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「タブーを破った外交官 田中均回顧録」書評 ホームラン実らせたプロの矜持

評者: 秋山訓子 / 朝⽇新聞掲載:2026年01月10日
タブーを破った外交官 田中均回顧録 著者:井上 正也 出版社:岩波書店 ジャンル:社会・政治

ISBN: 9784000617192
発売⽇: 2025/10/09
サイズ: 3.1×18.8cm/384p

「タブーを破った外交官 田中均回顧録」 [編]井上正也、神足恭子、佐橋亮

 外交とは何か。田中均氏によれば「無から有を生むもの」で、そのために「物事を新しく創造的に考え」る。設計図たる大きな絵を描き、綿密な戦略を立てていく。
 彼が携わったのが、1996年の日米安保を「再定義」した日米安保共同宣言、日米の防衛協力を定めたガイドラインの見直しと普天間基地移設、日朝交渉と拉致被害者の帰国だ。外務省OBはその業績を「ホームランを打ち続けた」と評した。プロフェッショナルの矜持(きょうじ)を持ち、周到に種をまき布石を打ち、複数のプランを立て、信念と覚悟と共に時に密(ひそ)やかに、時に大胆に進む。
 湾岸戦争時の英国とのやりとりに見られるように、相手から情報を取る基本動作はもちろん、国内でも大蔵官僚(当時)などとの人間関係を作り予算を引き出した。派手な政策ばかりではない。サハリン在留韓国朝鮮人の帰国や在韓被爆者の救済など、戦後日本がひきずっていた、個々に寄り添う問題にも向き合った。
 彼の生き方には、経済畑出身であることが大きく影響した。日米安保は、米国と波風を立てず、かつ憲法との矛盾を来さないように、エリートの外務官僚が複雑な条約解釈による閉じた「密教」の世界を作り上げてきた。しかし経済は日本が米国に大きく依存していなかった。だから米国に厳しい態度も取ることができた。
 だが外務省の「スター」だった彼は、そうであったがゆえにか、拉致問題で政治や世論から事実でないことも含め糾弾された。彼のために立ち上がる人はおらず、役所を去った。
 外から眺めた外交のありようを、本書は自律性がないと指摘する。彼のいう「外交の本旨」には心底うなずける。普天間基地移設問題と拉致問題は今に至るまで未解決だ。なぜなのか。外交交渉や政策形成の裏面はもちろん、プロ論、政官関係、世界における今の日本の立ち位置までも考えさせられる比類なき書。
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たなか・ひとし 1947年生まれ。外務省でアジア大洋州局長など歴任▽いのうえ・まさや▽こうたり・きょうこ▽さはし・りょう