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ペク・スリンさん「まぶしい便り」「夏のヴィラ」インタビュー 異国を舞台に描く、人間の境界と異邦人性

ペク・スリンさん=篠塚ようこ撮影

「献身的な」だけでない女性像

――『夏のヴィラ』は、2016年から2020年までの4年間にわたって執筆された短編集ですが、当時のご自身の生活の変化、韓国社会の変化や空気がどのように影響しましたか?

 私がデビューした当初から一貫して抱いてきた「境界」への関心という意味では、これまで続けてきた仕事の延長線上にある作品です。ただ、その4年間の韓国社会という文脈で振り返ると、やはり非常に重要な出来事がいくつもありました。

 とりわけ「#MeToo運動」が大きなイシューとなり、韓国の文壇においても構造的な性暴力の問題が可視化されて、大きく変化していた時期でもありました。私自身も韓国社会の一員であり、一人の作家として、そうした現実を目撃し続けるなかで小説を書かざるを得なかった。その結果、私の小説にも何らかの変化が生じたかと思います。

 特に『夏のヴィラ』という短編集は、例えば女性キャラクターのあり方が変化したという点において、当時の社会文化的な雰囲気と明らかに結びついたのではないかと感じています。

――具体的に、どのように女性キャラクターが変化したと感じていますか。

 これまでの作品での女性キャラクターは、どこか憂鬱さを抱えていて、また、静的なたたずまいをもつ人物が多かったように思います。今までの韓国文学の長い歴史を振り返ると、そうした人物像はすでに数多く描かれてきたという感覚もありました。そのため、『夏のヴィラ』に収められた作品を書いていた頃には、より自分の生に欲望を抱き、主体的に変わろうとする女性像を描きたいと考えるようになりました。

 特に、母や祖母といった存在についても、韓国社会では「献身的で、すべてを差し出してくれる存在」「寄りかかれる存在」として想像されがちですが、そうした母親像ではなく、ときには子どもを疎ましく思うこともある、そうした多様な側面を持つキャラクターたちを紹介しようとしています。『夏のヴィラ』では、程度の差こそあれ、女性キャラクターたちがそういった側面を抱えており、読者の方々も好意的に読んでくださったのではないかと思っています。

――女性キャラクターを描く際に、特に重んじている視点や基準、また、韓国社会で女性として生きてきた経験が、どのように作品に反映されているのか、もう少し詳しくお聞かせください。

 私が小説の中で描こうとしているのは、感情や気配のようなものです。一見とても平凡に見える人の心の内側で起こっている、ごく些細な変化を丁寧に描くことを大切にしています。

 そのため、女性キャラクターを描く際に、表面上は「平凡に、特に問題なく生きている人」に見えながらも、実はその内側で、ほんのわずかな角度のずれのようなものが生じる瞬間を大事にしています。他者から見れば順調そうに見えるのに、一瞬のその選択をきっかけに、まったく違う道へと進んでしまう――そんな、秘められた可能性を描くことを意識しています。

 だからこそ私は、そんな人々のなかでも、ほんの一歩、あるいは半歩だけの勇気を踏み出す人々の心情を、本当に身近にいそうな人物の中で再現しようとしています。自分自身を見つけて、自分の人生というものを創っていきたいと願い、一歩を踏み出す、その瞬間をとらえたいと考えてきたのだと思います。

「異邦人性」が他者を理解する力に

――ペク・スリンさんの作品にはどこか異国的な情緒を感じます。『夏のヴィラ』にもドイツ人が登場しますし、異国を舞台に、韓国社会の葛藤を描いている印象があります。

 意識的に「外国を舞台にしよう」と考えていたわけではありません。ただ、いくつか複合的な要因が重なっていると思います。韓国で海外旅行が全面自由化されたのは1989年ですが、私は、比較的早い時期から海外経験をしてきた最初の世代にあたります。そのためか、韓国だけで完結する物語を思い描くことが難しいのではないかと思います。

 そしてデビュー以来、ずっと「境界」に関心を持ってきましたが、私はどこにも完全に属することのできない「異邦人たち」に強く惹かれます。そういった経緯から、韓国人で海外在住の人、あるいは外国人で韓国に在住している人たちを、自然と関心を持って見つめるようになりました。

――ペクさんはフランスで博士課程を修了していますが、海外、主にフランスで感じた文化的アイデンティティーに対する孤独や、解釈のずれといったものが、作品にどのような影響を与えましたか。また、海外経験を経て韓国に戻った後も「自国にいながら、異邦人のような感覚」があったのでしょうか。

 私は、異邦人であるという感覚を、海外に出る前、かなり幼い頃から抱いていたと感じています。人と一緒にいても、「自分はここにいてはいけない」「うまく馴染めない」と感じることが多くありました。集団のなかにいながら、どこか一歩外側に立っているような感覚を抱えたまま成長してきたのですが、海外での経験と重なって、その感覚はより鮮明になったのだと思います。

