連続ドラマ「北方謙三 水滸伝」主演・織田裕二さん、原作者と対談 「怒り」が消えた今、意味を持つ大作
――超大作「水滸伝」のドラマ化にあたり、主人公・宋江の役が織田裕二さんに決まった時、北方さんはどんな感想を持ちましたか。
北方:織田さんの「踊る大捜査線」を観てきましたので、「あんなふうに暴れるのかな?」と(笑)。宋江は、ずっと沈思黙考なので、いったい織田さんがどんな宋江をおやりになるのか……。
織田:幼い頃、同じく中国の名著と呼ばれる「西遊記」を漫画で読んでいましたが、「水滸伝」は読んでいませんでした。これまでの僕の役柄と言えば、前線で戦うことが多かったので、精神的支柱のような存在である宋江を僕が演じることになったのは少々意外にも思いました。ただ「僕もそんな役が回ってくる年齢になったのかも」という感慨も覚えます。また新たな戦いに挑むことになるのだ、と捉えています。
北方:この作品で宋江は、国という「存在」と戦っているのです。それをとても強く感じています。
織田:なにしろ敵が大きすぎますよね。相手は「国」ですから。それも「中国」という、とてつもなく巨大な国。最初はごくわずかな人数から戦いを始めていくのですが、「それで本当に国を倒せるの?」と不安になります。
北方:キューバ革命も最初は十数人で上陸し、ジャングルの中に住んで、 最終的にはアメリカを倒しましたから。
織田:宋江は国の腐敗で民が苦しむ姿に義憤を募らせ、「替天行道」という“世直し”の書だけで人を集め、晁蓋(反町隆史)や林冲(亀梨和也)、魯智深(金児憲史)らと、革命の旗を掲げることになるのです。ただ宋江は、謎の多い役柄です。味方の人物をどんどん増やしていくのですが、いったいどうやってこんな多くのスパイを囲ったのだろう。なかには命を落としてしまう人物もいますが、その家族を養っていったりもします。そんな宋江の財源は、いったいどこにあるのだろうと気になる部分ではありますね。
北方:財源? それは、「志」ですよ、「志」。
織田:「志」か……、それは一番高くつく奴ですね。
――演じる上で、織田さんが軸として持っているものとは。
織田:CG全盛のこの時代に、実際にロケ地へ行って撮影する。まず、その「戦い」が、とてつもなく大変でした。芝居する前から戦いが始まっているんです(笑)。とにかく、いろいろな場所で撮影していますから。深い雪に覆われた山に行った時はつらかったなあ。普段なら大団円のシーンで使うような場所で、全シーンを撮影している。これは控えめに言ってもものすごく大変です。
北方:あそこ、すごかったね。あの洞窟のシーン!
織田:あれは、すごかった! ぜひご覧頂きたいです。静岡にある、洞窟なのに、雨水で天井に穴が開いた場所。いつ崩れるかわからないような場所で、決死の覚悟で大迫力のシーンが撮れました。スタッフも本当に大変だったと思います。
――撮影場所からして、壮大なのですね。
織田:そうですね。でも、この「水滸伝」という作品は、今の日本と、ちょっと似ているところがありませんか。反抗する前に諦めさせるような空気感といいますか。デモやストライキって、小さい頃にはよくあったけれど、最近見なくなりました。あっても小さいし、新聞記事にもならない。
北方:織田さん、僕が学生の頃はね、動乱の時代だった。死んだ奴が何人も出ているし、ケガした奴も、人生を挫折した奴もたくさんいる。
織田:知らない世代がますます増えている。この「水滸伝」は歴史物語だけれども、もしかしたら実は、「明日起こるかもしれないよ?」っていう話なのかも知れない。そんなことを演じていて思うんです。なぜなら、歴史は繰り返すから。
でも、「反乱が起こってもいい」と思うぐらい、ちょっと今、日本は大人しすぎるのではないか。綺麗に着飾りすぎていないか。それを危機感として覚えます。僕自身、ちょっと前までは、「怒り」が演じる上での原動力でした。ところが最近、「怒りが消えている」と感じるようになった自分がいる。
――現代の日本社会とリンクして物語をとらえる、という見方ができるのでしょうか。
北方:私は「水滸伝」や「三国志」など、「中国もの」をたくさん書いていますが、全部「現代もの」なんです。(昔の)時代を借りて、現代の動乱を描く。「動乱が起きればいいな」とまでは思わなくとも、「こんな動乱を、もし現代の若者が起こしたら、自分はどんな目で見るだろう」。そういう思いはあります。
