1966年、ひのえうまの年に私は生まれた。
小学校で上下の学年はクラスが6組まであったが、私の学年は4組しかなかった。圧倒的に人数が少ない。そのことを問うと、
「ひのえうまなんて迷信よ」
と言って母は笑った。あたりまえだと思ったが、もしも両親が迷信に惑わされていたら私は存在しなかった。生まれた年で性格が決まるはずはないけれど「同級生の親御さん集団」を他の集団と比較したら、迷信を気にしない人が多いという傾向が読み取れるかもしれない。
若いころ「ひのえうまの女は気が強い」「男を食い殺す」とからかわれたこともあった。軽い調子だったので気にしなかったが、かつてこの社会に「女は男に従うべき。気が強くて男に逆らうような女は嫁としてよろしくない」という考え方があったことを想起させるものではあった。「同級生の親御さん集団」は、周囲の心ない言葉が子供を傷つけないかと気遣い、ときには矢面に立って守ってくれたことだろう。それはとても立派だったと思う。
六十年経って、ひのえうまの迷信は廃れた。
だが今日も頭のいい人が陰謀論を振り回し、優しい人が謎マナーで他人をぶん殴る。問いに答えない政治家、噓(うそ)をついて開き直る政治家がいる。SNSのタイムラインが社会の縮図であるかのように発信するメディアがあり、憶測(おくそく)を事実のように語るコメンテーターもいる。迷信を笑える世の中に私は生きていない。もちろん私自身も数多(あまた)の間違いを信じてきたし、今なお信じ込んでいる噓もあることだろう。
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干支(えと)とは関係なく、私は子供のころから馬が大好きだった。
小学校から帰るとスケッチブックを抱えて馬事公苑に行った。週に何度も行けたのはたまたま近所に住んでいたからである。
馬を見るだけでは飽き足らず、世界の馬の品種を調べて特徴を覚えた。馬の進化に興味を持ってダーウィンまで読むようになった。乗馬を習いたかったが実家にそんな余裕があるわけもなく「大人になって自分で稼いでからやりなさい」と言われた。会社員だった29歳のときに乗馬を始め、障害飛越競技に夢中になって県大会などに出るようになった。競技のために自分の馬を持った時期もある。
馬は人間の気持ちを瞬時に察知する。気分が落ち込んだとき、馬に会いに行けば静かに顔を寄せてくる。励ますことはしないがこちらの気が済むまでそばにいてくれる。競技のとき、私が不安を感じれば馬も動揺する。私が馬に集中すれば、馬も私に集中する。お互いを信頼してしっかりとやりとりを行い、力を合わせればベストな結果を出せる。
もちろん相性もある。「馬には乗ってみよ人には添うてみよ」という諺(ことわざ)があるけれど、たしかに馬は一頭一頭、動きも乗り心地も性格も違う。適切な指示の出し方も、タイミングも違う。相性のいい馬が、私のような中途半端な乗り手を助けてくれることもある。
人間同士の相性はどうだろう。意見は合うのに会話が続かない相手も、話が合わないのに一緒にいて心地いいと感じる人もいる。直感を捨てて言葉で誤魔化(ごまか)した結果、関係性がわからなくなって悩むこともある。だが、相性のいい人というのはやはり、相手のためにすすんでなにかをしたくなるような人、一緒に行動したくなる人のことだと思う。
馬はすぐれた記憶力を持っている。だが一度調教を受けたらいつまでも同じ動きをしてくれるわけではない。基本的な動作について「こういう約束だったよね」という確認の作業を必ず行う。特に、いろいろな人が乗る練習馬はそれをしないと混乱してしまう。情報が多すぎて整理できなくなるのに似ている。
約束には確認が必要だ。ときどき穏やかに「私は変わっていないよ。あなたはどうですか?」と対話して互いに納得することが大切なのだ。人間はどうだろう。社会のなかで、国家間で、それを十分にできているだろうか。私はどうだろう。日々の暮らしのなかで自分の考えを見直すことを怠ってはいないだろうか。=朝日新聞2026年1月7日掲載