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角谷昌子さん評論集「俳句の水脈を探る」 俳句史に名を残した37人の「業績と作品を残したい」

角谷昌子さん

 俳人で俳句評論家の角谷昌子さん(71)が、評論集「俳句の水脈を探る――平成・令和に逝った俳人たち」(ふらんす堂)を刊行した。阿波野青畝(せいほ)、山口誓子、加藤楸邨、有馬朗人、黒田杏子ら俳句史に名を残す37人の境涯をつづり、作品を読み解いた。弔辞のような一冊。「俳句という最短詩型に一生を捧げた人たちを知ってほしい」という願いも込めた。

 本書は、2018年に刊行して俳人協会評論賞を受賞した「俳句の水脈を求めて 平成に逝った俳人たち」の続編。月刊誌「俳句」(角川文化振興財団)の連載「俳句の水脈・血脈――平成・令和に逝った星々」に加筆し、新たに鷹羽狩行編を書き下ろした。
 故人を書き続けている理由は何か。「その俳人が俳句に注ぐ情熱、作品が放つ光に心が動かされる。業績と作品を残したいのです」。俳人の弟子や関係者にインタビューして、人物像を立体的に浮かび上がらせる工夫も施した。

稲畑汀子

 取りあげた一人が、最大の俳句結社「ホトトギス」の前主宰で、約40年にわたって朝日俳壇の選者を務め、2022年に91歳で死去した稲畑汀子。若いころから祖父の高浜虚子に師事し、父や夫の死を乗り越えて、生涯を俳句に捧げたことを詳述。〈ひとすぢの髪も乱さず雛(ひな)をさめ〉〈落椿(おちつばき)とはとつぜんに華やげる〉〈一枚の障子明(あか)りに伎芸天(ぎげいてん)〉〈月の波消え月の波生(うま)れつゝ〉といった作品を挙げて、「韻律の美しさ、平明な描写、美意識の高み、自然観照の深さなどが特長」と解説した。

 ホトトギス現主宰で汀子の長男・稲畑廣太郎さんへのインタビューでは、汀子の句集に未収録の〈見えてゐる星見えて来る星涼し〉という句があったことが分かった。

鷹羽狩行

 24年に93歳で死去した鷹羽狩行編を書き下ろしたのは、半世紀にわたり俳壇を先導した業績があり、どうしても外せない俳人だったからだ。「有季定型俳句の普及に尽力し、文芸としての俳句の認識を高めた」「海外詠の地歩を築いたことなど、業績を列挙すれば限りない」と記す。

 海外詠〈摩天楼より新緑がパセリほど〉や代表作〈人の世に花を絶やさず返り花〉などを紹介して「質朴な作から格調の高い句、俳味の句まで作風は自在だ」と評価した。

 執筆中、思い返していたのが前衛俳句の旗手として知られ、「俳句評論」編集長も務めた高柳重信の言葉だった。「いかなる作家も、語り部を持たなければ、忘却の彼方(かなた)に消えゆく運命にある」

 この言葉に刺激され、「私が語り部にならなければ」と決意して書き続けてきたが、とりわけ思いが深い俳人がいる。一般にはあまり知られていない馬場移公子(いくこ)だ。

 1994年に75歳で死去した移公子は戦争で夫を失い、戦後は郷里の埼玉県・秩父を離れずに一生を終えた。〈いなびかり生涯峡(かい)を出ず住むか〉〈雁(かり)仰ぐいまさら峡の底に住み〉といった作品を生んだ。

 水原秋桜子や石田波郷に高く評価されたが、俳壇の表舞台とはひたすら距離を置いた。その生き様を詳述し、「峡の生活者の詩魂」という一編にした。

 角谷さんは、泉下の客となった俳人のことを調べれば調べるほど、その俳人が自分の中に入ってくる感覚があるという。「移公子のときもそうでした。作品を生み出すときの苦しみや喜びが実感として迫ってくる。この俳人のために、私が書かなければと思う」

 登場する俳人たちは、病気をしたり家族を失ったりという苦しい境涯を乗り越えて作品を生み出してきた。「俳句を詠むことで、心が救われてきたことが分かります。改めて、俳句は魂の救済になるのだと思います」(西秀治)=朝日新聞2026年1月21日掲載