持たれていたということで、『こっちを映画化したい』と言ってくださいました」

 とはいえ、『マルチの子』の映像化がなかなか進まなかった経験から、そう簡単に映画にはならないだろうと思っていた西尾さん。しかし、永田監督はプロデューサーや脚本家に声をかけ、キャスティングも考え、紆余曲折はあったものの、2023年に正式に映画化が決定。撮影が行われたのは2024年夏で、西尾さんも撮影現場に原作者として見学に行った。

「ヘアメイクとして撮影現場に入ることはありますが、原作者はやることがありません。スタッフのみなさんの邪魔にはなりたくないし、雑用でも何でもお手伝いしたかったです(笑)。スーパーマーケットでのロケ撮影の時は、スタッフの方にエキストラと間違われて買い物かごを渡されました。一瞬、エキストラで入ろうかと迷いましたが思いとどまり、こっそりかごを戻しておきました……」

 完成前の映画を初めて見た西尾さんは、緊張のあまりほとんど頭に入ってこなかったという。2回目の試写でやっと入ってきたものの、感動のあまりほぼ泣いてしまっていた。

「タクヤが作ったアジの煮物をマモルと食べるシーンがあるのですが、タクヤがマモルに触れようとした時に、マモルがとっさに避けるんです。あの一瞬の動きで、彼が虐待や暴力を受けたことが伺えて、これはまさに映像の力だなと思いました。それに、タクヤとマモルの視線の交わし方や微笑みひとつで彼らの関係性が見えてきて、そういうところも小説にはない良さだと感じました」

映画に触発されて生まれた続編

 映画の公開を機に、原作である『愚か者の身分』には何度も重版がかかり、続編にあたる新刊『愚か者の疾走』も発売前重版がかかった。実は、続編の発売は以前から決まっていたわけではなかったという。

「もちろん書けるなら書きたかったですけど、『愚か者の身分』が売れないことにはなんとも言えません。原作に登場する六本木探偵事務所について書こうと思ったのですが、2回目の試写を観た後、ラストシーンのマモルがとても印象的で、彼のその後を描きたいと思いました。となると必然的にタクヤと梶谷のことも書かねば、ということになりまして」

 そして、今夏に約1カ月で一気に書き上げたのが本作。タクヤ、マモル、梶谷を映像で観た影響は大きく、彼らのリアルな姿が執筆の原動力になったという。

「今年9月に、映画が釜山国際映画祭コンペティション部門に選出され、北村匠海さん、林裕太さん、綾野剛さんがそろって最優秀俳優賞を受賞しました。私も現地に行かせていただき、食事の場で続編のことをみなさんに話し、タイトルを『愚か者の疾走』だと伝えました。すると綾野さんが『“疾走”だと、“失踪”とのダブルミーニングになってよいですね』と言われ、自分ではそんなつもりじゃなかったんですけど、なるほど! と思いました(笑)」

『愚か者の身分』では、両方の眼球を取られ、瀕死の重傷を負ったタクヤを梶谷が助け、神戸に逃走するまでが描かれていたが、『愚か者の疾走』では、3年後の彼らと、誰も知らない土地で新たな人生を歩もうとするマモルのその後が描かれている。

「私は終わらない物語が好きで、最後どうなるか、ということは書かなくてもいいんじゃないかと思っていました。でも原作や映画を観た方から『続きはどうなるんですか?』と言っていただき、書くことにしました。実はタクヤが眼球をえぐられてしまったという話は、大藪春彦新人賞に応募した短編で、最後に「あるべきところに目がなかった」と書いてしまったからなんです。短編だとそこで終わりだったからよかったんですけど、書いた以上は責任を持ってその後を書かなきゃいけないな、と……。軽い気持ちで書いて、そのおかげで苦労させられたけど、ドラマチックにもなりました」

 新しい人生を疾走しようとする彼らの行く末は新刊で確認していただくとして、西尾さんは本作で、最後にほんのりと光が感じられる作品にしたかったという。

「小説はエンターテインメント。読み終わった後、ほんの20度くらい上を見て、ふんわりとした希望を持ってほしいし、明日もちょっと頑張ろうと思えるようになったらいいなと思っています。映画から原作を読んでくださる人もいると思いますが、原作ではあの3人以外に登場人物がいて、映画に出た希沙良をはじめとした女性たちも登場します。世界観が広がり、多角的に捉えられると思うので、ぜひ小説の世界も楽しんでいただきたいです」