ジャン・レノ(77)が、ファンとチェキ会をするらしい――。そんな話を耳にして4月下旬、東京・新宿の紀伊国屋書店へ向かった。映画「グラン・ブルー」や「レオン」で知られる、世界的俳優がなぜ。
「メルシーボク! ありがとう」
フランス語と日本語を交えて、ファンと交流するジャン・レノ。自ら執筆した小説「エマ」(U―NEXT刊)の発売を記念したイベントだった。
自身の半生を振り返る一人芝居「らくだ」の公演での来日に合わせたとはいえ、ファンと間近で接する異例のPR。力が入るのは、これが小説デビュー作でもあるからだ。
「小説を書きたいと考えたきっかけは、コロナ禍。南仏で家族と過ごしていたときに、自分の仕事だけが自分の生き様ではないと気づいたんです」
庭をいじり、船に乗り海を楽しむジャン・レノは、役者ではない「全く別の領域にも進むべきだ」と考えた。「もちろんその道のプロがすでにいますから、怖いし、恥ずかしいという思いもありましたが」
描いたのは、フランスで客にマッサージを施す療法士の女性エマの物語。中東オマーンから訪れた権力者の男・タリクの体に触れ、言いしれぬ「波動」を感じ、恋に落ちていく。勤め先の要請でオマーンに滞在することになったエマはやがて、母国の情報機関からタリクを探るよう命じられる――。
ハリウッド映画さながらのストーリーテリングで、ドラマ化の話も持ち上がっているそう。
気になるのは、エマが恋に落ちる過程である。言葉を交わして仲を深めていくのではなく、マッサージという肉体的接触を通して、エマは愛を育む。描写は官能的で、そして執拗(しつよう)だ。
非言語のコミュニケーションを文字に落とし込む。それは言語を超えて感情を届けてきた、役者の意地か。その意図を問うと、「すごく不思議なんですけれども、実は『なぜか』が分からないんです」と、かわされてしまった。
「映画さながらに繰り広げられるストーリーが、インスピレーションのように出てきたんです」
言葉にするのもやぼだ、とでも言いたげだった。画面に映った演技で全てを語ってきた、俳優の美学なのだろう。(照井琢見)=朝日新聞2026年5月13日掲載