 たとえば『夏のヴィラ』に収録されている「ひそやかな事件」では、裕福な地域と貧しい地域の狭間の「どこか」にいると感じている主人公が登場します。「ブラウンシュガー・キャンディ」の祖母も、フランスにも、一般的に想定される「おばあちゃん集団」にも属しきれない存在として描かれています。

 人間は本質的に固有の存在であり、自分が他者とは異なる存在であることを、誰しもどこかで感じていると思います。孤独であること、相手が自分を理解してくれないこと、自分も相手を完全には理解できないという事実。そうした感覚を抱えながら生きている存在だと思います。しかし私は、この「異邦人性」とも呼べる感覚こそが、見えないものを感知させ、世界を変えていく力になると考えています。「異邦人性」を持つからこそ、人は互いに理解しようとするのだと。

 たとえば『まぶしい便り』の作中に、西ドイツに派遣された看護師たちが、在留資格を得るためにデモを行う時、現地のトルコ人労働者たちも署名運動に協力してくれる場面が描かれています。私は、こうした光景を「異邦人」同士だからこそ可能な連帯としてとらえ、強く関心を持っています。

「犠牲の歴史」としてだけではなく

――1960年~70年代に韓国から旧西ドイツに派遣された看護師たちについては、映画「国際市場で逢いましょう」(2014年)でも描かれており、韓国では「犠牲の歴史」としてよく知られています。このテーマにした理由は何でしょうか。

 韓国では多くの人が「国際市場で逢いましょう」の映画を思い浮かべると思います。私自身もそうでした。ただ、執筆のために調べていくと、もちろん貧困にあえいでいた韓国の産業化のために犠牲を強いられた、いわゆる「産業戦士」としての側面がある一方で、経済的に恵まれていながらも、自発的にドイツへ渡った女性たちがいたことを知りました。

 当時の韓国は、海外旅行が自由にできない時代でした。幼い頃に映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観たから、ヨーロッパの世界に強く憧れたから、「一度は行ってみたい」と思ったから。そういった理由でドイツ行きを選んだ女性たちもいたのです。自由恋愛をする女性もいれば、フェミニストもいました。「産業戦士」としてではなく、自らの決断や夢、あるいは誰かを追うために。そうした様々な姿の看護師たちを描きたいと考えました。

――『夏のヴィラ』の韓国での推薦文では、「優雅だ」という表現が多く見られました。風景描写によるものなのか、ロマンを失わず、一歩踏み出す勇気を持ったキャラクターから来るのでしょうか。個人的には、読んでいてフランス映画のようだと感じました。

 長い間フランス文学を読み、文化に親しんできたことは、やはり影響していると思います。私自身、感情を描く際に、荒々しく爆発させるのではなく、静かに積み重ねていく書き方をしてきました。ある瞬間、わずかに高まり、また静かに沈んでいく。やや不器用で、しかし抑制されていて、必要なものだけを残している書き方が「優雅だ」と、推薦文を書いてくださった先生が説明してくださいました。私自身もその言葉に深く納得し、とても嬉しく思いました。

人生は矛盾だらけだけど

――『夏のヴィラ』全体には、境界の狭間で、異邦人同士が互いを理解しようとする努力というテーマが通底しているように感じました。韓国では、本作が「不可解は祝福である」とも紹介されています。

 人生自体の不可解さ、人間同士の不可解さというものは、私たちの人生に最初から与えられた前提条件だと思います。ときにはそれがあまりにも切なくて、腹立たしく感じられて「何で私たちはこんなにも互いに理解不能で、人生は矛盾ばかりなの」と、考えてしまう時も多くあります。

 しかし同時に『まぶしい便り』のなかで、幼いヘミが亡くなった姉に「人の心にはいったいどんな力があって、最後にはなんとか元気を取り戻そうとするんだろう?」と独り言で問いかける場面があります。私は、その問いこそが自分の小説の根底にある情緒だと感じています。

 人生は矛盾に満ちていて、理解も納得もできない暴力や不条理に苦しめられるときが多いけれど、それでも、人の心には不思議なほど前へ進もうとする力が同時にある。私たちがその不可解さを抱えたまま生きているからこそ、思いがけない形での喜びや幸せが訪れることもある。その矛盾から、自分では制御できない奇跡が生まれる。そのような感覚のなかで、私は小説を書いてきたのだと思います。

――好きな日本の作家はいますか。

 日本の作家では夏目漱石、現代作家では多和田葉子さんがとても好きです。

――イギリス留学を経験した夏目漱石、ドイツ在住でどこか異国情緒が漂う多和田葉子さん。ペク・スリンさんとも共通点を感じますね。

 そうかもしれません。私は比較的、伝統的な形式で小説を書いていますが、とても興味深く読んでいます。多和田さんはより実験的な書き方をされますが、「異邦人性」や「境界」への関心という点では共通していると感じています。