芸人で作家の又吉直樹さんの6年ぶりとなる長編小説「生きとるわ」(文芸春秋)は、中年を迎えた高校の同級生たちの風変わりな腐れ縁が、大阪を舞台に描かれる。借金を抱えて逃げる男と取り戻そうとする男たちの「語り」と「騙(かた)り」を通じて、とかくままならない人生のおかしみとかなしみが浮かびあがる。
「昔から人と人の関係性を書くのが好きなんです。人間って迷惑をかけたりかけられたりしますけど、迷惑をかけられてると思ってる方が、実はかけてる側に依存してたりってこともある。自分もそんなことしながら生きてるんかな、と」
物語は2023年、阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝した夜に始まる。公認会計士の岡田は、高校時代の同級生、横井の姿を見かける。岡田から500万円、他の仲間からも借金を重ねて行方をくらましていた横井は、阪神のはっぴを着て、愉快げに道頓堀川に飛びこんでいた。
もともとは優勝前にコントで作ったシチュエーション。「借金して逃げてたやつを見つけたときに最も憎たらしく思う状況って何かなと考えて生まれた」
はっきりいって、横井はクズだ。高校時代からこざかしくふるまい、騒動になるとすぐ逃げる。舌先三寸で金を借り、取り立てられたときも小理屈をまくしたてて雲隠れ。岡田は借金を取り戻そうとするたびに裏切られ、やがて抜き差しならない窮地に追い込まれていく。相手にしなければいいと思うのだが……。
「愛嬌(あいきょう)のある問題児って、周りの中途半端な理解者とか、優しさを与える人の養分を吸って、どんどんモンスター化していく。なぜ、横井に手を差し伸べてしまうのか、岡田にも問題があるのではないか、書きながら考えていきました」
確かに岡田は岡田で、どこかおかしい。高校時代の岡田は妙な理論武装をもとに横井を翻弄(ほんろう)していた。社会人になって横井に騙(だま)され続ける岡田だが、妻から借金について詰問されたときには謎の理屈をこねくり回し、愛想をつかされてしまう。一つひとつのやりとりは、不条理コントを見ているかのようで、ユーモアが漂うのに薄ら寒さを感じさせる。
「人間は悪とされているものをそもそも含んでいる。それを踏まえて、ある状態が果たして悪といえるのか、と突き詰めたかったのかもしれませんね」
岡田たちは阪神が日本一になった1985年生まれのアラフォーだ。80年生まれの又吉さんにとって30代後半は「火花」で芥川賞を受け、お笑いコンビ「ピース」の相方が渡米し、結果的にピン芸人として活動することになった時期にあたる。
「漠然とした未来予想図として、お笑いの世界をなんとなく相方と一緒に続けていきながら、自分の好きな執筆活動とかをやれればいいなと思っていたのに、なくなった。同級生に聞いても、35歳から40歳ぐらいの間に転職を考えたりして、結構難しい時期ですよね」
歯車が一つ狂っただけで、人生が暗転するかもしれない恐怖は中年に限った話ではない。なんてことない人生のなかに潜む落とし穴を、おかしみ漂う会話で浮かび上がらせた本作は、芸人としての頭の使い方と、小説を書く頭の使い方が、過去の作品と比べても一層リンクしている。
「小説を書き始めた頃にあった、芸人であることに寄りかかりすぎない作品を書かなければいけないといった意識は消えてますね。題材とのマッチングもあり、本来の自分を出せる素直な表現に近づいてるのかもしれない。狙ったわけじゃないんですが、そう見えたならうれしいですね」(野波健祐)=朝日新聞2026年2月4日掲載