小説家志望の私は、小説と自分との距離に悩んできた。渾身(こんしん)の一文一文が惜しくて、冷静な推敲(すいこう)も大胆な改稿もできない。登場人物に自己を投影し筆が鈍る。小説がおのれの体温で生ぬるい。ぐぬぬぬぬ。
直木賞作家であり、純文学の新人賞選考委員も務める最強小説家・小川哲(さとし)。その彼が、小説を書くときに考えていることを言語化しようとしたのが本書である。読むしかあるまい。
あらゆる文章表現の価値を決めるのは「他者」。だから、いったん「自分」を排除する――。まえがきでもうやられた。
著者は小説が「他者」に評価されるため、「自分」を操作する。
たとえば、「他者」=読者の小説法を探り、遵守(じゅんしゅ)する。エンタメ小説の読者は起承転結逃亡罪は許さないけど、ご都合主義使用罪には寛容。純文学の読者はその逆、というように。
たとえば、「自分」の思いつく範疇(はんちゅう)を超えるため、まず書き、書いてしまったことから伏線や設定や主張を逆算して見つける。
たとえば、面白くないのに人気がある小説を「自分」の価値観を捨て、どんな未知の面白さがあるのか探り、書いてみる。
それでも、究極に「自分」がないAIが書いた小説に、人間が書いた小説が負けることはない、という。なぜなら、人は作者の意図やプロフィルを想像しながら作品を楽しむから。登場人物や語り手を身内のように思う読者と作者の〈内輪感〉を形成すれば、その小説は書かれてある文字以上に豊かに魅力的に膨らんでいく。
「自分」を排除しながら、「作者」でいるってこと?
ムズい!
でも著者もまえがきに書いていた。その「『どうしようもなさ』が、小説を書くこと(略)の難しさであり、同時に面白さでもある」と。=朝日新聞2026年2月14日掲載
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講談社・1210円。25年10月刊。6刷7万5千部。普段は小説を読まない人からの感想が届くなど、「すべての仕事に応用可能なコミュニケーション論になっているのが、幅広い層に手に取ってもらえる理由では」と担当者。