織田:だから、やる気を失わせるような、現代の世の中に一石を投じられれば嬉しいと思います。
――宋江は「替天行道」という文書だけで人を集めていきます。考えに多少の違いはあれど、同じ志のもとに人が集まっていく。
北方:今の中国で言えば、厳しい行動制限を伴った「ゼロコロナ政策」の緩和を求めて、中国の若者らが声を上げた「白紙運動」が、数年前にありましたよね。「白紙であれば、何も書いてないからいいだろう」と、若者が続々と集まった。結局は、当局の締め付けでダメになったけれど、それでもみんな集まったという事実がある。これは相当すごいことです。人を惹きつけるものは、もしかしたらゴリゴリの政治的な思想ではなく、彼らの「白紙」のような「表現物」だったりすることがあるのです。
昔、ドイツのベルリンにまだ壁があった頃、東側に行きました。5人集まったら逮捕されるような状況の時、ある日、ザーっと人が何百人も集まったんです。現地の人に「なんで、何百人も集まっているの?」と聞くと、「壁の向こう側でデビッド・ボウイが屋外コンサートをやるから、それが聴きたかった」って。
織田:西側の壁の向こうから聞こえてくるんですね。
北方:そうそう。後で西側に帰って調べたら、その日、そこで64人逮捕されていた。
織田:「モダン・ラブ」を聴くために。
北方:でも、青春ってそういうものなんだよ。どれだけバカで、どれだけ純粋になれるか。宋江が国を変えようと立ち上がった梁山泊に集まった奴らなんて、みんなバカで純粋なんだ。人間にとって一番大切なものを失っていないから、戦えると思う。
織田:なんか、理屈なしに、「中学生に見てほしい」って思うんですよね。大人の矛盾点や、世の中の「ヘンじゃね?」という疑問にぶち当たる頃の世代。今だって、「政治とカネ」の問題が、うやむやになっていますし、いつの時代も同じことをやっている。そういった疑問や怒りと向き合ってほしいです。
北方:中国の若者だって、大人しいけれど、「白紙」を持って出てきたわけ。「白紙」には、いろんな人のいろんな気持ちが書いてあったんだと思う。日本だって、そのうち「白紙」を持って出てくる若者が出てくるかもしれないし――、だから、「水滸伝」を読んだり、ドラマを観たりした日本の中学生たちから、暴れる奴が出てこないかなあ……。
――この令和の時代でこそ、「水滸伝」に感化される人は多そうです。
北方:今の時代だからこそ、「水滸伝」は意味を持ってくる。今は何もできないけれど、どこかで変革を望んでいる。「水滸伝」というドラマを観ることによって、「実際に変革が起きる」とまではいかなくとも、「人が変革を求める気持ち」への自覚ができるのではないかな。
――「怒りのトリガー」になるのかも知れません。
北方:「怒りのトリガー」になれるかどうかはわからない。難しいのは、もうすでに日本では青春が組織的なものではなくなっているんですよ。どこで、どんなふうに人が集まってくるかも、わからない。でも「水滸伝」を読んで集まってくるとしたら、新たな何かが開けるでしょう。そんなことになったら素敵だよね。
――第1話、第2話で腐敗した権力が描かれ、既視感を覚えます。今の日本と変わらない。
織田:変わらないですよね。もう今、学校の先生であったり警察官などの不祥事も多いじゃないですか。嫌になっちゃう、本当に。「何で?」って。「じゃあどうしてそこを目指したの?」って。
――宋江は、そんな世の中を憂い、書を記し、その書があらゆる人たちを感化していきます。
織田:宋江は、「何十人も斬る」といった、わかりやすい戦いではなく、言うなれば「心で戦う」。人の心を動かしてしまう宋江の戦い方は厄介です(笑)。
北方:「替天行道」を読んだ国家側の人間も、どんどん味方に付くからな。心に響く、浸透する何かがあるんですよ。
織田:みんな、どこかに危機感を覚えていたから心に響くのですよね。「うすうす思っていたでしょ?」と。そして僕自身も、今の世の中はおかしなところや、治さなければいけないところもたくさんあると思っている。
北方:「水滸伝」は今の日本でも起きうる話です。我々の小説やドラマは、読む人、観る人によってまったく異なるものになるのがいいところだと思う。だから我々はひたすら自己表現をしていく。ひたすら、ひたすら、自己表現をしていくのみです。
――今後のドラマの展開を見守りたいです。
北方:なんだか、だんだん、良いことばかり言い始めて、ちょっと観念的になってきたな(笑)。