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4つの美点を持つ宇佐見まことの犯罪小説「月白」 「憎しみ」に向き合い、敗戦後の日本を照らし出す(第35回)

©GettyImages

80年前の連続殺人事件を題材に

 あれ、直木賞って昭和史小説に授賞したがってないか。
 そんな風に思ったのはこの3年間の候補作を並べてみたときだった。
 時代小説2作が受賞した第169回や平成・令和の世相を描いた作品にぐっと寄った第171回はそうでもないのだが、それ以外の4回はいずれも複数、昭和を題材にした作品が入っている。2025年が戦後80年かつ昭和100年の年だったからそういう作品が多かったのだ、ということも言えるだろう。でも嶋津輝『カフェーの帰り道』が受賞(第174回)してもこの流れはもう少し続くのではないだろうか。昭和とはどんな時代だったか、先の戦争とは何だったか、という問いの声は根強く残っていると私は感じる。
 そこで今回推したいのは、宇佐美まこと『月白(げっぱく)』(朝日新聞出版)である。敗戦後の焼け跡となった日本では社会秩序が乱れ、倫理観が揺らぐ事態となった。その時代を舞台とした犯罪小説である。
 冒頭には、刑事事件の裁判速記が置かれている。北川フサという女性が5人を殺した容疑で起訴され、裁かれている。被害者は男性ばかりで、相互の関連もないことから無差別殺人と見なされる。当時そういう用語はないだろうが、現在なら北川フサにはサイコパスのレッテルが貼られるはずだ。その裁判記録でも北川フサは前非を悔いるどころか裁判長に悪罵をぶつけ始め、退廷を命じられることになる。
 本文では時が流れて現代の東京が舞台になる。主人公の海老原誠はルポライターだ。前年に妻の沙織が交通事故のために亡くなり、現在は小学生の息子・夏樹とふたりで暮らしている。その海老原に『月刊クリスタルライフ』編集長の明比(あけひ)満彦から事件もののルポ連載が持ちかけられる。北川フサの引き起こした連続殺人事件が題材である。現在で言うところの快楽殺人、しかも犯人は女性という点に特徴があり、掘り下げればきっと興味深い記事になるだろう、と明比は熱心に勧めてくる。特に気乗りはしなかった海老原だが、断る理由はなく、明比の提案を受け入れるのである。

 ここから始まる取材の顛末が前半における小説の主部となる。最初の事件が起きたのは1946年だから、80年近い昔のことだ。そんな過去の出来事にどう迫っていくのか、というのが第一の関心事になるのだが、作者はおもしろい接近の仕方をしている。
 北川フサの事件は当時猟奇的に興味本位で報道された。その中で真摯に取材を行い、憶測をせずに事実のみを書いた道上(みちがみ)栄介という記者がいた。海老原はその道上の書いたものを道標にしようとする。私設図書館でようやく資料を見つけたら、管理者がもう高齢だから施設を閉めることを考えていて、なんとその本を売ってくれる。道上は書いたものの他に取材ノートも残していたのではないかと考えて、駄目元で遺族を訪ねると意外にも快く迎えてくれて、という展開が現実的でいい。私も浪曲取材などで過去の調査をすることがあるが、海老原と同じように文献調査から関係者取材という経路を辿ることが多いのである。つまり、ルポルタージュ取材の描写が地に足の着いたものになっている。これが本作の、第1の美点である。

敗戦後の人々の苦悩、虚構で光

 当然ながら道上は故人となっていたが、娘が会ってくれた。その長瀬絋子が海老原に言う。
「北川フサに取り込まれないようにしなさいね」
 道上栄介が妻に言っていたのだという。「調べれば調べるほど、あの死刑囚の魅力に取り込まれる」と。本作は後世の人間が誰かの人物像を取材によって浮かび上がらせていくという、プロフィール小説である。そうした作品の中には、取材者が対象に次第に引き込まれ、あるいは同化してしまうような小説もある。あるいは『月白』もそういう種類の小説なのだろうか、という問いの上に長瀬絋子の言葉は読者の心をピン留めする。「北川フサに取り込まれる」というのはどういうことかを考えずにページがめくれなくなるのだ。答えめいたものはだんだん見えてくるのだが、実体を掴むことは難しい。そうしたもやもやは、海老原自身の取材が進展していく過程に重なっていくはずである。この読み味が本作第2の美点だ。サスペンスの感覚が長瀬絋子の言葉によって与えられ、その後もずっと小説を支配していくのである。

 物語が進んでいくうちに、海老原に加えてもうひとりの視点人物が登場する。当時の北川フサと面識があった人物なのである。その登場人物の視点から昭和20年代の東京を行く北川フサが描写されることになる。ここでうまいのは、その人物と北川フサを安易に近づけないことだ。街でときたま見かけるだけ、という両者の距離を作者は次第に近づけていく。小さな事件や偶然などを用いて、つまり虚構ならではの操作によって北川フサとその人物の運命を交差させるのである。この操作が小説の肝である。作為を感じさせないほどに自然で、かつ物語に読者を引きこんでいく。
 敗戦後の日本が陥った難局、そこで生きる人々の苦悩が本作で書かれるべき素材であろう。それをどのように見せるかという料理の仕方次第で素材は生きもするし死にもする。本作はそれが誠に見事で、虚構の力によって現実の歴史に対する関心は強められている。この後半部のドラマ作りを第3の美点として挙げておきたい。
 後半部の展開はぜひ読んで確かめていただきたいので、ここでは詳細について触れないことにする。きれいごとではない残酷さ、人が人をモノのように利用する非道のあれこれが描かれ、用心して読まないと衝撃を受けることになる。しかしそれが敗戦、強者が弱者の言論を封殺して引き起こした国家の愚挙というものなのである。戦争とは人をモノとして扱う行為なのだから。

人間の哀しい側面を描く

 2025年には戦争を振り返る小説が多数発表された。その中で私が最も感銘を受けたのは新野剛志『粒と棘』(東京創元社)だった。戦災孤児など戦争によって運命を狂わされた人々が主役を務める連作短篇集であり、理不尽さに対する静かな怒りが渦巻いた1冊だった。
 本作にも似た印象を覚えた。取材を続けるうち海老原が、北川フサを衝き動かしていた憎しみの存在を感じるようになる。作者は、それがどのようなものかを安易に言語化することはせず、外側から輪郭を照らすような手法を取っている。フサの古い知己に、清子という女性がいた。清子はフサとまったく違ったやり方で戦後を生き延びようとする。真逆のことをしているようで、実はふたりが闘っている対象は同じなのだ。その敵とは何かということを読者は考えさせられることになるだろう。この対位法に近い構造が持ち込まれていることが、小説の第4の美点である。
 ある登場人物が言う。「人を生き長らえさせる一番の感情は憎しみだ」と。憎しみは何も生まない、という綺麗な言説とは正反対の言葉である。争いを好まず、他人を批判することに眉を顰める人が多い時節では、こうした言葉に拒否反応を抱く人も出るだろう。それを承知で作者は書いている。北川フサを衝き動かした憎しみの炎を、決して絶やさないために。
 宇佐美まことは2026年にデビュー20周年を迎える。ホラー関連の新人賞から出発した人だが、ジャンルに拘らず、自らの信じる道を突き進んでいる。人間の哀しい側面を書く作家と定義していいだろう。人の心に寄り添い、その光と影も余さずに描く。