1. HOME
  2. 一穂ミチの日々漫画
  3. 雁須磨子「起承転転」 共感で悶えたり、頭を抱えたり、涙ぐんだり……(第7回)

雁須磨子「起承転転」 共感で悶えたり、頭を抱えたり、涙ぐんだり……(第7回)

©雁須磨子/太田出版

 1月生まれなので、年が明けたらひとつ年を取る。
「もうこの年になると誕生日なんか嬉しくもないっすねえ」なんて口にするし、実際そうだ。下1ケタがとっさに出てこなくて、もう誤差みたいなものだからどっちでもいいじゃんなんて思ったりもする。でもよく考えたら誕生日の楽しみというのはプレゼントやケーキという「祝福」に結びついていて、「年齢を重ねる」そのこと自体を喜んだ記憶はない、ような。進級や進学を迎えて心細くも誇らしい、春の高揚感を誕生日では覚えない。はたちになった時に選挙権ゲットでちょっとアガったくらいだろうか。
 そして2026年は午(うま)年、当方年女です。先日、同い年の友人と「もう十二支4巡だよ、次は還暦だよ」とふるえ上がった。時の流れに身を任せてたら駄目じゃん。馬齢を重ねる、という言葉が身につまされすぎる。「馬の耳に念仏」もそうだけど、なんで馬ってこんなに下げられてんの?

©雁須磨子/太田出版

 どうしようどうしよう、という焦燥と、とはいえこの人生で成し遂げるべき目標も特にないわけで……という虚無が交互に訪れる。そんなきょうこの頃に雁須磨子の「起承転転」①(太田出版)を読んだらわかりみ1000%で悶えたり頭を抱えたり涙ぐんだり、不安定な中年の情緒を思う存分揺さぶられてしまった。
「誰かの妻にもならずに 誰かの母にもならなかった」
 冒頭からこうだもの。単なる事実でしかないのに、後ろめたさというか、ある種の恥みたいな感覚で胸が苦しい。誰に何の引け目を感じる必要がなくとも、多様性をアプデしきれない自分の古い頭が、どこかで自分自身を「負け組」だと感じている。人生にお手本やモデルコースなどないとわかっていながら、「ありうべき生き方」という蜃気楼からはぐれた我が身が心細い。
 主人公の葉子は、50歳を迎えたのを機に、売れない役者の仕事と東京に見切りをつけ、福岡へUターンする。マンションを契約し、派遣バイトを始めてみたものの、体力の衰えや将来への不安と直面し、いろいろとままならない。
 地元じゃ負け知らずだった美少女が芸能界入りを夢見て上京し、半端に挫折する。箸にも棒にもかからないというわけではなく、細々と仕事はある(だから損切りに時間を要する)。芸能一本で食えるほどでもないのでバイトをしながら東京砂漠をサバイブしているうちに若さは目減りしていき――都会に掃いて捨てるほど転がっているエピソードに違いない。雁須磨子は、捨てずに拾ってくれる。どの作品においても、市井の人々の来し方行く末に丹念な絵と物語でフォーカスする。人物造形にも人間関係の描き方にも虚飾や美化はなく、ふとしたことでピリついたり、失敗して恥をかいたりもするのだけれど、ふしぎと「ああもうそれ以上言わないでください!」という共感性羞恥に見舞われることはない。人間のありふれた愚かさを、愛すべきものとして作者が捉えているからだと思う。観察眼の鋭さと、ゆるい寛容さが絶妙なバランスで成立しているところが、雁作品の大きな魅力のひとつだ。

 都会でひとり生き抜いてきたはずなのに、いまいち世知に長けていない葉子の危なっかしさ、何者にもなれなかった自分を母親に対して申し訳なく思ういじらしさが、同年代のわたしにはことのほかせつなかった。
「母に ほめられたり よろこばせたりしたかった もっと」の場面では、葉子とともにしんみりと泣いた。
 読み終わったらすぐ冒頭に戻り、もう一度噛み締め直したくなる。噛んでも噛んでもすべてのコマから芳醇な出汁がじゅわっとあふれ、尽きることがない。関西弁で味がじっくり染みていることを「しゅんでいる」という。「この煮物、よおしゅんでるわ」みたいに。雁須磨子は、いま最高に「しゅんでいる」漫画家だと思う。

©雁須磨子/太田出版